×ぬら孫

「ゆら、ちょっと来い」
『件』について会議した日、夕方にお兄ちゃんに呼び出された。
相も変わらず無作法に、ノックも呼び掛けもなく部屋を開けて、こっちの都合も聞かずに振り回す。
「ちょ……行きなりなんなん!?」
「ついてこい」
いつも通り、行き先も告げずに連れ出されて、お風呂上がりで浴衣姿なのに、こっちの様子などお構いなしだ。
「ちょお待って!どこ行くの!?」
「一つお前に仕事がある」
「え」
こういう、いやに口数少なく、こっちも見ずにいるお兄ちゃんは、ちょっと面倒……というよりも、厄介事の気配がする。
連れていかれたのは、あの嫌な奴……じゃなくて、鬼崎鮫弥、羽衣狐の兄だと名乗ったあの変人の部屋だった。
「鬼崎、入るぞ」
「……どうぞ」
「……?」
あれ、と疑問が浮かぶ。
前は私の部屋に入るのと同じように、ノックも呼び掛けもなく、平気で勝手に襖を開けて入ってた。
今日はどうして、わざわざ声をかけて入ったんだろう。
律儀に返事を待ってから襖を開けて、二人で揃って入室する。
部屋の中には鬼崎一人が机の前に座っていて、別段いつもと変わったところはない。
机の隅には、高校のノートや教科書が重ねておいてあり、けれど机の殆どを占領しているのは仕事道具らしいノートPCや細かい文字の並ぶ書類の束だった。
私達が入るまでも仕事をしていたみたいで、普段は伸ばしっぱなしで遊ばせてる銀髪を、首の後ろで一つに縛っている。
ノートPCを閉じた鬼崎がこちらを振り返り、気だるげな視線を向けてきた。
「次は何だぁ?」
「ゆらに呪いの監視をさせる」
「……移るかも」
「箱周囲には影響を及ぼすが、それが人から人に移った事はない」
「……」
呪い、という言葉に、思わずぎょっとしてお兄ちゃんの方をガン見する。
「の、呪いって……誰か呪われたん?」
「こいつだ」
「へ?」
お兄ちゃんが顎で目の前の奴を指す。
え、じゃあ鬼崎が呪われてるってこと?
その割には元気そうだけど。
チラッとそっちを窺うと、いつも私をからかってくる時の無駄に綺麗な笑顔が向けられている。
このムカつく態度、とても呪われてるとは考えられない。
というか……。
「私、呪いなんてわからんのやけど」
「オレにもわからん。とにかく毎日チェックして異常があれば報告しろ」
「そんなん兄ちゃんが見とけばええやん!」
「……オレは無理だ」
「え?」
何だか、その言葉がお兄ちゃんらしくなくて、戸惑いながらその顔を見上げて、鬼崎の顔と見比べる。
兄ちゃんはいつも以上に不機嫌そうな顔だし、鬼崎はちょっとだけ困ったような顔でこっちを見てる。
「自分で見ておくから必要ねぇよ」
「お前は信用できない」
「なんで?」
「隠し事が多すぎる」
「ほぉ……まあ納得だぁ」
「服脱いでゆらに見せろ。この家にいる日は毎日だ」
「いない日は?」
「……写真とって報告」
「撮った写真何に使うんだぁ?」
「ゆらに送れ!オレは必要ない!」
「えっ、ちょ……兄ちゃん!?」
何故かめちゃくちゃ怒って、お兄ちゃんが乱暴に襖を閉めて出ていく。
部屋には私と鬼崎だけが残される。
危険な奴、だけど、一応向こうから攻撃されたことはないし、そう言う心配はしてなかった。
ただ、呪いといわれても私はそう言うややこしいのは詳しくない。
お兄ちゃんとか、雅次兄ちゃんとかが得意な分野だろうに。
「えーと、じゃあ見せてもらおか?」
「ん゛~?……面倒だし、異常無しで適当に報告しておいてくれよ」
「そんなんしたら私がお兄ちゃんに怒られるやん!良いからはよ見せぇ!」
「ええ~」
渋る鬼崎の服を強引にひっ掴む。
パリッとした新しそうな白いシャツの胸元にシワが寄った。
「ん……」
鬱陶しそうにもどかしそうに長い髪を耳にかけながら、目を伏せて短く吐息を溢す。
一つ一つの動きが妙に色気があるというか、いけないことをしている気分にさせられる。
「で、どこが悪いんや?」
「……ここ」
すっと手を取られて、鬼崎の下腹辺りに指がくっつく。
「ひえっ!」
「ふはっ、ビビってる」
「ビビってへんわボケ!」
「いで」
頭突きを奴のおでこに叩き込み、怯んでいる隙にシャツの下から幾つかボタンを開ける。
インナーを目繰り上げて、呪われたって場所を見る。
声を出そうとして、失敗した喉がひゅうっと空気を吸い込む音だけを吐き出す。
へその下に、拳くらいの痣が出来ていた。
墨汁を溢したみたいに黒い痣からは、確かに邪気が漂っている。
「……どないしたんこれ」
「コトリバコの怪異にやられた」
「あれ女と子どもが死ぬ呪いだったんちゃうの!?てか何であんたがかかってるんや!」
自分は行かせてもらえなかった仕事の一つ。
今回の都市伝説騒動の一つでもある、『コトリバコ』。
女の人と、12歳以下の子を殺す呪いの箱。
自分は女だからと留守番させられていた。
お兄ちゃんすらも、万が一があってはいけないからと、家に待機させられていたはず。
行ったのは確か、雅次兄ちゃんと魔魅流兄ちゃん、そしてこの鬼崎。
呪いを受けてしまった人はみんな死んでしまったと聞いたけれど、女、子ども以外が呪いを受けたという話はなかったはず。
「……逆サバ読んでた?」
「んな訳ねぇだろぉ。ん゛……嘘ついてたのは性別の方」
「あ!」
ぷつぷつとボタンを外して、鬼崎がシャツの前を全部開いた。
包帯?布……かな。
それが胸にきつく巻かれていて、それが膨らみを隠しているらしい。
よく鍛えられてる体だけど、確かに女の人っぽい丸さ、みたいなのがある。
「何で隠してたんやバカ!ちゃんと話せば、私達だって無理に行かせたりしなかったのに……!」
どうしよう、こいつのことは嫌いだけど、死なせたい訳じゃない。
事件の後から聞いたけど、コトリバコの呪いは解くことが出来なかったらしい。
かかる前に防ぐことは出来たらしいけど、一度かかったら手遅れだったって雅次兄ちゃんは話してた。
どんな風にして死んでしまうのか、私はちゃんと聞いてない。
この人のタイムリミットが何時なのかが、私にはわからない!
「や、やっぱ兄ちゃんに話を……」
「竜二には話したぁ。今のところは進行を抑えられてる。だからお前に様子を見るように行ったんだ」
「あ、そ、そうなの……」
説明を聞いて、少しだけ落ち着いた。
ああ、じゃあお兄ちゃんはこの人の性別を知らされたから、『オレは無理だ』なんて言ったんだ。
女の人の肌を見るのは流石の兄ちゃんも……いやちょっと待て、私は全く気遣われたことないんやけど!
「……えっと、今は何ともないんか?」
「問題ない」
「ここ、触っても平気?」
「……優しく触ってね?」
「変なこと言わんで!バカ!」
痣の上に指を乗せる。
指が冷たかったのか、腹がぴくりと筋肉を震わせた。
触った感じにおかしく思うところはない。
ただ恐らくは、この呪いを受けたのは皮膚の表面というよりも、体の内側なんじゃないのかと思った。
「……子宮?」
「正解。思ってたよりは、陰陽師らしいんだなぁ」
「バカにせんといて。私だってちゃんと今まで勉強してきたんやから。お兄ちゃんみたいに頭よくはないけど、これくらいはわかるわ」
「……そうかよ。悪かったなぁ」
「へ?あ、まあ、謝られるほどじゃないけど」
思いの外素直に謝る鬼崎の、何だか疲れたような顔が意外だった。
呪いの経過観察何て言われても、私には何をすれば良いのかはわからない。
けれど、いくら敵でも、ムカつく奴でも、見殺しにして良いなんて思えないから。
「まずはこの呪いについて詳しく教えて。あんたもコトリバコの調査に同行してたんやから、知っとるやろ?」
まずは相手を知らないと。
詳しく聞き出すべく、鬼崎への尋問を始めることにした。
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