朱と交われば

朝、空腹を掻き立てる匂いに釣られて、目を覚ました。
匂いの元は、まず間違いなく、この部屋に付けられた簡易キッチンからであろう。
味噌の香りと、甘い米の炊ける香り。
時計を見ると、今は朝の6時半だった。
昨日のカスザメの言葉を思い出す。
6時までには用意しておく……だったか。
ならば、もうすぐにでも飯にありつけるはずだ。
むくりと起き上がり、着ていた浴衣を軽く整えてから、部屋を出た。

「ん"、おはよザンザス。飯出来てるぜぇ」
「……んなこと、見ればわかる」
「おはようございますボス‼スクアーロ!わかりきったことを言っている暇があるなら、ボスの朝食を用意せんか!」
「……っせぇ、朝から喚くな」
「申し訳ございませんボス!」

部屋には、オレ以外のメンバー全員が集まっていた。
各々、……レヴィ以外は、好き勝手な服装でだらけている中、スクアーロだけはYシャツにエプロンという、異様なまでに似合う出で立ちでオレを出迎えた。

「お"う。まあ取り合えず用意するから、席着いて待っててくれぇ」
「……」

カスザメはせかせかとキッチンへ向かい、すぐに盆を持って戻ってきた。
ソファーに座るオレの前に、食器を置いていく。
白米、味噌汁、魚、漬物、サラダ、玉子焼き……。

「魚……」
「スクアーロ貴様!ボスは魚より肉派だと言うことを忘れたか!」
「和食っつったら魚だろぉ。肉ばっかじゃあ栄養も偏るし、たまには悪くねぇだろ?」
「だがな……」
「うるせぇ、食事中くらい黙ってろ」
「ボ、ボス……」

別に、魚が食べられないわけではない。
それに、汁物の中には豚肉が入っていたし、量も丁度良さそうだった。
味噌汁に口をつける。

「……」
「あ……不味かったかぁ?」

味噌汁を一口飲んで、オレが黙り込んだからか、不安そうな様子でそう聞かれた。

「えー、王子が味見したら普通に美味かったけど?」

ベルがそう言う。
こいつ、オレよりも前にこの飯を食ってやがったのか。
いや、そうじゃねぇ。
ベルの言う通り、飯が不味い訳ではない。

「……味、変えたか」
「そんなつもりはねぇんだけどなぁ……。まあ、最近あんまり料理してなかったからよぉ。ちょっと腕が落ちたのかもなぁ」

前にも一度、和食を作らせたことがあった。
ハッキリとその時の味を覚えている訳ではなかったが、前とは少し違うような気がした。
……不味い訳ではない、のに。
あまり好きな味ではないと、思ってしまった。

「飯、変えるか?」
「……良い、このまま食う」

カスザメの申し出を押し退け、そのまま完食した。



 * * *



「そろそろ時間だぁ。並盛中学に向かうぞぉ」

幹部達の後ろ姿を、オレはソファーに腰かけたまま見送った。
今日の初戦を見に行く気はなかった。
別に理由はない。
ただ、何となく行きたくなかっただけ。
暇だろうと、スクアーロが置いていった小説やら雑誌やらDVDやらを見る気もなく、ソファーの下に転がしておいた酒の瓶を取りだし、一人で飲み始めていた。
ぼんやりと時間を潰す。
こうして、潰せる時間もなかった8年間。
これは、奪われた時間を取り戻すための、奪われた世界を取り戻し、オレが、オレ足りうる力を取り戻すための、戦いなんだ。
なのに、奴らの戦いを見たくないと思う自分が、どこかしらにあった。
そろそろ、決着がつく頃だろうか。
新しく開けたブランデーをグラスに注ぎ、ぐいっと煽り、荒々しく机に置いたときだった。

「う"ぉおい、帰ったぞぉ」
「!」

でかい声と、騒々しい足音。
暗殺者らしからぬこの様子。
ようやく帰ってきたのか。

「喧しいぞ、ドカス」
「あ"あ?そりゃあ悪かったなぁ」
「……」
「初戦はルッスの馬鹿が負けた。あの馬鹿、相手が餓鬼だからって遊びやがって……」
「しし、所詮あいつは三下ってことなんじゃねー?」
「奴が負けた分は、このレヴィが取り返しますボス!」
「ム、とは言っても、初戦が負けってのは幸先悪いよね」
「関係ねぇ。後の勝負はオレ達が獲るからなぁ」

ぞろぞろと部屋に入ってきた奴らの中に、ルッスーリアがいない。
殺したのか。
置いてきたのか。
朝の暖かな飯と、仲間を切り捨てる冷酷さ。
敵の返り血を頬に付けて笑っていたアイツを思い出して、ぞくりと背筋に冷たいものが走った。

「なあなあ、夜食にラーメン食おうぜ」
「オレも腹が減った」
「僕はもう寝るよ」
「オレももう寝るぜぇ。明日は雷の守護者戦なんだぁ。あまり夜更かしはすんなよ」
「貴様に言われるまでもない!ボスのために!己の体調は万全に整える!貴様の方こそ、もう少し自分の体調をだな……」
「だからこれから寝るっつってんだろぉ」
「ぬぐぅ!貴様はいつもいつもそうやって口答えばかりしおって!大体貴様は……」
「自分の体調くらい、自分でちゃんと把握してる。つーか夜食食うのは良いが、ボスの邪魔はすんじゃねぇぞ」
「当たり前だ!オレをなんだと思って……」
「おやすみー」
「ああ!貴様ぁ!」

喧しく言い合いをしていたかと思えば、レヴィをかわして自分に与えられた部屋に引っ込んだ。

「しし、痴話喧嘩かよ」
「誰がだ!気色悪い!」
「ごほっ」

ベルの茶化しに、思わず噎せた。
心配してきたレヴィを、グラスを投げ付けて昏倒させる。
奴らは、スクアーロの事を女だなんて思ってないから、そんな気はさらさらないんだろうとは、分かっている。
だからって、大人しくしていられるほど、自分は物分かりが良くはない。

「ちょっ、ボスー?」
「ぐ……む、ねん……」

呼び止める声、撃沈する声を背に、カスザメの部屋へ入る。

「おい」
「ん"!?どぉかしたかぁ?」

ノックもなしに突然入ったことを、ドアを開けた一瞬、後悔した。
だが今更なことだし、カスザメも驚きはしていたようだが、問題なくオレを迎え入れた。
困惑しつつもイスを用意され、腰掛ける。
首を傾げながら、オレの前に座ったスクアーロは、戸惑ったように口を開いた。

「えっと……オレになんか用?」
「……いや」

用事があったわけではなくて、言うなれば、奴らのいないところで顔を合わせたかっただけ、で。
言葉に詰まったオレを気遣ってか、カスザメが何となしに話を振る。

「……最近は、ちゃんと眠れているか?」
「ああ」
「体に不調は?」
「ねぇ」
「ちゃんと医者に診てもらってるかぁ?」
「あんな奴らに体を触られたくねぇ」
「またそんな我が儘言って……」

ふっと笑みを溢して、スクアーロは姿勢を崩す。
薄暗い部屋の中で、それでも明かりを跳ね返す銀髪が、まるで自分を誘っているように思えてならない。

「まあ、不調は無さそうで良かった。……ああ、何か飲んでくかぁ?大したもんは作れねぇが……」
「スクアーロ」
「……え?」

気が付くと、奴の腕を取って、ベッドの上に押し倒していた。
訳も分からずに、キョトンとこちらを見上げるスクアーロが、オレの名を呼んだ。

「ザンザス……?」
「お前は、他の男も、そうして無防備に部屋に入れるのか?」
「なに、言って……、これは、どういう……」
「わからねぇのか?」

奴のYシャツのボタンを一つ外す。
ビクッと跳ねた体が、オレの手に当たった。
手が熱い。
手だけじゃねぇ、体が、どくどくと脈打ち、熱を帯びる。
オレの吐息と、スクアーロの吐息が混ざり合う。

「ちょっ……やめろっ!」
「黙ってろ」
「や、やだ……」
「お前がオレのものだと言うのなら、心だけじゃねぇ。体も、全て、オレに……」
「っ……嫌だ!」
「なっ……」

突き飛ばされた。
まさかそんなことをされるとは、考えていなかった。
腕を拘束する力が弛かったのは、そのせいだろうか。
スクアーロは、スクアーロだけは、オレを拒んだりはしないだろうと、思っていた、なのに。

「や、やめて……くれ」
「スク……」
「……ごめん、オレもう、寝るよ」
「お、おい」
「出ていってくれるか」
「オレは」
「出て」
「っ……!」

立ち上がったところを、部屋の外へと押し出された。
革手袋をはめたままの手は、小刻みに震えている。
オレが抵抗するまもなく、ドアは閉められた。

「ボース?何かでっかい音したけど、どーかした?」
「……」
「つーか、先輩の部屋の前で何してんの?」
「……なんでもない」
「へ?」

あの、瞳。
恐怖を映す瞳を、何度も、何度も向けられてきた。
あんなもの、気にしたことはなかったのに。
アイツから向けられたその視線は、胸の奥深くまで突き刺さった。
手首から感じられた、早い脈拍。
浅い呼吸。
青ざめた、顔……。
そんなに、恐ろしかったのか?
そんなに……嫌だったのか。

「泣くほど、に……?」

部屋を出される一瞬に見えた、奴の顔。
目の端には、涙の雫が光っていた。
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