×ぬら孫

「ムカつくなあ、お前」

ある日突然、オレの目の前に現れた不審者はそう言った。
……リングはどうしたかって?
どれだけ考えても答えは出そうになかったし、イタリアに行って仲間達の所在を確かめるにしても、今んとこイタリアには行けそうもないから、とりあえず今は、保留。
今度の大型連休に、祖父に連れられてイタリアに行くつもりだ。
悩んでいても、埒が明かない。
だから自分の目で見たいって、もし、彼らがいても、いなくても、その足跡でも見られたら、なんて。
淡い期待を抱いていたりも、する。
本当なら、自費で行きたかったんだが、うん、小学生にはなかなか難しいと思う。
株やろうとしたら、祖父に成人まではダメって言われたし。
精々お手伝いして、小遣い稼ぐ位しか出来ないのだ。
まあ、そうして稼いだ金も、小学生にはちょっと非現実的な額になりつつあるのだが。
で、一時保留で次の日からは、いつも通り何もなかったように過ごしている。
リングをもらって数日が経って、イタリア行きの具体的な予定も決まってきて、ちょっと浮かれつつも、父親から言い付けられたモノを淡々とこなしていた。
その間乙女に勉強を教えたりとか、一緒におやつを食べたりとか、云々かんぬん。
そんなときに、『お前ムカつく』宣言を頂いたのだ。
え、なんで?てか誰だ手前は。
という、心境である。
今風な洋服を着こなす若者。
しかしその顔の左側には、古い木の板(たぶん卒塔婆?)がくっついていて表情は窺えない。
本当に誰だ。
家にこんな失礼かつ怪しく、そして気味の悪い殺気を放つ使用人はいなかったはずだがな?

「本当にムカつく。なんでテメーみたいな軟弱そうでクソ生意気なガキが、羽衣狐の隣に在ることを許されているんだ?あ゙あ?」
「……そうか、お前妖怪だなぁ?」
「察しは良いみてーだな。尚更ムカつく」
「とんでもなく一方的だな。ガキかてめぇはぁ」
「……んだと?」

ボソッと言ったオレの言葉に、形の良い右の眉をひそめて、纏う殺気を更に強めた男は、スッと懐に手を入れ、次の瞬間、すらりと刃物を取り出した。

「は、鋏……!?」
「テメーは殺す。その首チョン切って、羽衣狐の前にその肝差し出してやる」
「な、んて、物騒な……」
「言っとくが本気だからな」

しゃきり、しゃき、と鳴く鋏に、自分の顔から血の気が引いたのがわかった。
妖怪が人のガキに本気出すなよ!
だが何故、オレの前に姿を見せたのかはわかった。
敬愛する人の側に、弱そうで信用ならない奴がいるのは確かにムカつく。
だが!だからと言ってオレが殺される筋合いはないだろう!
迫る鋏の切っ先に、冷や汗がたらりと頬を伝ったのがわかった。

「は……、ビビったかクソガキ。安心しろよ、一瞬で終わらせてやる」
「安心できねぇだろぉ!」
「うるせぇ」
「ぐっ!」

確実に喉を狙って突き出された鋏をギリギリで避ける。
一応、前世と変わらず体を鍛えていて良かった。

「チッ!逃げるなガキィ!!」
「逃げるに決まってんだ、ろっ!」

次々に襲い掛かる刃を兎に角避ける。
だが、このままだとすぐに、体力が尽きて殺される。
かといって使用人を呼ぶわけにもいかない。
使用人に見つかったらこの男は間違いなく切る。

「すばしっこいな……」
「っ……!!」

頬を掠る。
鮮血が飛び散る。
血、血、血、オレの血。
真っ赤な血が、オレの本能を揺さぶる。
反射的に、近くにあった花瓶を引っ掴みぶん投げた。

「!?」

相手が怯んだ隙に、近くの部屋に飛び込む。
ここは……、掃除用の倉庫か。
バキッと扉を蹴破る音を耳にして、同時にオレは小振りな箒を掴む。

「なんだぁ?戦うつもりか?」
「……」

馬鹿にした様子の男を前に、浅く息を吐く。
乾いた唇を舌で濡らす。
よし、大丈夫。
オレはやれる。
前世では、こんなガキの頃に、本気で殺そうとする奴と対峙したことはなかったけれど、大丈夫。

「……、来い」
「…………」

雰囲気が、変わった。
相手がその事に、少なからず動揺したことを感じとる。
だがその動揺も、即座に消えた。
相手は、相当の強者だろう。
空気が、これ迄になく張り詰める。
まるで時が止まってしまったようだった。
1分か、いや5分は経ったように感じた。
その実、過ぎたのは精々5秒程度なんだろうけど。
初めに動いたのは男の方だった。
徐に、オレに向かって、鋏を、投 げ た 。

「っく!」

何とか、避ける。
その間も男から目は離さない。
伸ばされた手を箒の柄で払いのける。
奴の目が少し見開かれたのが分かった。
そして同時に、もう片方の手が奴自身の懐に伸ばされたのも。
来るっ!
床ギリギリまで身を下げると、先程までオレの体があった場所を鋏の刃が通過していった。
体が小さく力のないオレの利点は、素早く動けること、そして的として小さいこと。
小さな的は、地面を蹴り、素早く敵の懐に潜り込む。
小振りの箒で良かった。
そして相手がでかくて良かった。

「ゔらあ゙ぁっ!!」
「チッ!」

箒をオレに覆い被さるような形になっている男の鳩尾に突き刺す。
しかしそれは寸でのところで、体を捻られ躱される。
箒の柄は脇腹を掠めるだけに終わった。
不発に終わった突きも、無駄にする気はない。
両手で掴んだ箒をクルリと回転させ、今度は掃く部分で男の顔を狙う。

「いっ!テメッ……!!」

男が顔を庇い、腕で箒を滅茶苦茶に振り払う。
勿論その力にオレが叶うはずもなく、箒が吹っ飛んでいった。
男がニヤリと笑うのがわかる。
畜生、余裕だな。
オレにはそんな余裕はねぇよ。
怒りを込めて、腕を突き出す。
勿論、手は2本の指を揃えて伸ばして、男の目を狙って。
脚は思いっきり地を蹴る。
あと少しで指が目に届くかというところで、しかしその手は、寸前で男に捕まえられる。
そしてオレはその勢いのまま男に突っ込んでいく。
男の肩が目の前に迫ってきて、反射的にオレは、その皮膚に噛みついた。

「うっぐぁ!」

突き立てた歯が肌を破き、鉄錆の臭いと味が口腔に広がる。
鋭い刃物に切られたことなら、男もきっとあっただろう。
だが肉を歯で深く噛まれるなんて、経験したことはないだろう。
痛みに呻き、男が腕を振り回す。
それにより弾き飛ばされたオレは、何とか体勢を立て直して着地する。
壁際ギリギリ。
ぶつからなくて良かった。
そして気付く。
その壁に初めに男がぶん投げた鋏が突き刺さっていることに。

「っだぁ!」

力任せに鋏を引き抜く。
それを直ぐ様振り返り、オレに向かって襲いかかろうとしてきていた男にまた、ぶん投げた。
気付いた男が咄嗟に避ける。
そうなることは見越していた。
端から当たるとは思っちゃいねぇ。
さっと近寄り、男が鋏を降り下ろす前に、高く上げた足で、思いっきり、蹴った。
……何をって、まあつまり、ナニを。

「グフッッッ!!!??」

一度呻き声を上げた男は、その後は無言で地面に倒れ伏し、動かない。
ディーノに教えられた痴漢撃退法だったのだが、まさか転生した先で使うことになるとは思わなかった。

「勝った……!!」

男が起き上がらない内に、辺りを探して紐を発見し、それで縄脱けできないないように縛った。
それでもって男の懐を探る。

「……うわっ、こいつどんだけ懐に鋏忍ばせてんだぁ!?」

ちょっと引くほどの量が出てくる。
いや、鋏携帯してる時点でもう、かなり引いてたけれど。
大方取り出すと、適当なごみ袋に入れて遠くに置く。
序でに数本拝借しておいた。
これからまた狙われることも多くなるだろうし。
しかしどうするか。
このまま放っておくわけにもいかないし。
かといって使用人に妖怪の処理を頼むのもなぁ。
捕らえた妖怪男の処分に考えを巡らせるオレの耳に、突如、変わった音が届く。

―― パチッ、バチチッ

ハッと、体を翻したその瞬間、オレの耳を、何かが掠めた。

「いった……!な、これはぁ……!?」

オレの目が捕らえたもの、それは、いつのまにか自由の身になり、そしてその背後に電流の輪っかを背負う、男の姿だった。

「ゆ、るさねぇぇえ」

地を這うその声に、自分の甘さを痛感する。
妖怪をなめていた!
奴を縛っていた紐は電流に焼け焦げて、既にただの燃えカスになっている。
ゆらりと一歩踏み出した男に、オレは弾かれたようにドアを開け、外に走り出していた。

「待てやぁあ!クソガキィイ!!」

追いかけてくる声が徐々に近付いてくる。
持ちうる技術、経験をフルに使いながら、背後から次々に飛んでくる電撃を避け、兎に角逃げた。
もうどこを走っているのかもわからない。

「とっとと捕まったらどうなんだ、あ゙あ?」

そんなことはごめん被る。
そしてオレが廊下の角を曲がろうとしたときだった。

「おい、騒がしいぞ茨木童子。何をしておる」

ひょっこりと、廊下の角から乙女が現れる。
そして乙女の存在に気付く直前に、男は電撃を放ってしまった。

「なっ!?」

乙女に向かって、雷の矢が飛んで行く。
それを驚いたような顔で見る乙女。
乙女がいることに驚き瞠目する男。
全てがスローモーションに見えた。
矢が、乙女に迫る。
脳裏に、血の色がフラッシュバックする。
このままでは、乙女が、死んでしまう。

「ゔお゙ぉおおっ!!!」

叫びながら、乙女に向かって駆け出していた。
人差し指に嵌めていた、リングが煌めく。
守らなければ、その思いだけが全身を支配し、気づけばオレの体と目の前の空間を、真っ青な炎が満たしていた。

「乙女に……、妹に何しやがるっ!!」

覚悟もなにも、決めるのは結局、咄嗟の行動なのだろう。
覚悟を決めると予定していた、その日よりもずっと早くに、オレはリングに炎を灯すこととなってしまった。
世の中とは、ままならぬものだ。
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