朱と交われば

「テメーのような裏切り者のカスが、オレに気安く触るな!」

そう言った日から、一週間が経った。
体はもう、大分動くようになっている。
医者には絶対安静を言い渡されていたが、少し歩くくらいならば出来そうだ。
あの日から、一週間前から、カスザメはこの部屋には来ていない。
仕事に明け暮れているらしい。
会いたいような、会うのが怖いような、複雑な気持ちだ。
突き飛ばして、裏切り者だと罵った後のあの顔。
何も映さない虚ろな瞳。
何度も何度も思い出した。
謝ろうとは思わない。
間違ったことを言った気はない。
だが、あんな顔はもう、二度と見たくなかった。
いつもの、馬鹿みたいに素直にオレを慕ってくる、あいつの顔が見たい。

「……8年」

オレの知っているいつものカスザメの顔は、8年前の14歳のあいつの顔だ。
オレのいなかった8年間、あいつはどんな顔で生きてきたのだろう。
何も知らない。
ぽっかりと抜けた8年間。
胸の奥で、また怒りの炎が燃え猛る。
全部、全部あのジジイのせいじゃねぇか。
オレが過去にただ一人取り残されているのも、カスザメが変わってしまったのも。
こんなことになるくらいなら、いっそ、

「殺せば良かったものを……」

思わず口から出た言葉にはっとして、口を押さえた。
舌打ちをして、ベッドに拳を落とす。
クソ、クソが!
どうしてオレが、こんな惨めな思いをしている。
布団をはね除けて、ベッドからずり落ちるように抜け出た。
足は、何とか床を踏み締めて体を支えている。
壁を伝いながら、部屋を出た。
人が少ない……。
ヴァリアーは、こんなに静かだったか?
自分が足を引き摺る音しか聞こえない廊下。
誰もいないなんてことはないはず。
誰か……誰かいないのか?
人の気配を求めて廊下を曲がる。
どふっと何か……いや、誰かにぶつかった。
オレと同じように角を曲がろうとしていたのか。
文句を言ってやろうと睨み付ける。
しかしオレの口が音を発することはなかった。

「……ザンザス、もう動けるのかぁ?」
「……!」

心底驚いた様子のカスザメが、オレの腕を支えて立っていた。
あの時のような、酷い顔はしていない。
だが顔を会わせづらいのは、変わらねぇ。
支えられていた腕を振り払って、部屋に戻ろうとした。
だがそこでバランスを崩した。
ガクンと力が抜け、重力に逆らえずに体が落ちていく。

「っと!う"……やっぱり重てぇなぁ」
「っ……」

カスザメに抱き止められている。
目の前にさらさらと揺れる銀髪がある。
失われた8年を見せ付けるように、長く伸びた髪の毛が、さらさらと、さらさらと……。

「くそっ……」
「ザンザス……?」
「くそ、カスザメが……鬱陶しいん、だよ……カス……!」
「……うん」
「なに、素直に頷いてやがるっ……ドカス‼」
「い"っ!」

オレの言葉に、カスザメは表情を変えずに頷くだけだ。
どうして、怒らない?
オレは奴を裏切り者と呼んだ。
違うと、裏切ってないと言えばいいのに、カスザメは否定もせずにただ受け止めただけだった。
今だって同じように頷いている。
違う。
そんな反応をオレは望んでいる訳じゃねぇ!
髪を引っ張り、怯んだカスを壁に押し付けた。
首を絞めるように腕を押し付ける。
ごつっと頭を打つ音が響いたが、そんなことに構ってなどいられなかった。

「何を考えてやがるドカス!」
「ぅぐ……オレはただ、お前の為に出来ることを……」
「んな型にはめたような答えは聞いてねぇ!」
「くっ……ふ……」
「……く、そが‼」
「かはっ」

カスザメは、それ以上を答えようとはしなかった。
苦しそうに息を吐き出して、顔を鬱血させていくのを見て、仕方なく解放した。
地面に膝をつき、ぜぇぜぇと肩で息をするカスに、一言吐き捨ててオレは歩き出した。
奴は暫く咳き込んでいたが、そう時間のかからない内に回復し、オレを呼び止めた。

「ザンザス!」
「……なんだ」
「あ、あー……その、話があって、ここに来たんだぁ」
「……」
「……一人、殺さなくちゃならない、男がいる」
「……は?」

一瞬、カスザメから出た言葉だとは、思えなくて、思わず間抜けな面をして聞き返した。

「オッタビオを、覚えているかぁ?」

その言葉に、事態を察した。
あの狸……、確かに覚えていた。

「部屋まで、付き添わせてくれ……な?」

腕をとって、すがるような目でそう言ってきたカスザメを、突き放すことは出来なかった。
カスザメの目は、もうあの虚ろで何も映さないものではなくなっている。
しかし、何を考えているのか、まるでわからなくなってしまった。
遠い。
すぐ隣にいるはずの存在が、酷く遠く感じられる。

「カスザメ……」
「……ん"?」
「……」

その時何が言いたかったのかは、自分でもよくわからない。
何も言えなくなったオレは、口を固く閉じたまま、腕を支えているカスザメの手を、ぎゅっと握り締めた。
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