朱と交われば

自室まで戻って、ベッドに入る。
それだけでも重労働で、背中や額にはじっとりと汗が滲んでいた。

「リハビリ、徐々に始めていかねぇとなぁ」

ベッドに横になったオレに布団を掛けながら、そろりと脚を撫でて言った。
凍らされる前と比べると、随分と細くなったように思う。
手早くコップに水を注いで、そっと差し出してきたカスザメに視線を送る。

「それで、あの狸がどうした」
「……あの日、オレ達が起こしたクーデターは今、ゆりかごと呼ばれている」
「ゆりかご……」
「ゆりかごの時、オッタビオはオレ達のいた地下に隠れてた。アイツは、お前の秘密を知ってしまった……」
「……あのドカス」
「アイツは今、ボンゴレの幹部(カポ)として働いている。ボンゴレの精一杯の口封じだぁ。……だが、アイツはそれだけでは満足していなかった。アイツは軍の武器を横流しし、更にそこで開発されていた凶悪な兵器を持ち出した」

オッタビオは、昔から、オレが幼い頃から、世話係として使えていた男だった。
元から、野心の大きな男だった訳ではない。
『9代目への』忠誠心は、恐ろしいほどに強い男だった。
カスザメはスッと目を細めて、ゆっくりとしたペースで話を進める。

「オッタビオは、お前の腹心だったかも知れねぇが、……今のアイツはきっと、お前が9代目の実子でないということも、利用価値のある情報としか思ってない」
「……わかってた」
「そう、かぁ……」

日に日に、アイツが心の内にある黒い思いを成長させていくのを、間近で感じていた。
害の無さそうな柔らかい笑顔を顔に張り付けながら、アイツはずっと、より高くのしあがる為の手段を探し続けていた。
マフィアとして、その思いはあって当然、むしろそうした者の方が重用される。
……このカスザメは、そう言った欲はないように思えたが。
だが主への忠誠心を忘れれば、それはもう不要でしかない。

「オッタビオを生かしておけば、必ずお前の障害になる。それ以上に、武器の横流しやら開発やらがバレた時、アイツが何を仕出かすかもわからない。放っておくわけにはいかねぇ」
「……1週間後だ」
「わかった、1週間後に向かえるよう、準備しておく」

少しずつ、少しずつ、自分の知っている世界が失われていく。
血の繋がりを失って、未来を奪われて、権力を取り上げられて、8年もの時間を拘束されて、揺るがないと信じていた心までなくした。
怒りを通り越して、笑えてくる。
オレ一人だけが、過去に取り残されている。
日本には確か、今のオレと似たような昔話があったんだったか。
それも、前にカスザメに教えてもらったものだったような気がする。

「ザンザス……、疲れただろぉ。ゆっくり休んでくれ。何か欲しいものがあるなら持ってくる」
「……出ていけ」
「……わかった」

すっと頭を下げたカスザメが、ドアから出ていくまでじっと見つめていた。
カスザメは振り返らなかった。

「……脚が、痛い……」

じくじくと、熱を孕んで痛む。
アイツの話を聞いている間は、まだましだった。
静かな部屋に一人でいると、痛みがどんどん増していくようだった。
寝返りをうって横向きになり、膝頭を押さえる。
声は出せない。
誰にも、弱っているところなど、見られたくない。
突然、ドアをノックする音が聞こえた。
誰だ……?
カスザメの奴が戻ってきたのか?
出ていけと言ったのに、あのバカザメは……。

「入れ」
「は!失礼しますボス!」
「っ……」

入ってきたのはレヴィだった。
ガッカリしたような、いや、そんなことあるわけねぇ。
何とか起き上がって、その髭面を睨み付ける。

「何の用だ」
「スクアーロからボスの看病をと!オレが着いてますボス!」
「いらん、帰れ」
「ぬおっ!?」

投げた水差しが中身をレヴィの隊服に撒き散らしながら飛んでいく。
それでも怖じ気づかずに、レヴィは持っていた物をサイドテーブルに置いた。

「それは……何だ?」
「スクアーロからもらった薬ですボス!何でもボスが脚を痛めているようだったので軟膏と痛み止を持っていけと……まったくあやつは偉そうに命令しおって……ボスに関することでなければすぐにでも」
「何でカスザメが……」
「ボス?」
「……何でもねぇ。塗るなら早くしろ」
「はっ!」

布団をめくり、脚を出す。
透明な軟膏。
つんとした嫌な匂いが鼻をつく。
痩せ細った膝にそれを塗られる。
なぜ、アイツはオレが脚を痛めていると気付いたのだろう。
湿布を貼られ、白湯で痛み止を流し込み、癒しの音楽とやらを流し始めたレヴィにラジカセをぶん投げて追い出した。
ああ、騒がしい。
カスザメの、女にしては低く落ち着いた声が、無性に聞きたい。
扉の向こうで騒ぐレヴィに、軟膏の入ったケースをぶん投げた。


 * * *


「誰があなたを、あの眠りからときはなったんだぁぁぁっ!!!」

オレがオッタビオを討ったのは、計画通り、それから一週間後のことだった。

「てめぇが知る必要はねぇ。かっ消えろ」

逃げ場をなくし、ピーピーと叫ぶ男の頭を掴む。
スクアーロに、かつての仲間に、全てを暴かれていたとは、夢にも思わなかったらしい。
憐れみと共に、掌に炎を灯す。
掌の下に見えた瞳が、破壊されるその一瞬前、何かを見て震えた。
ピクリと腕を持ち上げたようだったが、それはそのまま灰となって消える。
憤怒の炎は、オッタビオの全てを覆い尽くし、その命を奪い去った。
続けて、その場にいた奴の部下達を焼き尽くす。
悲鳴と炎の燃える音が響く、地獄のような光景。
背後から足音が聞こえて、振り返った。

「ザンザス、お疲れさま」
「……カスザメ」

オッタビオが視線を向けた方から、ゆっくりと近付いてきたのは、離れた小島にいたはずのスクアーロだった。
返り血を頬につけて、仮面でも被ってるかのように笑顔を張り付けて、オレに労りの言葉を紡ぐ。
その顔に、一瞬どきりとした。
別人でも見ているかのような気になった。

「いつから、いた」
「今さっき来たとこだぜぇ」
「……そうか、なら、良い」

嘘を吐いていると、直感したが、それ以上を問い詰める気にはとてもなれなかった。
それにしても酷い有り様だと、燃え盛る炎を眺めるカスザメは、血の色に顔をしかめることも、肉の焼ける匂いに動じる様子もなく、後片付けの心配をしている。
8年という歳月は、人の理性までもを狂わせたのだろうか。
もともと、暗殺者としての才能はずば抜けていた。
人の死を不快と思いつつも、スクアーロが任務に背いたことはなかった。
だが殺人を犯すことに、奴はずっと抵抗を感じていたはずだ。
なのに、今のこいつはどうだろう。
笑いながら人が焼けていく様を眺めているこいつは……、本当に、オレの知っている女なのだろうか。

「……カスザメ」
「なんだぁ?」
「……さっさと帰るぞ」
「あ"あ」

すっと手を出すと、カスザメは流れるようにその手を取り、膝まずいて口付ける。
離れる前に頬の返り血を拭う。
潮風に当たっていたせいか、その頬ははっとするほど冷たかった。
だがするすると撫でている内に、その頬に徐々に赤みが差していく。
手にすり寄ってきたスクアーロは、手の中の傷を見て目を細めた。

「もう、痛くないのかぁ?」
「そんな傷、なんともねぇ」
「……そう」

いとおしむように、慈しむように、ゆるゆると傷跡を撫でる顔からは、張り付けたような笑顔はもう消えていた。
その事に、オレは久々に、安心をした。
15/64ページ
スキ