朱と交われば

「流石のオレも、お前みてぇな才能のあるガキを潰すってのは、心が痛むぜぇ」

海水の流れ落ちる、まるで廃墟のようになった建物の中で、カスザメは機嫌良さげに言った。
くるくると自身の髪を弄りながら、口端を吊り上げるような笑みを浮かべて、目の前に立つ少年を観察している。
雨の守護者戦、カスザメは敵が来るより前からフィールドに入り、一人立ち尽くしたまま開始の合図を待ち続けていた。
敵がフィールドに入り、カスザメに気付いてすぐに発した言葉が、それである。

「ははっ、何だよいきなり。オレが倒されることが決まってるみたいな……」
「時雨蒼燕流」
「え?」
「お前の親父は8代目。お前は9代目に当たるわけだが」
「な、何で知って……?」
「暗殺の基本は、調べることだぁ。調べて、暴いて、余すところなく知り尽くし、その隙を突いて命を奪う。……折角鍛えてきたようだが、その成果、発揮できると思うなよ」
「……」

ぱさりと肩の上に落ちた髪、だらりとカスザメの腕が垂れる。
奴の前に立たされたガキは、無意識にか、じりじりと後退している。
本物の暗殺者の殺気に当てられては、ほんの数日間鍛えただけの子供が太刀打ちできるはずもない。

「今日は、ザンザスが来ている」
「え!?」

カスザメがそう言ったのを聞いて、向こうの10代目候補がキョロキョロと視線をさ迷わせ始める。
そしてようやくオレを見つけたガキは、一瞬表情を強ばらせ、そしてすぐに力強く睨み返してきた。
どうして、逃げないのだろうか。
下手をすれば、あの竹刀を持ったガキは死ぬ。
ここまで来て、それが分からないほどに愚かなガキどもだというのか。
ベルのことを見付けて騒ぐガキどもを無視して、カスザメの方へ視線を向けた。

「テメーに許された時間は5分だ。とっとと終わらせろ」
「はっ!任せなボス。5分も経たずに終わらせてやる」
「わりーけど、そう簡単にやられる気はねーのな!オレだって、勝たなきゃなんねーんだ。剣を構えるのな!」

竹刀を構え、今にも襲い掛からんとするガキを前に、カスザメはにったりと笑っている。
一歩、進み出たチェルベッロが、軽く手をあげる。

「それでは、雨のリング、S・スクアーロVS.山本武、勝負開始‼」
「……オレは、剣なんて必要ねぇのさ」
「……は?」

スクアーロが軽い足運びで後退した。
ぴちゃりという水の音。
光の届かない闇の中へと、銀色の輝きが消えていく。
ガキが攻撃をするよりも前に、スペルビ・スクアーロは闇の中へと姿を消したのである。

「なっ……あのロン毛どこに逃げやがった!」
「逃げたんじゃねぇぞ。奴はプロの暗殺者だ。闇に乗じて山本を襲うつもりだぞ」
「そ、そんな!山本はどうなっちゃうの!?」

今ごろ焦り出して、呑気なもんだ。
奴らは、己の実力を勘違いしたバカだ。
そんなカスどもが、オレのスクアーロに、叶うはずなんてない。

「くっ……どこ行った!?」
「ここだぁ」
「なっ!」

闇の中から溶け出るように、カスザメはガキの背後から現れた。
手に持ったナイフを横に振るい、構えられていた竹刀……いや、いつの間にかそれは日本刀へと変わっていたが、その刀身の腹を弾き飛ばす。
体勢を崩されたガキの腹に、スクアーロの脚が食い込んだ。

「ぐっ……お!」
「や、山本!」
「2分経過……さて、大分早いが、弱いガキに手加減して、だらだら遊ぶのも趣味じゃねぇ。とっとと終わらせるかぁ」
「くそ!聞いてた話と違うじゃねぇか跳ね馬!」
「どうなってるんだ……?スクアーロは剣士のはずじゃ……」

戸惑うのも無理はないだろう。
アイツだって、直前までは剣でやるつもりだった。
例え剣で戦ったところで、アイツが本気でやれば一瞬で勝負はつくが……。
奴らは、スクアーロの正体を見誤ったのだ。
この勝負、既に決着は決まっている。

「まだなのな!オレはまだまだ戦えるぜ!」
「……はあ?何言ってんだぁドカスがぁ。お前にはもう、戦う資格なんてねぇだろうが」
「……え?」

カスザメがふっとナイフを持つ腕を上げる。
その切っ先には、キラリと光るリングがあった。
ハーフボンゴレリングの片割れ。
カスザメの持つ分は、奴の首に掛けられている。
切っ先に引っ掛かっているのは、あのガキの持っていた分だ。

「な……返せ!時雨蒼燕流、攻式八の型・篠突く雨‼」
「返せ?はっ!そんなこと言うなら、簡単に奪われないようにもっと注意しておけぇ‼」
「ぐっ!……うわぁ!?」

まるで、大人と赤子だ。
全力の一撃だったのだろうそれも、スクアーロは既に理解していたようで、易々と避けて、その背に重たい蹴りを浴びせた。
ガキは海水の中に頭から突っ込み、ごろごろと転がる。
その間に、スクアーロはリングを完成させた。
黒い革手袋の上に転がるシルバーリングは、微かな光を跳ね返して冷たく輝いている。

「よおザンザス、ちゃんと勝ったぜぇ。5分以内でなぁ」
「……」

闇の中で白く光る、狂暴な鮫のごとき双眸。
にぃと笑う表情も、禍々しいほどの闘気も、決して魅力的であるとは言えない。
だが、その表情が、こちらを向いて崩れる瞬間が、オレは好きだった。

「雨のリング争奪戦は、S・スクアーロの勝利です」

チェルベッロの宣言を聞き、ほうっと息を吐き出した。
信じていない訳ではない。
ただ、奴は時々危なっかしく見えることがあって、この自分でも、不安に思うことがある。
ガキを置き去りにフィールドを後にして、カスザメはオレの元へと駆け寄ってきた。

「注文通り、完璧な戦いだった、だろぉ?」
「ちっ、面白味のねぇ勝負だ。何のために一時間も武器揃えて悩んでやがったんだ」
「なっ!勝ったんだから良いじゃねぇかぁ!」

呆然とするガキは、どうやら仲間達に助け出されたようで、スクアーロは興味なさげにそれを見下ろしていた。

「殺した方が早かったんじゃねぇのか」
「あの程度の虫、殺す価値もねぇさ」

冷たい視線の先にいたガキどもは、スクアーロのことを憎々しげに睨み付けていた。

「取り消せ……」
「あ"あ?」
「取り消せよ!オレの友達を、そんな風に言うな!」
「じ、10代目……!」
「ツナ……」

弱い奴らが集って、傷を舐め合い、身を寄せて暖め合う、不様なその様は、酷く見苦しいと思った。
スクアーロは、無感動に奴らを見下ろしている。
オレに向けるのとは、まるで別人のようなその顔は、恐ろしいのにも関わらず、人形のようで、美しい。

「戦いを知りもしない素人を……、根拠もなく勝てると信じ込む間抜けを、嘲ることが、蔑むことが、何かおかしいのか?」
「戦いなら知ってる!山本だって、死ぬ気で特訓して、本気の覚悟で戦ってきたんだ‼それをっ」
「……ならば言い方を、変えてやる」

しんと、スクアーロを中心に、夜の空気が冷えた。
ぴんと張り詰めたような空気に、ガキどもは目を見開いている。
スクアーロはゆっくりと口を開いた。

「痛みも知らない子供に、腕を振るってやれるほど、オレは安くないんだよ」
「ど、どういう、意味……?」
「自身に襲いかかる痛みを、誰かを傷付ける痛みを知りもしない。それ相応の覚悟もなく、誰それを護るだのという曖昧な気分で剣を握る子供を殺してやるほど、オレはお人好しじゃあねぇ。本気で戦いたいなら、オレが本気で戦い、命を奪うべき相手だと認められたかったのなら、……その甘さを捨ててこい」
「甘さ……」
「まあそうは言っても、次にオレ達が勝ったら、テメーらは全員揃って死ぬことになるわけだからなぁ!その命永らえたこと、精々感謝することだぁ」
「っ!」

放心しているガキどもに、スクアーロはそう言い放つと、くるりと背を向けて歩き出した。
もう帰る気のようだ。
オレも、ここにもう用はねぇ。

「つ、次の勝負は霧の守護者同士の対決です!」

焦ったようなチェルベッロの声が、オレ達の背を追い掛けてくる。
マーモンだけが、口をへの字にして反応していたが、大きな変化はない。
スクアーロはただ、何事もなかったかのように、悠々とその場を立ち去っていった。
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