朱と交われば

「ザンザス!今帰ったぜぇ!」
「……うるせぇぞ、カスザメ」

暗殺者らしからぬ騒々しさで、部屋のドアを開け放ったカスに、手近にあったグラスを投げる。
それをひょいっと避けて、奴は嬉しそうにオレに近付いてくる。

「なあ、任務先で珍しいって酒買ってきたんだ!飲んでみろよ!」
「……」

机の上に勢いよく置かれた酒瓶を見て、ふんと鼻を鳴らす。
確かに、今まで聞いたことのない銘柄だ。
だが今は飲む気分にはなれず、机の端に退ける。

「……気に入らなかったか?」

肩を落としてショボくれるカス。
舌打ちをして、オレは奴の頭に手を乗せた。

「気分じゃねぇ。今は酒よりも、お前が欲しい」
「……え?」

キョトンと見上げてくる奴の顎を捕まえて、その薄い桜色の唇を……



「……く、そが。夢、だと……?」

最悪の目覚めであった。
あろうことか、己が犬とまで呼ぶ奴との夢。
髪を掻き上げて、イライラと舌打ちをする。
少し前にオレの目の前に現れた奴……スペルビ・スクアーロ。
銀色に透き通る髪と、涼やかな顔立ち。
オレでも、綺麗な顔をしていると思うくらいには、奴の顔は整っている。
だが、そんな奴がまさか女であると、気付く人間は滅多にいないだろう。
その事実を自分が知ったのは、つい数日前のこと。
それ以来、何かが変わったわけではないが、ふと気付くと奴の姿を目で追っている。
好いた惚れたの関係じゃねぇし、そんな気持ちで主従関係を結んでいる訳でもねぇ。
奴はオレの忠実な部下で、尚且つ便利な犬なのだ。
……ただ、今まで出会ってきたどの人間よりも、強く興味を抱いては、いる。

「ザンザス!今帰ったぜぇ!」

時刻は午前10時半頃。
あの夢と同じように、カスザメは騒々しくオレの部屋に入ってきた。
オレは起き抜けで、手近には枕くらいしか投げられるものがない。
仕方なくそれを投げ付けると、奴は危なげなくそれを掴み、ソファーの上に放り投げる。

「お前こんな時間まで寝てたのかぁ?」
「喧しいぞ、ドカス」
「悪かったなぁ!それよりも、今起きたなら飯もまだなんだろぉ?」
「……ああ」
「オレが作ってやるよ。その間に顔でも洗ってろぉ」

せかせかと歩いて、少し散らかった部屋を片しながら、備え付けのキッチンへと向かう。
何を投げつけようとものともしねぇし、大体のことは受け流す。
主になってくれなんて、突然ぶっ飛んだことを言ってきたくせに、カスザメはオレよりもずっと大人びていたし、周囲のカスどもにも信頼されている。
思っていたよりもずっと、普通の人間らしく見える。
オレはカスが言った通りに顔を洗い、服を脱いで着替える。
ちょうどシャツを脱いだところに、大きな声と食欲を誘う匂いが届いた。

「ザンザス、飯できたぞ……っわりぃ!」
「あ?」

わざわざ扉を開けて呼び掛けてきた癖に、オレを見てすぐに謝り、閉める。

「何やってんだ、てめぇは」
「何って……着替えてたのに気付かなかったんだよ。悪かったなぁ」
「はあ?」

女の着替えを覗いた訳じゃねぇんだから、そんな過剰に反応することはないだろう。
だが扉の向こうのくぐもった声は、本当に申し訳なさそうにしている。
バカらしい。
見られて何かが減るわけでもないのに。
オレはそのままの格好で扉に近付き、勢いよくノブを回して引く。
向こうの部屋には、目を見開いて固まるカスがいた。

「おい、さっさと飯を持ってこい」
「な……おまっ……服を着ろ!」
「るせぇ、てめぇに指図される謂れはねぇ」
「そう言うことじゃ……あ"ーもう!」

たぶん、恥ずかしがっているのだろうことは分かっていた。
奴もやはり、女で、尚且つガキだってことだ。
だが自分から逃げようとするような奴の態度が気に食わなかった。
オレの姿を前にして、カスは怒ったように叫び、オレがぶら下げていたYシャツを引ったくる。
それをオレに着せながら、ぶつくさと文句を言っていた。

「ったく、人前で脱ぐなんて非常識だろぉが」
「知るか」
「風邪引いたらどうすんだよ。困るのはお前なんだからなぁ」
「ふん」

顔は赤いくせして、まるで口煩い母親のような愚痴を溢す。
時折素肌に触れる指先が、ひんやりと冷たく、触れる度に体の芯がぞくりと粟立つ。
気持ち悪いって訳じゃねぇ。
どちらかと言えば気分は良い。
カスザメのため息が胸の中心に当たって、ざわつく。

「……お"ら、出来たぞ。すぐに飯にするから、そこのテーブルに掛けてろ」
「……ああ」

ボタンを全て閉じて、胸板を軽く手で叩いたカスザメは、満足そうな表情をしてから、料理の皿を取るため背を向けた。
さっきまでは顔を赤くしていた癖に、もういつも通りの表情に戻っていることに、不満を覚える。
カスの癖に、オレを相手に動揺が少ないなんて、むかつく奴だ。

「さっさとしろよザンザス。飯が冷めるぞぉ」
「チッ、うるせぇぞ」

仕方なく席についた。
不満に思ったその事を、奴に言う気もないし、言えば負けたような気になりそうだった。
何もなかったかのように、テーブルに几帳面に並べられた食器の中から、スープ皿を掴んで直接口をつけた。

「あ"~あぁ、きったねぇ食べ方しやがって……」
「んぐ……っせぇぞ。オレはオレの好きなように食う」
「……他所のファミリーの前じゃあ、ちゃんと綺麗に食べるのになぁ」
「何が言いたい、カス」
「別に言いたいこととかねぇよ。今の方がお前らしいような気もするしなぁ」
「……ふん」

ふんわりとした気の抜けた顔で、頬杖をついてこちらを眺めるカスザメに、怒る気力も失せる。
何より、予想していたよりもずっと美味しい朝食と、肩肘張って接する相手もいない状況じゃあ、流石のオレも気が緩む。
奴はオレが朝食を平らげるのを大人しく待って、空いた皿を片付ける。
立ち上がって、片手に皿を持ったカスザメは、オレの顔を見て何かに気が付いたようだ。

「ここ、食べかすがついてるぞぉ」
「っ……!」
「ん……、じゃあコーヒー持ってきてやっから、ちょっと待ってなぁ」

口の端に、パンのカスが付いていたらしい。
カスザメはそれを指先で拭い取り、赤い舌をちろりと出して舐める。
奴にとってはきっと何てことのない行為。
それが、酷くイヤらしく見えた自分が疎ましい。

「……チッ、くそガキが」

掌で口を押さえて、ぐっと息を飲み込む。
自分らしくもない、あんなガキ臭い奴に翻弄されるなんて。
とにかく帰ってくるよりも前に、この顔の火照りは冷まさなければ。
キッチンの方から漂ってくるコーヒーの薫りを鼻孔一杯に吸い込み、胸の奥に溜まった熱さを息と一緒に吐き出した。
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