朱と交われば

ある日、突然、カスザメはオレの前に来ると、日本へ行くのだとのたまった。

「あ?もう向こうの候補者を殺すのか」
「いや、向こうに門外顧問のメンバーが向かった。家光自身も、すぐに出立するだろうがぁ……まずは奴らの策に乗ってみようかと思う」
「策?」
「まあ、一週間以内には帰ってくるからよぉ、その間、何かあったらルッスに言ってくれよなぁ。あんまりワガママばっかり言うんじゃねぇぞ?」
「は?おい待て……」
「じゃ、行ってくるぜぇ」
「っ……!」

引き留めようと伸ばしたはずの手を、カスザメは流れるような仕草で捕まえて、半分に欠けたリングへと唇をつける。
もう何度も行われている行為なのに、ハッとして体が固まり、言葉を失った。
カスザメはオレの手を離すと、荷物を持ち直して、さっさと部屋を出ていく。
またすぐに連絡を入れるだの、好き嫌いせずにちゃんと食べろだのと、余計なことばかり言って、アイツは日本へと向かった。
誤魔化された。
スクアーロは、何がしたい?
いや、それ以上に、アイツを呼び止めてオレはどうしたかったのだろう。

「……」

イライラする。
ここのところ、ずっとこんな感じだ。
引き出しをこじ開けて、中に放り込んでいたケータイを掴む。
これを使うのはきらいだ。
だが、便利なのは便利。
今一、使い方がわからなかったが。
ガチガチと乱暴にボタンを押して、カスザメにメールを送った。
『帰りに美味いものを買ってこい』と。
返事を待たずに、ベッドに飛び込んだ。
その日は飯を食わなかった。
あんなカスの言うことなんて、聞いてやるものか。
枕に顔を埋めていたら、あっという間に眠りに落ちていた。


 * * *


ーー ヴー ヴー

「う……」

何かが、鳴ってる。
五月蝿い。
むくりと体を起こして辺りを見ると、灯りはなく、すっかり暗くなってしまっていた。
相当長い時間、寝ていたらしい。
時間は……くそ、時計が見えねぇ。
枕元で光ってたケータイに手を伸ばして漸く、五月蝿く鳴っていたのがそれだと気が付いた。
ちかちかと光を放つそれを開くと、それはメールの受信を知らせているようだった。
今は夜中の11時過ぎ。
開いて、中身を見てみる。
カスザメから、か?
それ以外にも何件か入っているようだった。
カスザメのメールには、門外顧問のバジルとか言うガキを追って飛行機に乗るところだと言う報告と、ちゃんと飯は食ったのかという小言が並んでいる。
帰りに酒のつまみを買ってくるとも書いてあった。
他のメールはルッスーリアからだった。
ご飯が出来ただの、今日のメニューだの、お風呂は入らないのかだの……。
飯はもういらない。
が、風呂には入りてぇ。
モゾモゾと起き上がって、備え付けのシャワールームへと向かった。
カスザメはまだ飛行機の中か。
敵を追っていったのだから、風呂に入る暇もないのだろう。
……。
思わず変なことを想像して、ぶるぶるっと頭を振る。
雫が飛び散った。
8年前、オレにとってはほんの少し前のことだが、それでも8年前、クーデターを起こす前に、オレは考えていた。
クーデターが成功したなら、この心をアイツに打ち明けてみようかと。
結果、オレは負けて、8年もの時間を封印された中で過ごし、オレ達の間には深い、とても深い溝が生まれた。
オレはまだ、アイツのことが好きなのだろうか。
スクアーロは変わったと、思う。
だがそれでも、ふとした時に見せる顔に、かつての頃の面影を見る。
オレを心配して小言を言うところとか、考え事をしているときの横顔とか、時おり見せる笑顔とか。

ーーきっと、そうして考えてしまう時点で、彼の存在は特別なのではないでしょうか。かけがえのない、存在なのではないでしょうか

ふと、そんな言葉が耳の奥に蘇ってきた。
オレは誰に言われたんだかも曖昧な、その言葉に安堵する。
オレは、スクアーロのことが好き、なのだ。
あの、口喧しい小言も、オレを労る手も、アイツしか出来ない、持っていない。
あの声を、手を、もう二度と、手離したくはない。

「っ……」

タオルを身に纏って、ケータイを手にとる。
衝動的に、アイツへ電話を掛けた。

『おかけになった電話をお呼び出しいたしましたが、おつなぎできませーー』

アナウンスの途中でオレは電話を握り潰していた。
後から聞いた話だが、ケータイは飛行機に乗っている間は繋げないらしい。
これまでろくに使わなかったせいで、そんなことは知らなかった。
結局その後、カスザメが帰るまで連絡を取ることはなかった。


 * * *


「……オレがいねぇ間に、何かあったのかぁ?」
「ま、まあ、色々とね……」

カスザメが帰ってきた。
ただいまも何も言わずに、まず始めの言葉がそれである。
壊れたケータイを投げ付けるも、易々と避けられ、オレの苛立ちは更に増していく。
カスザメはため息を吐いて、ルッスーリアを追い出し、部屋を見渡すと、困ったように眉を下げた。

「ザンザス、この散らかり様はどうしたんだぁ?」
「知るか、ドカス」
「知るかって言われてもよぉ……」

執務室の中は散々なことになっていた。
割れたグラスや、ワインの瓶が散乱している。
家具も滅茶苦茶に壊れているし、カーテンはビリビリに引き裂かれて垂れ下がっていた。
酷い有り様だ。
気に食わないことばかりするカスどもに、その度に癇癪を起こしていたからだった。
物を投げつけて、殴り付けて、怒って、その結果がこれだ。
オレが投げた、壊れたケータイを拾い上げて、カスザメは部屋の隅に荷物を置いた。

「ザンザス」
「……文句あんのか」
「そりゃあまあ、あるけどよぉ。それより、どうしてこんなに滅茶苦茶にしちまったんだよ。何かあったのかぁ?」

別に何もねぇ。
そう言って、そっぽを向いた。
お前がいなかったからだ、なんて、言えるわけもなく、散らかした机に行儀悪く脚を放り出して、椅子に沈み込む。
目を合わせたくない。
なのにカスザメはオレの傍に寄ってくる。

「……あんまり、傍にいてやれなくて悪いなぁ」
「あ?」
「お前の考えてることが、もっとわかるようになりたい。どうすれば喜んでもらえるのかとか、どうしてほしいのかとか、オレには全然わかんねぇ……」

椅子の後ろで、窓に寄り掛かって、カスザメは疲れた様子で呟いていた。
はっとして振り返ったところで、目があった。
銀色の瞳に射抜かれて、一瞬息が止まる。

「……ふ、晩飯、今日は何が良い?」
「……ハンバーグ」
「ん"、シェフに頼んどく」

目があった時点で、オレは負けてしまったらしい。
スクアーロの質問に素直に答えてしまい、そのまま部屋を追い出された。
きっと自室に戻って、飯食って、明日ここに来たときには、元通りの綺麗な部屋になっているんだろう。
怒られるでもなく、ただ甘やかされるでもなく、受け止められて、受け流されて、かと思えば悲しげな声を出したりする。
何を考えているのかわからないのは、アイツの方じゃねぇか。
不満げに唸ったが、それでもアイツと話してから、胸の内のもやもやが無くなったことは認めざるを得なかった。
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