×ぬら孫

 ふと目を覚ます。今は何時だろう。
 確かさっき、陰陽師達と少し話をして、それから気絶するように寝た、はず。
 体感的にはあまり時間は経っていないような気がするが、体が少し軽くなっているようにも感じるし、もしかしたら思ってるより寝てたのかもしれない。
 何とか首を回して、枕元を見渡す。暗い部屋に、薬の瓶や、小鉢、手拭い、水桶。
 それからその隣に胡座をかいて座る祖父。……祖父?
 ぱちぱちと瞬きをして、もう一度見る。
 あれ、待て、なんで、祖父が、目の前にいるんだ?

「……おう、起きたな鮫」
「お、お祖父、さま…… 」
「ああ、儂だ」
「な……なんで!?」

 慌てて起き上がり、そのまま頭から布団に突っ込んだ。
 怪我をして、体力も尽きているのだから、当然だった。
 そんなオレの背を支えた祖父が、大きなため息を吐いた。

「怪我をするなと言ったはずだがな」
「う、ごめんなさい…… 」
「構わん、謝るな。何があったかはさっぱりわからないが、お前が信念を持って行動した結果だろう」
「もちろん、です」
「よし、よく言った!」

 怒られると思っていた。だって彼の言う通り、オレは先に『怪我だけはするなよ』と言われてたから。
 生きてはいるけど、ボロボロだ。きっとめちゃくちゃ心配かけた。
 よく見れば、祖父は少し窶れているようだった。
 息子が死んで、孫兄妹はボロボロだし、行方不明だし。
 それでも、祖父は怒らなかった。ただオレの生還を、静かに喜んでくれた。

「よく、生きて戻ってきた」
「はい、頑張りました」
「目的は果たせたかな?」
「……まだ、です。でも」
「…… 」
「乙女とは、仲直りできたと、思います」
「……っぶ、ははははは!! そうかそうかぁ、そりゃあ良かった!」

 大袈裟な笑い声が部屋に響く。
 そりゃ、笑うか。だってこんなボロボロになって、死にかけた奴の目的の一つが、妹との仲直りだったんだから。
自分でも、その目的がオレらしくもない可愛いもんに思えて、含み笑いが堪えられなくなった。

「ふっ……はは」
「わはははは! 家の事は心配するな! この儂が上手くやっておく。お前は、思う存分、遊んでこい」
「っ……! ははは……敵わないなぁ」
「うん?」

 この人と話していると、つい考えてしまう。
 前世のオレの父が、こんな人だったら。オレはもう少し自分を大事にできたかな。もう少し、自分勝手に生きられたかな。
 自分のために怒って、笑って、泣いて、好きなことを見付けて、時には逃げて、そしてまた、家族の元に帰ってこれたかな。
 体は未だに重たいけれど、何とか祖父に正面を向く。

「今度は、乙女と一緒に帰ってきます」
「おうとも」
「だから、待っててください」
「ああ、この爺がくたばる前に帰ってこい」
「くくっ、急ぎます」

 そう言えば、祖父は何故ここにいるのだろう。いや、簡単なことだ。
 オレは陰陽師どもに名を告げた。奴らは当然、家に連絡を入れるだろう。
 家の者ならば何か知っているかもしれない。知らなくとも、家族にならば何かを話すかもしれない。

「花開院の奴らに、何か言われて来たのでは?」
「うむ、何か言っていたな。しかし、儂も歳かな、何を言われたか忘れてしまった」
「くはっ! それじゃあ仕方ありませんね!」
「うむ、お前の無事も確かめた。……そろそろ、帰るとしよう」
「……はい、あの」
「なんだ?」
「ありがとう、ございました」
「孫の見舞いは当たり前だろう! 帰ったら、お前のためにフルーツでも手配しておくかな」
「あははっ、楽しみにしてます」

 細かいことなど何も聞かず、祖父は早く元気になれ、とだけ言って帰っていった。
 襖の外に、陰陽師らしき誰かがいる。きっと今ごろ、何も聞けなかった事実に舌打ちでもしていることだろう。

「──良い爺さんだな」
「……見てたのか、ゼン」
「おう、これでも一応、あんたの怪我を預かる身でな」

 部屋の奥の暗がりから、ぬっと姿を現した青年に、責めるように言葉を投げた。
 薬師であって、医者ではないのだろうが、随分と世話好きな奴だ。
 起き上がったままのオレの背を支えて、布団に寝るように促してくる。素直に従い、体を寝かせた。

「随分とお行儀よくしてたじゃねーの。お前さん、どっちが本性だい?」
「……どっちって」

 そりゃ、こちらが本性ではある。
 けれど、あれもまた自分で、オレは案外、ああして良い子ぶってる自分の事も、嫌いではなくて。

「どっちもオレだよ。どっちだって、失いがたい自分だ」
「……ふぅん」
「どれくらい寝てた?」
「うん? まあ半日くらいだな。薬も効いてきてるらしい。少しは楽になっただろう」
「そんなに……。ああ、だいぶ体は良くなった。薬のお陰、か。……ありがとな」
「はっ、これがオレの生業だからな!」

 妖ものにも、仕事と言うのがあるのだろうかと、ふと思う。
 仰向けに寝ながら、何やら不味そうな色合いの汁を用意しているゼンを見上げる。
 見た目は、俺とそう変わらないようにも見える。話し方も、どこか若く感じる。

「……妖怪も、仕事をするのか」
「あ? そりゃあなぁ。妖怪だろうが任侠者だろうが、働かなけりゃあおまんま食いっぱぐれるぜ」
「……そうだなぁ。あんた、幾つだ。若く見える。妖怪を、見た目で判断するのはどうかと思うが…… 」
「おお、歳か。たぶんお前とそう変わんねぇよ」
「そうか」

 そうか、やはり若い妖怪か。
 オレの面倒を甲斐甲斐しく見るのも、好奇心からなのかもしれない。

「そら、聞きてぇことはそれだけか? 満足したならもっぺん寝な。花開院の尋問に無茶をし過ぎたな。また無茶を重ねりゃ、次はどうなるか分からねぇからな」
「……」
「じいさんも、早く元気なお前に会いたいんだろ?」
「……わかってらぁ」

 眠らねば。体を休めて、力を取り戻して、……ここを脱しなければならない。
 力づくでも、口先八丁でも構わない。
 自由に動けなければ、ジイさんに顔見せることも、妹を連れ戻すことも出来やしない。
 羽衣狐は地獄へ堕ちたが、しかし依り代の肉体は残っている。
 山吹乙女には、……悪いけれども、オレはやっぱり、あの乙女を妹だと思っているのだから。
 転生する妖怪、羽衣狐を、再びあの依り代に戻すことは、理論上、きっと可能なはずだ。
 まずは試そう、動こう。そう、動かないと、動かなければ。

「動けなければ、鮫は死んじまうからなぁ」
「あ? なんか言ったか?」
「……何も」

 生き延びたのだ。
 好奇心で生かされたのでも、捕虜として生かされたのでも、何だって良い。
 まだ動ける。酷く朧気だった、生の実感が甦ってくる。
 痛い。生きている。
 苦しい。生きている。
 息すら辛い。ああ、全く生きている。
 生きているのなら、まだオレは動ける。

「おやすみ……ゼン」
「……! ああ、おやすみ」

 動くために、生きるために、家族を取り戻すために、もう少しだけ、眠ろう。
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