×ぬら孫

「っ……滲みる」
奴良組本家にて、鴆に捕まり連れてこられた部屋の隅に座って、大人しく治療を受ける事となった。
あの御門院という一族の男に攻撃された時に、ギリギリで抜け出せたとは言え、首に浅く切り傷を受けていたのだ。
既に血も止まっていたし、そう深いものでもない。
とは言え、医学に携わるものとしては放っておけなかったらしい。
傷口を洗浄して、消毒液を塗られていく。
当然、めちゃくちゃ滲みるものだから、思わず文句を口にしてしまう。
「文句言うな!ったく、京都でも思ったが、お前は怪我することに躊躇いが無さすぎだ」
「……すまん」
「謝るんなら、出来るだけ怪我は減らしてほしいもんだな。……よし、一先ずこんなとこだろ。毎晩消毒して包帯変えるのを忘れなければ、すぐに痕も残らず綺麗に治るぜ」
「傷痕くらい、別に……もう身体中に残ってるしなぁ」
「お前な……」
ちらりと周囲を見回して、誰もこちらを注目してないことを確認すると、鴆は声を潜めて話し出す。
「女ってのはそう言うの、気にするもんじゃあないのかい」
「オレが今さら気にするとでも?」
「そりゃあんたはそうかもしれんが……。せっかく綺麗な肌なんだから、そう無頓着なのもどうなんだよ」
「綺麗な肌って……」
口説いてるのかと茶化そうとしたが、どうやら相手は至って真剣な様子で、反論する気も失せて、口を閉じた。
なんて返すべきか。
相手が本気で心配してくれているのがわかる以上、どうにもいつも通りにはやりづらい。
「……気を付けるよ」
「おー、そうだな!」
その答えに満足したのか、にかっと笑った鴆は唐突にオレの頭を抑えて……ああ、これ撫でてるのかな。
ぐいぐいと押されるように撫でられ、こういうのは逆らわない方がいいと祖父に学んでいるオレは、しばらくそのまま好きにさせてやった。
「ああそうだ、二條城の怪我、あれも後で診てやるから、他の治療が終わったら呼びに行く。それまでちゃんと屋敷ん中で大人してろよ」
そう言えば、治りきらない内にこいつは帰ったんだったっけか。
気になるだろうけど……オレの腹には今あまり見られたくないものが……、…………あれ?
ばっと腹を押さえる。
違和感……いや、ここ最近あり続けた違和感が消えたという違和感。
腹の中でぐるぐると渦巻いていた鈍い痛みや熱さのようなものが、いつの間にか、消えている。
どうした?と聞いてくる鴆を余所に、東京に来てからここまでの記憶を頭の中でさらっていく。
深川地下水路の辺りで心当たりの出来事にぶち当たり、そしてオレはそのまま頭を抱えた。
「や、やらかしたぁ……!」
「体調不良、ってわけじゃあないのか?」
「違うけど……違う、が……う゛お゛おぉ……」
悲しいかな、『解呪方法解明の為にわざわざ腹に飼っていた呪い』は、オレのうっかりによって完全に消えてなくなってしまったのであった。



 * * *



「この……ド阿呆が!」
「あ゛ぁ!?うるせぇよ!」
「オレからも言わせてもらうぞ。お前は馬鹿か!」
「うるせぇっての!」
夜も更けた頃、鴆という妖怪に人のいない部屋まで連れてこられて、ぶすくれる鬼崎と引き合わされる。
そこで話された内容に、オレは思わず頭を抱えて鬼崎を罵倒した。
コトリバコの怪異に遭遇して以来、鬼崎の体にはその呪いが宿り、命を蝕み続けていた。
鬼崎自身が奴の能力を応用して、その呪いに対抗はしていたようであるが、解呪することは能わず。
ゆらにも命じて、ずっとその経過を診させていたが、どうやらオレは奴に一杯食わされていたらしい。
「お前、自分が呪いから逃れる方法をわかってて黙ってたんだな。式の狐を使って男に化ければ、呪いの効果がなくなること、お前なら考え付かないはずがない」
「……偶然解けただけだ」
「嘘つくな。お前の性格考えたらわざと黙ってた事くらいわかる」
「別にお前らに迷惑は掛けてないだろぉ」
「迷惑がどうのって問題じゃねーだろ!」
「あー、取り敢えず二人とも落ち着け」
「……」
「……はー、クソ」
妖怪に宥められたところで、馬鹿らしくなってため息を吐きながら畳に腰を下ろした。
まったく、役に立つかと思えば突然こうして厄介事を起こしやがる。
オレは監視役であってお守役じゃあないってのに……。
「なあ銀色よう。お前さん、なんでそんな大変な呪いを、わざわざ自分から抱え込むような真似したんだ?」
「……コトリバコは、圓潮の仕業とは言え噂が現実になって出来た怪異だ。もし解呪の方法がわかれば、今後同じ怪異が発生した時に役立つだろぉ」
「……だからって自分の命を危険に晒す馬鹿がいるかよ」
「ここにいるだろ」
「テメーな……」
「いちいちいがみ合うなっての!」
周りの人間の気持ちなど、こいつはまるで意にも介さない。
正直、オレ達花開院からしてみれば、戦力が減ることは惜しいが、いつ裏切るかもわからない奴が消えるデメリットはあまりない。
けれど助かったかもしれない人を死なせて、気分よく過ごせる人間はあまりいないだろう。
ああもう、面倒くせぇ。
こいつは賢いのだと考えていたが、案外そうでもないらしい。
「とにかく、呪いだなんだってのは根が深い。銀色は今のところ何もないようだが、いつまた異変が現れてもおかしくない。おかしいと思ったらすぐにこいつに言え。隠すなよ」
「……わかった」
「お前にはこれを渡しとく。役に立つかはわからねぇが、呪いを退ける薬効がある……らしい」
「らしいって……」
「悪いが呪いってなるとオレも詳しくなくてな。リクオの呪いは解けてたから使ってねえし、どれ程効果があるのかは使わなければわからねぇ。ま、御守り代わりってとこだが、ないよりゃマシだろ」
放り投げられた包みを受け取って、まじまじと見定める。
名前も何も書かれていない小さな包み紙だ。
傾けるとさらさらと粉が動く音が聞こえる。
癪ではあるが、ここはありがたくいただくことにした。
「あんたら、リクオに話があってきたんだろ?まだしばらくは起きねえだろうからな。今日は一先ず泊まっていけよ。本家の奴らにはオレから話しておいてやるからな」
「助かる」
ホテルはこちらに来て取るつもりだった。
今からビジネス街に出てチェックインするのは時間的にも難しそうだし……何より疲れきった体にはかなり億劫に思える。
頷いて、部屋を出るために立ち上がる。
初めに部屋を出ようとした鴆が、しかし部屋を出る前に袖を掴まれて立ち止まった。
掴んでいるのは、当然鬼崎だ。
「あん?どうかしたか?」
「……シャワー、浴びたい」
「……む、参ったな。本家にゃ大浴場しかないぞ」
しばらくの沈黙があり、さてどうするかとまた、三人揃って頭を抱えたのだった。
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