×ぬら孫

「良いわよ!任せなさい!」
目の前で胸を叩いてそう言った女性に、若干の不安は拭えなかったが、素直に頭を下げた。
夕方から明け方まで走り回って、流石に身体中汗だくになった為、シャワーを浴びさせてほしいと頼み込んだ結果、女湯を見張りつきで使わせてもらうことになった。
昨晩のあれだけの騒ぎの後、昼間の奴良組はしんと静まり返っている。
その中で一人だけぴんぴんしている女性が、この若菜さんという人だった。
たしかこの人は、奴良リクオの母親?
ほんわりとした雰囲気がどうにも……沢田奈々を思い出す。
何となく、やりづらさを感じるけれど、世話になる以上失礼な真似は出来ない。
彼女に連れられて大浴場へと入り、さっとシャワーを浴びてすぐに出た。
湯船につかるのは、流石に少し気が咎めたけれど、出てすぐに顔を合わせた若菜さんは『もっとゆっくりすれば良かったのに』と朗らかに笑って言った。
「いえ、待たせているのに、のんびりは出来ないので」
「やあね、そんなこと子供が気にする必要はないのよ」
「……そう、ですか。じゃあ機会があったら、次はそうします」
「ええ!是非そうしてちょうだい♪︎」
「……どうも」
明日からはホテルを取るつもりだから、もうこうして見てもらうことはないけれど、大人しく頷いておいた。
下手に反発して長引かせるのも嫌だ。
「珍しく大人しかったじゃねーか」
「……普通だろ」
近くの部屋で待っていたらしい竜二が、からかうように声をかけてきたけれど、それにぶっきらぼうに返すしか出来なくて、風呂上がりの湿った髪にバスタオルを被せて、用意されていた部屋に帰った。
「今夜はホテル泊まるからな」
「それは願ってもないが……何かあったか?」
「……嫌なこと、思い出しただけだぁ。すまん、何でもない」
「?」
不審そうに見られているのはわかるけれど、上手く誤魔化す事が出来なかった。
母親というものに対して、自分が余りにも不馴れで、目の前にするとどうにも居心地が悪くなる。
嫌いなわけでも、特別好きなわけでもないけれど、相手の優しさに対する正解がわからない。
ぱちっと己の頬を叩いた。
まだしばらくは、奴良組との接触を断つことはできない。
しっかりしろと、活をいれる。
この後もまだやることがあるのだ。
「早く寝よう」
「……なんでオレとお前が同室なんだよ」
「緊張して眠れねぇかぁ?」
「うるせぇ。他人と同室なのが嫌なんだよ」
ぶつぶつと文句を言う竜二を背にして、布団を深く被って寝た。


 * * *


奴良リクオの意識が戻ったのは、倒れてから一日半程経っての事だった。
ホテルで実家への連絡を済ませてから、竜二に急かされて奴良組へ向かう。
タクシーが門に着けて、オレ達は二人揃って一度降りる。
このまま駅に向かうつもりなので、タクシーには待って貰うことにした。
事前に、若菜さんには息子を借りることは伝えてある。
準備は出来てるはずだ。
ただ、呼びに行くのは竜二に頼んだ。
オレは一人、門の前に立って気を研ぎ澄ませる。
「話かぁ?それとも、闇討ちかぁ?」
「お?まさかとは思うたが、儂に気付くとはのう」
その気配は、何の隠れる場所もない門のど真ん中へと、唐突に姿を現したようだった。
自分の胸ほどの身長の、長い頭をした爺さん……ぬらりひょんと呼ばれる、百鬼の主がそこにいた。
気配があった訳じゃない。
けれどそこに何かが居る以上、空気の流れは変わるし、音を全て消すことは至難の技だ。
「前に見た時とは随分と装いが違うのう」
「……表に出る時は髪や目は隠している。目立つからなぁ」
今は黒い短髪のウィッグを被り、目にはカラーコンタクトを着けて、さらに仕事用のスーツを着ている。
確かに、あの夜の装いからはほど遠い。
「これがオレの昼の正装。あの姿は夜の正装ってところだぁ」
「ほぉう。あんたなんだか、うちの孫に似ておるのう」
「……はあ?きしょいこと言ってんじゃねぇよ、クソジジイ。オレを何の準備も下調べもなく敵地に突っ込む馬鹿と一緒にすんじゃねぇ」
「はっ!そりゃ確かにその通りじゃな!」
ジジイはどうやら、話をしに来ただけらしい。
敵意はなく、けれどこちらの射程には決して踏み要らない。
流石に戦い慣れてやがる。
面倒癖ぇジジイ……、結局こいつは乙女を傷付けたわけではないし、単純に嫌いではあるが、だからと言って今すぐ殺したいって訳じゃあない。
「何しに出てきたぁ?」
「なに、たまには若者とも話をしたいと思ってのう」
「嘘吐け。孫のために敵情視察とでも言われた方が説得力がある」
「そんなことせんわい。リクオの決めた戦いの始末は、あいつ自身がつけることじゃしのう。……少し、お前さんを見ておきたいと思ってな。お前さん、随分と変わった人間だと思ったが、いやはや、なるほどのう……混ざっとるのか」
「混ざっている……?」
「ん?気付いてなかったのか?妖怪じゃよ、妖怪。お前さんのずっと昔の先祖に妖怪がいたんじゃろ。ほんの僅かにだが、その気配を感じるぞ。薄すぎて、若い奴じゃあ気付けんかもしれんがの」
「……先祖に、妖怪」
ああ、それを見極めるためにわざわざ出てきたってのか。
先祖に妖怪……そう言えば、鬼崎家の成り立ちをずっと前に聞いたような気がする。
この眼や髪の色は、その先祖返りなのだとも……。
「……それで、それがなんだよ」
「お?思ったより冷静じゃの」
「慌てると思ったかぁ?こんなことで慌てる奴が、羽衣狐の兄貴だなんだと名乗るわけねぇだろぉ」
「わっはっは、その通りじゃな!要らん心配をした。お主が妖怪と人との子孫というなら、リクオのように何か悩んどるんじゃないかとも思ったんじゃが」
「オレは、オレだろ……。そもそもうちの家業は妖怪だなんだとは関係ない商業だぁ。人として育てられてるし、今さら悩むも糞もねぇ。余計なお世話だクソジジイ」
「そりゃ悪かったな。ほれ、詫びに飴ちゃんをやろう」
「いらねぇ、死ね」
「反抗期じゃのう」
要は、人との間に子を成したものとして、見過ごせなかったのだろう。
そう当たりを付けたら、余計にそのお節介がうざったく思えてきた。
似た境遇だろうと、他人の事情だ。
助けを求めたわけでもないのに、偽善者面して手を出してきて……。
「ハッキリ言ってあんたも孫も嫌いだ」
「残念じゃのう。あんたみたいな面白い奴がうちの組に居たら、さぞかし心強いだろうに」
「頭下げられてもごめんだなぁ。オレはオレで上手く折り合い付けて生きてる。我が物面で踏み込むんじゃねぇよドカス」
この生まれ持った肉体も、この不可思議に転生などしやがった魂も、それ故の悩みも、それ故の拗れも、不便も、全てはオレのもので、こいつらに手を出されるものじゃあない。
一睨みして低く唸れば、怖い怖いと嘯いて、再びその気配が霧散していく。
それとタイミングを合わせたかのように、玄関から四つの影が出てきた。
竜二と人間姿の奴良リクオ、後の二人は百物語組討伐の時にもいた、たぶんだけど雪女と鎌鼬だ。
「遅かったなぁ」
「……?どちらの方です?」
「どいつもこいつも……人の事を髪の色でしか見てねぇのかぁ?」
「あれ、もしかして……銀色さん!?」
「姿が違う……。まさかお前、妖怪だったのか?」
「まあそうなるだろ」
「……くそうぜぇ」
わいのわいのと五月蝿いガキどもを引き連れて、オレ達は駅へと向かったのだった。
84/88ページ
スキ