×ぬら孫

 鬼崎鮫弥という男がいる。オレと同じ高校へ通い、成績優秀、眉目秀麗、身体能力も高く、女子からの人気もめっぽう高い。
 いけ好かない男だと思っていた。
 苦労など知らないように笑う姿も、もてそやされてもなお、周囲の人々を差別せずに扱う、絵に書いたような善人さも。
 しかし、一皮めくった先に居たのは、狡猾で、冷酷で、なのに酷く一途な男であった。
 あれから何度も病室となっている離れの部屋に足を運んだが、奴はのらりくらりとこちらの質問を交わすばかりで、肝心なことは何も答えない。
 何故、ただ人の身であれほど強大な力を手に入れたのか。
 それに、羽衣狐に対する異様な執着の理由。
 奴が今回の戦いに手を出すに至った動機こそ判明したが、その根本がわからない。
 なぜ妖怪である義妹をそこまで愛した?
 なぜ一介の高校生が、目の前で襲われる陰陽師を見捨てる判断がとれる。
 なぜ、一度話しただけの秋房は助けようとした。
 なぜ陰陽術を扱える。
 なぜ、陰陽術ですらない、あの異様な術を扱える。

「───っ! ……! …………!!」
「?」

 今日もまたあの部屋に向かう。その道中に、誰かの言い争う声が聞こえた。
 騒音の元は、鬼崎の居る部屋らしい。
 後ろに着いていた魔魅流と共に、慌てて部屋に走り寄る。
 だがオレ達が部屋へ飛び込むよりも早く、その中から人影が飛び出してきた。
 自発的に出てきたわけではない。襖を吹っ飛ばしながら、その人影は物凄い勢いで壁へと衝突する。

「ぐああっ!?」
「なっ……」

 見れば、そいつは身内の男で、壁に打ち付けた背中を押さえながら、呻き、咳き込む彼を介抱するために駆け寄りつつ、魔魅流に鬼崎を拘束するように指示を出す。

「くそっ……あの野郎! がはっ、げほ、げほ!」
「落ち着け。それよりも、何故ここに居る。ここは基本立ち入り禁止だぞ」

 部屋の中は静かで、投げ飛ばされた奴の悪態と咳が、人気のない廊下に異様に響く。
 男の顔をよく見ると、こいつが死んだ豪羅の友人だったことを思い出す。
 まさかとは思うが、彼を助けなかった鬼崎への、『復讐』でもしに来たのだろうか。だとしたら、お門違いも良いところだ。
 こいつは陰陽師でもなんでもない一般人。
 無論、おかしな能力を持ち、京妖怪に繋がりを持つ人間である以上は、オレ達花開院が厳しく監視しなければならないが、こいつに人を護る義務はない。

「正当防衛だぞ」

 魔魅流に連れられ、両手を上げて部屋から出てきた鬼崎の、第一声がそれだった。

「豪羅が死んだのはお前のせいだと言って、その男が襲ってきた。それを反撃しただけだぁ」
「お前っ……顔……」

 普段ならすらすらと出てくる言葉は、今回に限っては喉の奥につかえて出てこない。
 視線をあげた瞬間に、奴の顔が目に入る。
 昨日までも、その顔には多少の擦り傷なんかがあったが、ここまで腫れてはいなかった。
 左の頬が赤く大きく腫れ上がり、口の端からは僅かに血が滲み出ている。
 魔魅流は抵抗しないと判断したのか、奴の後ろに立って油断なくその動きを見張っている。
 ちらりと踞る身内に視線を向ける。背中こそ打ち付けちゃいるようだが、怪我自体はほとんど無さそうだ。骨も痛めている様子はない。
 反撃の域を出ない程度の攻撃だったことがわかる。

「お前は……なんで、なんで仲間達を見殺しにした! お前が救ってくれてれば……あいつら皆、死なずに済んだかもしれないのに!!」
「っ、おい落ち着け、暴れるな! くそっ……魔魅流、こいつを止めろ!」
「わかった」
「ぐっ、やめろ! 離せっ、くそォ!!」

 魔魅流に羽交い締めにされ、それでも暴れる男をその場から離れさせる。しばらく離れれば頭も冷えるだろう。
 男を連れていく魔魅流の背中を、鬼崎はぼんやりと見詰めていた。

「おい、こちらの身内が申し訳ないことをした。代わりにオレから詫びさせてもらう」
「……別にいい。お前達の言ってることが……気持ちがわからん訳じゃあねぇしな」
「……」
「なら何故、とでも言いたそうだなぁ」
「……そうだな。高校で見たお前は、そういう非情なことをするタイプには見えなかった」
無論、猫を被っていただけなのだろうが。
「非情かぁ……。どっちかと言うと、なんで助けなかった、とか言うお前らのが非情だろぉよ」
「は?」
「いいかぁ、お前らを助けるってことは、妹と戦うってことだぁ。もしそうなるんだったら、オレはもちろん本気で戦うが、あいつとの力の差考えりゃあ、殺されたっておかしくない。それが故意にしろ、事故にしろ、兄殺しも、妹殺しも、させたくないし、したくない」
「……ああ、確かに、そうなるな」
「場所も悪かった。……秋房達を助けたのだって、随分と無理をしたんだぁ。だいたい、オレは何度も忠告してんだろうがぁ」
「そうだな」

 まあ、結局全ての騒動についてはこいつの言う通りだった。
 こいつにオレ達陰陽師を救う謂れはなく、むしろ一般人を助け続けていたこいつには、感謝をするべきであるのだろう。
 感謝しろなどとは言われないが、本来はそうあるべきなのだ。……だが、あまりにもこいつが強く、異様だから、弱い者達は縋ってしまう。助けられたはずなのにと、求めてしまう。

「本当は、交換材料にしようと思っていたんだがな……」
「あ゛?」
「この式神、お前のだろう」
「あ、紫紺!」

 懐に隠していたものを素直に奴に渡したのは、こちらなりの誠意のつもりであった。
 理不尽に殴られ、拘束されている状況で、素直に洗いざらい話すとも思えない。
 これで少しは態度が軟化すればいい、という下心ももちろんある。
 ただ、封印札を貼られた式神の狐に不安そうな顔色を浮かべる姿や、札を剥がした瞬間にきょとりと彼を見上げた狐に、どこか安心したように口許を緩めた姿に、いやに人間臭さを感じて、少しだけ動揺する。

「ああー! てめぇ何勝手に外に出てやがる! 」
「げ、鴆……」
「げってのはなんでぇ! 怪我人は大人しく……。……おい、兄ちゃん、こいつの頬の怪我はなんだ?」
「……家の者が暴れた。今後近寄らせないようにする。今日は話はいい。ゆっくり休め」
「案外優しいんだなぁ、花開院」
「……ここにいんのは9割花開院の人間だ。わかりづらい呼び方するな」
「じゃあ、竜二。今日はゆっくり休ませてもらうぜ」
「ふん」

 もしかしたら、奴のまともに笑った顔を見たのは初めてだったかもしれない。そう気付いたのは、魔魅流を追って離れを出た後だった。
 笑うと案外幼く見えるのだな、と。
 そう思ってしまった辺り、どこか負けたような気がして悔しい。
 鬼崎鮫弥はいけ好かない男だ。けれど、奴はどうしようもなく『ひと』であるらしい。
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