×ぬら孫
痣の横に定規を当てて写真を撮る。
データを借りたパソコンに取り込んで、もらった報告書の様式に張り付けたり、その隣に言われた通りあれこれと書き込んでいく。
「報告書の基本は、正確な数字だぁ」
「痣の大きさとか?」
「そう。他にも、起点日から何日が経過しているかや、今回の場合は体温の変化や、当日の気温、体調の変化……」
「うぇ~……そんなことまでやらなあかんの?」
「判断材料は多く詳細な方がいい。未知の呪いだぁ。解呪方法が分かるかもしれないし、とにかく気になったことは全部書け」
「わ、わかった」
流石は社会人というか、会社で働くだけあって、こういった書類の書き方はよく知ってるらしい。
横に座って指示を出す鬼崎は、私が人差し指でキーボードを打っていくのを見ながら、頬杖をついてお茶を啜っている。
「ふむ……まずはキーボードに慣れないとだなぁ」
「あーもう無理や!あんた代わりに打ち込んで!」
「仕方ねぇなぁ」
今日だけだぞ、の言葉と共に、私の前からパソコンが取り上げられる。
これがうちのお兄ちゃんだったら絶対代わってくれなかった。
何だかんだでこいつは良い奴なのかも、と思ったけれど、すぐに頭を振ってその考えを追い出した。
相手は羽衣狐の身内だ。
油断しちゃダメなのに。
「それで、陰陽師殿の所見はぁ?」
「はえ?しょけんって……」
「呪いを見てどう思ったか」
「あ、えと、う~ん……」
所見、何て言われても、私は専門家じゃないし、呪われてるのはわかっても、現状の進行度とか、どのくらい危険な状態なのかとかはわからない。
「やっぱ私やなくて兄ちゃん達に聞いた方がええんちゃうん?」
「性別知られたくない」
「そもそもそれが問題やん!何でそんなに隠すの!?別に誰もあんたんこと馬鹿にしたり怒ったりせんし……」
「……お前らはそうだろうなぁ」
「はあ?」
カタカタとキーボードを叩く音だけが聞こえる。
鬼崎は答えない……というより、なんて答えれば良いか困ってるように見える。
「鬼崎?」
「……だいたいの人間は、お前達よりも酷いことを考えるものなんだよ」
「何やそれ……適当言って誤魔化そうとしてへん?」
「そういう訳じゃねぇさ。あ゛あ~……何と言うか、そうだなぁ……」
考え込む素振りは見えるけれど、キーボードの打鍵音は途切れない。
すごいな、と思いつつも、真面目に答える気があるのか疑わしくて、イライラと答えをせっつく。
「だから何なん?」
「女ってさ、弱いと思われるんだよなぁ。強いと知ってるはずなのに、女だってわかると何故か、倒せるとか、服従させられるとか、征服できるとか、そんな風に思っちまう奴がいる」
「そんなこと!」
「ないと言えるかぁ?」
「……」
私が破軍を出して、次の跡取りはゆらだって言われるようになってから、私の周囲は今までと少しだけ変わった。
お兄ちゃんも、秋房兄ちゃんも、他の兄ちゃんも別に何も言わなかったけど、本当は影で私の悪口を言っている人がいるってことを知ってた。
まだ子どもだったから、歳上の兄ちゃん達のがすごい術を使えてたし、私が跡継ぎに相応しくないって思われるのは仕方なかったと思う。
でもある日、『女の癖に』って悪口を聞いた時は、何でそんな風に言われないかんのか分からなくて、理解も何も出来ないまんま、部屋に戻って呆然としてた。
「だからって、死ぬかもしれないのに隠したまんまなのは、わからん」
「……そうだな。でも、オレは、敵地のど真ん中にいるようなものだからよぉ」
「っ」
「見せる弱みは、少ない方がいいだろぉ」
弱みと呼んだそれは、本当はこの人だって当たり前に享受出来るべきものなのに。
そんなことが弱みになる方がおかしいはずなのに。
「そんなん……おかしい……」
「……そーだな」
キーボードの音が止まって、頭の上に手のひらが乗せられる。
ぽんぽん、と二回叩かれて、『他の奴には話さないでくれよ』と頼まれる。
それでこの話は終わり。
私とお兄ちゃんが、勝手にこの話を家の人達にすることは出来る。
出来上がった報告書を印刷させてもらって、一緒にもらったファイルに綴じた。
「また明日、同じ時間に来るから、ちゃんと待っとってな」
「わかったよ。じゃあなぁ」
鬼崎はもう仕事に戻ってしまって、背中を向けたまんまで手を振っている。
私は部屋を後にして、真っ直ぐにお兄ちゃんの部屋に向かった。
「……お兄ちゃん?おる?」
「入れ」
お兄ちゃんは何か読み物をしていたみたいで、それを閉じながらこっちを向く。
「あの人、ほんまに大丈夫なん?」
「……本人はそう言ってる。本来あの呪いは即死だ。それを受けてまだ生き永らえてる以上、その言葉を信じるしかねぇ」
お兄ちゃんが見ていた本の表紙が見える。
どうやら呪いに関する本みたいで、でもそれを見ても今の状態を解決する手段は見付からなかったみたいだ。
お兄ちゃんもだいぶ参ってるらしかった。
解決方法なんて、新手の怪異で呪いなんだから、そう簡単に見付かるわけもない。
それも、呪われた本人と、門外漢の私ら二人だけで。
「他の人等にも話して、考えてもらう?」
「……やめておいた方がいいかもしれん。アイツは恨みを買いすぎてる」
「でも!」
お兄ちゃんも、あの人の性別を隠すつもりみたいで、納得いかなくて声を荒げてしまう。
いつもなら、私を馬鹿にしたり怒ったりするお兄ちゃんは、今日はいやに神妙な顔してこっちを見てくる。
「既に何度か、アイツの部屋に殴り込み掛けた馬鹿もいる。……別にうちの連中がそうだと言うつもりもないが、女相手にだけ強気に出るような人間もいる。火種を増やすのは避けた方がいいだろう」
「……」
言ってることはわかる。
でも、悔しくて、ぎゅっと浴衣を握り締めた。
そういう人も居たって聞いてたけど、だからって助けられるかもしれない命を、このまま放っておきたくない。
でも……ダメなんだろうか。
私達じゃ、どうしようもないんだろうか。
「オレだって奴を見殺しにする気はない。奴は羽衣狐の身内だが、オレ達が護るべき人間でもある」
「え」
お兄ちゃんがぼそりと呟いた言葉に驚いて、間抜けな声が飛び出した。
ずっとずっと、あの人は敵だと思ってたから、助けたいと思う自分に、実は自信が持てなかった。
今、こうして伸ばそうとしてる手は、間違いなんじゃないのかって。
そうか、あの人も私達が護る『ひと』の一人なんだ。
ちょっとだけ心が軽くなったような気がした。
「異常が現れればその時はやむを得ない。陰陽師連中かき集めてでも解呪方法を探す。だがそれまでは、オレとお前であの呪いを徹底的に調べる。いいなゆら」
「わ、わかった!」
私達は人を護る陰陽師だから。
だからあのひねくれた鬼崎の事だって、全力で護ってやるのだ。
データを借りたパソコンに取り込んで、もらった報告書の様式に張り付けたり、その隣に言われた通りあれこれと書き込んでいく。
「報告書の基本は、正確な数字だぁ」
「痣の大きさとか?」
「そう。他にも、起点日から何日が経過しているかや、今回の場合は体温の変化や、当日の気温、体調の変化……」
「うぇ~……そんなことまでやらなあかんの?」
「判断材料は多く詳細な方がいい。未知の呪いだぁ。解呪方法が分かるかもしれないし、とにかく気になったことは全部書け」
「わ、わかった」
流石は社会人というか、会社で働くだけあって、こういった書類の書き方はよく知ってるらしい。
横に座って指示を出す鬼崎は、私が人差し指でキーボードを打っていくのを見ながら、頬杖をついてお茶を啜っている。
「ふむ……まずはキーボードに慣れないとだなぁ」
「あーもう無理や!あんた代わりに打ち込んで!」
「仕方ねぇなぁ」
今日だけだぞ、の言葉と共に、私の前からパソコンが取り上げられる。
これがうちのお兄ちゃんだったら絶対代わってくれなかった。
何だかんだでこいつは良い奴なのかも、と思ったけれど、すぐに頭を振ってその考えを追い出した。
相手は羽衣狐の身内だ。
油断しちゃダメなのに。
「それで、陰陽師殿の所見はぁ?」
「はえ?しょけんって……」
「呪いを見てどう思ったか」
「あ、えと、う~ん……」
所見、何て言われても、私は専門家じゃないし、呪われてるのはわかっても、現状の進行度とか、どのくらい危険な状態なのかとかはわからない。
「やっぱ私やなくて兄ちゃん達に聞いた方がええんちゃうん?」
「性別知られたくない」
「そもそもそれが問題やん!何でそんなに隠すの!?別に誰もあんたんこと馬鹿にしたり怒ったりせんし……」
「……お前らはそうだろうなぁ」
「はあ?」
カタカタとキーボードを叩く音だけが聞こえる。
鬼崎は答えない……というより、なんて答えれば良いか困ってるように見える。
「鬼崎?」
「……だいたいの人間は、お前達よりも酷いことを考えるものなんだよ」
「何やそれ……適当言って誤魔化そうとしてへん?」
「そういう訳じゃねぇさ。あ゛あ~……何と言うか、そうだなぁ……」
考え込む素振りは見えるけれど、キーボードの打鍵音は途切れない。
すごいな、と思いつつも、真面目に答える気があるのか疑わしくて、イライラと答えをせっつく。
「だから何なん?」
「女ってさ、弱いと思われるんだよなぁ。強いと知ってるはずなのに、女だってわかると何故か、倒せるとか、服従させられるとか、征服できるとか、そんな風に思っちまう奴がいる」
「そんなこと!」
「ないと言えるかぁ?」
「……」
私が破軍を出して、次の跡取りはゆらだって言われるようになってから、私の周囲は今までと少しだけ変わった。
お兄ちゃんも、秋房兄ちゃんも、他の兄ちゃんも別に何も言わなかったけど、本当は影で私の悪口を言っている人がいるってことを知ってた。
まだ子どもだったから、歳上の兄ちゃん達のがすごい術を使えてたし、私が跡継ぎに相応しくないって思われるのは仕方なかったと思う。
でもある日、『女の癖に』って悪口を聞いた時は、何でそんな風に言われないかんのか分からなくて、理解も何も出来ないまんま、部屋に戻って呆然としてた。
「だからって、死ぬかもしれないのに隠したまんまなのは、わからん」
「……そうだな。でも、オレは、敵地のど真ん中にいるようなものだからよぉ」
「っ」
「見せる弱みは、少ない方がいいだろぉ」
弱みと呼んだそれは、本当はこの人だって当たり前に享受出来るべきものなのに。
そんなことが弱みになる方がおかしいはずなのに。
「そんなん……おかしい……」
「……そーだな」
キーボードの音が止まって、頭の上に手のひらが乗せられる。
ぽんぽん、と二回叩かれて、『他の奴には話さないでくれよ』と頼まれる。
それでこの話は終わり。
私とお兄ちゃんが、勝手にこの話を家の人達にすることは出来る。
出来上がった報告書を印刷させてもらって、一緒にもらったファイルに綴じた。
「また明日、同じ時間に来るから、ちゃんと待っとってな」
「わかったよ。じゃあなぁ」
鬼崎はもう仕事に戻ってしまって、背中を向けたまんまで手を振っている。
私は部屋を後にして、真っ直ぐにお兄ちゃんの部屋に向かった。
「……お兄ちゃん?おる?」
「入れ」
お兄ちゃんは何か読み物をしていたみたいで、それを閉じながらこっちを向く。
「あの人、ほんまに大丈夫なん?」
「……本人はそう言ってる。本来あの呪いは即死だ。それを受けてまだ生き永らえてる以上、その言葉を信じるしかねぇ」
お兄ちゃんが見ていた本の表紙が見える。
どうやら呪いに関する本みたいで、でもそれを見ても今の状態を解決する手段は見付からなかったみたいだ。
お兄ちゃんもだいぶ参ってるらしかった。
解決方法なんて、新手の怪異で呪いなんだから、そう簡単に見付かるわけもない。
それも、呪われた本人と、門外漢の私ら二人だけで。
「他の人等にも話して、考えてもらう?」
「……やめておいた方がいいかもしれん。アイツは恨みを買いすぎてる」
「でも!」
お兄ちゃんも、あの人の性別を隠すつもりみたいで、納得いかなくて声を荒げてしまう。
いつもなら、私を馬鹿にしたり怒ったりするお兄ちゃんは、今日はいやに神妙な顔してこっちを見てくる。
「既に何度か、アイツの部屋に殴り込み掛けた馬鹿もいる。……別にうちの連中がそうだと言うつもりもないが、女相手にだけ強気に出るような人間もいる。火種を増やすのは避けた方がいいだろう」
「……」
言ってることはわかる。
でも、悔しくて、ぎゅっと浴衣を握り締めた。
そういう人も居たって聞いてたけど、だからって助けられるかもしれない命を、このまま放っておきたくない。
でも……ダメなんだろうか。
私達じゃ、どうしようもないんだろうか。
「オレだって奴を見殺しにする気はない。奴は羽衣狐の身内だが、オレ達が護るべき人間でもある」
「え」
お兄ちゃんがぼそりと呟いた言葉に驚いて、間抜けな声が飛び出した。
ずっとずっと、あの人は敵だと思ってたから、助けたいと思う自分に、実は自信が持てなかった。
今、こうして伸ばそうとしてる手は、間違いなんじゃないのかって。
そうか、あの人も私達が護る『ひと』の一人なんだ。
ちょっとだけ心が軽くなったような気がした。
「異常が現れればその時はやむを得ない。陰陽師連中かき集めてでも解呪方法を探す。だがそれまでは、オレとお前であの呪いを徹底的に調べる。いいなゆら」
「わ、わかった!」
私達は人を護る陰陽師だから。
だからあのひねくれた鬼崎の事だって、全力で護ってやるのだ。