×ぬら孫

「――鮫弥様、会長様がおいでです」
「……お祖父様が?わかった、すぐに行く。……そうだな、この間、新しく買った玉露を出してあげて」
「畏まりました」

頭を下げて、部屋を出ていったメイドを見送り、手元の紙類を整理する。
ハリケーン、もとい、祖父の理由のない急な来訪はよくあることだ。
だが今日は恐らく、乙女を見るために訪れてきたのだろう。
あの人は子供が好きだから。

「慣れないんだよなぁ……」

そう、彼は子供が好きだ、大好きだ。
だからオレも例外でなく、執拗なほどに構ってくる。
別に嫌なわけではない。
だが外見は子供とはいえ、中身は立派な大人。
前世合わせてうん十歳。
うざったいからといって好意を向けてきてくれる人間を無碍にすることなどできないし、来る度に少し困ってしまう。
やはり、あの人には慣れない。
いままで余り回りにはいなかったタイプの人間。
オレを正しく子供扱いして、甘やかして可愛がる人間など、今まで一人とていなかった、気がする。
ディーノはあれだ、ちょっかいを出してはくるが、あくまで関係は対等だったし、オレのことを女として見ていたから。

「……行くか」

鏡で簡単に身嗜みを整え、部屋を後にする。
祖父がいるだろう客間に行く前に、乙女の部屋に寄った。

「――し…願が、……に…………うと」
「あな……が、…………ば……など」

ドアをノックしようとして、中から声が聞こえることに気付く。
人が……いや、妖怪の仲間でも来ているのか。
少し困ってしまう。
乙女は自分が妖であると明かしはしたものの、自分の目的も、何故人に化けているのかも、何も教えてはくれていないわけで。
つまりオレには知られたくないのだろうと、そう察しをつけている訳なのだ、が。
こういう場合は、どうすれば良いだろうか。
とりあえず、コホン、と軽く咳き込んでみる。
次いで、控え目にノックをした。

「乙女、入ってもいいか?」
「!!……ああ、構わないぞ」

返事を聞き、ドアを開けた。
部屋の中は酷く殺風景で、年頃の女の子の部屋だと言うのに、壁も、天井も、机も、ベッドも、全てが白い。
勿論、ぬいぐるみなんかがあるはずもなく、僅かに置いてある文庫本の色だけが浮き立って見えた。
そんな部屋の真ん中に、乙女は立っていた。
その他には、誰もいない。
……やはり、妖の類い、だったのだろう。

「今、いたのは、妖怪かぁ?」
「聞いておったのか?」
「聞こえちまった。悪かったなぁ」
「構わぬ。これからも、時たまあることじゃろうしのう?」
「時たま、あるのか……」
「いや、結構……かものう?」
「そうかぁ……」

結構、あるのか。
なんだか凄く気を使うな……。
妹と友達の遊んでる部屋に特攻を決める兄貴って、みんなこんな気持ちなのだろうか。
って、こんなこと考えてる場合じゃなかった。

「あー、乙女、お前、今から客間に来られるか?」
「客間?誰ぞ来ておるのか?」
「……オレらのお祖父様、だぁ」

うわぁ、嫌そうな顔。
こりゃあ、いかないって感じかな。

「行かぬ」
「……つってもよぉ、お祖父様はお前に会いに来たようなもんだぜぇ。顔出すくらいしたらどうだ」
「何故妾が行かねばならんのじゃ?」
「何て言う上から目線……!よし決めた、そのネジ曲がった根性オレが直す。客間、行くぞぉ」
「なっ……!」

予想通りに、行かないと答えた乙女。
こいつ本当に、人間のふりする気あるのか?
しかも上から目線の返答。
こいつ何言ってんの?
会長業がどんだけ忙しいと思ってんの?
クソ親父が役立たずで、その分ジイさん働いてんだぜ?
その忙しい中で俺達に会いに来てんだぜ?
鬱陶しいししつこいし、よくオレの頭を叩いてくる(本人は撫でてるつもりらしい)が、それでも彼は、本当にいい人なんだ。

「何をするんじゃ……」
「客間に行くだけだぁ」
「行きとうない……」
「行くんだ」

乙女の腕を痛くないほどの強さで掴んで、客間への道を歩いていく。
なんだか背後から複数の殺気を感じるけどきっと気のせいだ、うん。
たどり着いた豪奢で重たい扉を開ける。

「お待たせしました、お祖父様。乙女、お前も挨拶しなさい」
「……初めまして、お祖父様」
「おぉ、久々だな、鮫!初めまして、乙女ちゃん?ははは、これはまた可愛らしい子だなぁ!!」
「今日は、お仕事は大丈夫なのですか?」
「……何とか、片付けてきた」
「それは、お疲れでしょう……」
「おう。今日は疲れた分もお前たちが癒してくれ~!!」
「ぅ……はい」

広く、それとなく上品に整えられた客間に座っていたのは、背が高く、ガッチリとした体格の、これまた上品な雰囲気の漂う老紳士だった。
鬼崎グループ、会長その人であった。

「鮫も乙女ちゃんも、こちらにおいで!ほら、美味いと評判のケーキを買ってきたんだよ」
「それは、ありがと、うございま、すっ」

オレの声が途切れ途切れなのは、祖父に頭を撫でくり回されているからである。
頭が、首が痛い……。
乙女は一体何をして……、ん?

「こ、これは……!」
「うん?どうした乙女ちゃん。あ、ケーキ食べるかい?」
「ケーキ、はい」
「そーかそーか、乙女ちゃんはケーキが好きなんだなぁ!!」

オレの頭をぐいぐい押していた(撫でていた)手が離れていき、今度は乙女の頭を撫ではじめる。
相変わらず力が強いように見えるが、乙女の首はびくともしない。
さすが妖怪……、てかいつまでケーキ見てるんだ。

「柏木、三人分の紅茶をお願い」
「畏まりました、坊っちゃん」

控えていたメイドに、飲み物を頼んで部屋から引かせる。
ケーキ食べるなら、紅茶の方が良いだろう。
乙女と祖父は、いつの間にかケーキの箱を開けて、どのケーキを食べるか選んでいる。
チョコかフルーツかで迷う乙女の顔は、年相応に可愛らしい。
やっぱり来てよかったじゃねぇか。

「鮫、お前もこっちに来なさい」
「はい」
「私はこれにします」
「おう、乙女はフルーツケーキか。鮫はチョコとチーズどっちにするんだ?」
「オレは……、チョコ……」
「え、チョコ……?」
「……では、チーズで」
「そ、そうか!では儂がチョコだな!」

嬉しそうにチョコケーキを自分の皿に取り分ける老紳士に、微妙な顔を向ける。
チョコ、食べたかったんだな……。
分かりやすい人だ。
自分の皿に取り分けられたチーズケーキを見て、少しだけ残念な気持ちになる。
あのチョコ、美味そうだったんだが。

「紅茶が入りました」
「ありがとう、柏木」
「はい!」

それぞれの前に紅茶を置く柏木に礼を述べると、嬉しそうに返事を返される。

「それでは、食べようか。いただきます」
「いただきます」
「……いただきます」

手を合わせて感謝の言葉を述べる。
乙女は、少し微妙な顔をしながら手を合わせる。
いただきます、という言葉の意味に、納得していないらしかった。
それどころかオレが指摘するまで、いただきます、という言葉さえも知らなかったらしい。
命を食べることに感謝を示すということが、乙女には理解できなかったらしい。
妖怪と人間の価値観の違いを感じた瞬間であった。
目の前で、ケーキを一口スプーンに掬う乙女を見ながら、その日のことを思い出す。
いただきますはしなかったけど、恐ろしいほどに行儀の良い食べ方だった。

「はむ……む、ん。こ、これは……!」
「おぉ!確かに美味いなこのケーキは!」
「本当……美味しいケーキですね」
「お、美味しい……」

いたく感動した様子の乙女に、二人で癒されながら、それぞれのケーキを頬張る。
む、このチーズケーキ、凄い滑らかで美味い。

「こんな食べ物があったのですね……」
「ははは!そんだけ喜んでもらえればケーキ屋も嬉しいだろうな!!」
「……そっちの、ちょこけぇき、は美味しいのですか?」
「美味しいぞぉー?そうだ、一口ずつ交換しようか?」
「はい」

お互いのケーキを一口ずつ掬って口に運ぶ。
チョコケーキを口にした瞬間、乙女の顔が驚愕の色に染まったのが見てとれた。

「なんと……!口にした瞬間に蕩けますね」

一瞬素が出たよな乙女?

「おぉ!このフルーツケーキもなかなか美味しいなぁ!」

口に生クリームついてますよお祖父様。

「鮫弥のも、美味しそうですね?」
「むぅ、確かに、チーズケーキも美味しそうだな」
「……美味しいですよ、確かに」
「美味しそう、ですね」
「美味しそう、だなぁ」
「……」

沈黙が続く。
目の前には爛々と輝く2対の瞳。
今にも口端から涎を垂らしそうな程、チーズケーキを凝視している。

「……、食べますか?」
「べ、別にほしかったわけではないけどどうしてもと言うなら、食べます」
「勿論頂く!!」

片方はツンデレだし、片方は呆れるほどに潔い。
大人しくケーキを二人の目前に差し出すと、2本のフォークが待ってましたとばかりに襲いかかって……、あぁ、オレのケーキがぐしゃぐしゃに……。

「こ、こちらもなかなか……」
「くっ、此方にしておけば良かったか……!」
「オレのケーキが……」

無惨にもボロボロになったオレのケーキは、皿にべたりと張り付いていてとても美味しく無さそうだ。
チラッと二人のケーキを見ると、既に食べ終わっていた。

「うん、今回の店のはなかなか良かったな」
「また食べたいですね」
「おう、乙女も気に入ったか!!それは良かった!次は美味しいプリンを買ってこような」
「ぷりん……、それは楽しみです」

どうやら彼らの都合の良いお目々には、オレの可哀想なチーズケーキは見えてはいないらしい。
ていうか乙女お前キャラ違うくない?
そんなに甘味好きなのか。
目がキラキラしてる。
妖怪の癖に、妖怪の癖に……!
物哀しさを背後に背負って、チビチビとチーズケーキ(の残骸)を食べた。

「ケーキ……」

そんなオレを見兼ねたか、祖父が苦笑いしながら、何かを渡してきた。

「鮫、実は今日は、お前に渡したいものがあったんだよ」
「……何でしょうか?」
「これだ。……開いてみてくれ」

渡されたのは四角い小箱。
指輪のケース……か?
言われた通り、カパリと開けてみる。
その中身を見て、オレは言葉を失った。

「どうだ?一目見てお前に似合うと直感してな。……気に入らないか?」
「い、え。いいえ。とても、嬉しいです。ありがとうございます。大切に、いたします」

中に入っていたのは、見覚えのあるシルバーリングだった。
赤い装飾、懐かしい紋章、そしてその紋章を囲むようにして、青い鮫がいた。
これは、このリングは。
前世で愛用していた、ヴァリアーリングに非常によく似ていたのだった。
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