×ぬら孫

 目が覚めた瞬間、体中の痛みに意識がぶっ飛びそうになる。

「う゛、ぁあ゛…… 」

 ギリギリで持ちこたえて、細く息を吐き出す。
 頭の中ででかい鐘がガンガン鳴っている。口はガビガビで、鉄臭い嫌な味がする。
 指先一本動かすのも、全身に走る激痛のせいでとんでもなく時間が掛かった。
 どうしてこんなことになっているのか、というのは、痛みを感じたその瞬間に思い出した。結局、なにも守れないまま終わったわけだ。
 自分自身を嘲笑ってやりたいが、痛みでそれすらもできない。

「お、目が覚めたか」

 たん、と襖を閉める音がして、足音が静かに近付いてきた。聞き覚えのない声だ。
 痛みを耐えながら少しだけ頭を傾ける。
 現れたのは薄色の短髪に赤みがかった茶色の目の男。人間のような姿をしているが、纏う妖気から間違いなく人間ではないとわかる。

「……だれ、だ」
「オレぁ薬師鴆。まあ気軽にゼンとでも呼んでくれや」

 鴆、ゼン……聞いたことのあるようなないような名前だ。

「ゆーめい、な妖怪、か」
「あ? あー……大陸じゃちょっとはな。にしても、寝起きのわりに随分と確りしてんじゃねーか。案外傷も大したことなかったってか?」
「……焼けるように、いたい」
「おっ……お前そう言うことは先に言え!」

 ゼンが慌てた様子で何かを呼ぶ。
 ちょっとだけ開いた襖の向こうから、何やら小さな妖怪達が現れた。すり鉢、瓶に……、あれは薬研だろうか。
 小さな器に、これまた小さな手足が付いて、奴らはどたばたと動きながら布団の横に整列する姿は、どこか可愛らしくすら感じる。

「おい、服を寛げるが、傷の様子を見るだけだ。騒ぐなよ」
「……おー」

 手慣れた様子で、着せられていた寝間着の襟を広げられる。
 あんな風に声掛けてくる訳だし、まあ性別は、知られてるんだろう。
 口を濯がせてもらって、だいぶ口の中はスッキリした。
 また横になって、大人しく手当てを受ける。

「狂骨って言ったか、あの子から、お前が性別を隠していると聞いたんでな、オレ以外の奴らは近付けてねぇ。し、バレてもいねぇ。だがそれだけ落ち着いてるようなら、無用な心配だったか?」

 器用に傷を手当てしながら話し掛けてくるゼンに、驚いて目を瞠った。てっきり全てを話していると思ったからだ。
 一応こいつは、あのぬらりひょんの部下に当たる男だろうに。

「……隠したいのは、人間に対してだ。オレの家には、オレ以外に子どもがいない」
「……家督の継承は男児にだけってか? このご時世に古臭い話だなぁ」

 妖風情に古臭いと言われるとは……。まあ、確かにその通りではあるのだ。

「親の言うことだぁ。オレ自身はどっちでも良いが、……女はなめられる。それだけは、確かだからな」
「そんなら、家督なんか放って好きに生きりゃあいいじゃねーの」
「……一種の罪滅ぼしみたいなもんでな。まあ、オレが継ぐのが一番後腐れねぇし、それに背負うべきものは、しっかり背負わねぇと、後から泣くはめになる」

 家を継ぐのは、生まれた子どもがマトモじゃないせいで傷付いた、父親への一種の詫びだった。
 だが結局、あの家には数え切れない程の思い出も、愛しい家族もいる。

「オレが継ぎたいんだよ」
「……はっ、言うじゃねーか」
「う"っ!? いっで!」
「おっと、わりーわりー」

 何が気に入ったか知らないが、突然ゼンに頭をグシャグシャに撫でられる。
 首やら肩やら背中やら、色んな場所がぴきぴきと痛んで、思わず呻いた。
 怪我人に何しやがるこの野郎。恨みがましく見上げてみれば、頭上には上機嫌なゼンの顔。

「お前もリクオも、本質的なとこは似てんだろうな」
「リクオ?」
「お前と一緒に戦ってただろ? うちの大将だよ」
「……ああ、あいつ」

 思い出すのは、乙女の腹を刺し貫いた長ドスとツートーンの長い髪。
 あいつとオレが似ているだなんて、馬鹿げてるし、気分が悪い。

「うっし、とりあえずこんなところか。まだ痛むか?」
「痛い。でも、少し楽になった」
「そりゃ何よりだな。仮にも瀕死の重傷だったんだ。そうすぐには良くならねーさ」
「ん"…… 」
「ところでよ、あんたに話が聞きたいっつって、花開院の連中が待ってんだ。どうする。また今度にするかい」

 体は、かなり痛みが引いた。まだまだ苦しいけれど、先程と比べれば随分と軽い。
 問い掛けるゼンに顔を向けて、少し考えてから、今から会うと答えた。

「……そーか。まあ、オレも同席するが、無理だけはするなよ」
「大丈夫」

 そうは言ったけれど、今の時点でもかなり瞼が重たい。
 体が睡眠を欲しているんだろう。それだけの怪我を負った。
 無理すれば、もしかしたら命を削る事になるかもしれないけれど、まあ多少寿命が縮んだところで、問題はない。
 オレが誰かに仕事やら何やらを渡せるだけの時間があれば良いや。……子供生むなんてのは勘弁だけど、養子取るなり出来の良い奴を後継にするなりして、上手く回す。
 ゼンは『無理するなよ』と重ねて釘を刺して、誰かを呼びに行った。
 仲間でもないのに、随分と気を配るんだな。オレ、アイツらに何かしたか?頭を捻っても特に思い当たらない。
 思い当たらないが、体を動かすのがキツい今、考える以外に出来ることもない。
 何があったかと考え始めて、答えの出ない内に花開院の陰陽師達が現れた。


 * * *


 怪我を負った銀色の男が、花開院の一室に運び込まれて、2日が経った。
 重病人だから素人が触るな、等という理由で、薬師であるという妖怪に遠ざけられていたが、今日になってようやく、会話の許可が出たのだ。
 背負われたまま、全く動かなかった奴の姿を思い出す。身体中ボロボロで、地面にはその血が点々と落ちて跡を残していた。
 いくら止血しても止まらない酷い出血と、鵺の穢に当てられて死にかけているそいつが、たったの2日で話せるまでに回復するなんて、薬師曰く奴は人間だというが、とても同じ生き物とは思えない。

「おい、入るぞ」

 薬師が襖越しに声を掛けると、少し遅れて力のない声が返ってくる。
 開いた襖の先には、例の男が体を起こしていた。

「おい! お前はまだ重傷なんだから、無理に起きんじゃねーよ!」
「大丈夫」
「どこがだ!」

 本人曰く大丈夫だとのことだが、オレ達からしてみれば、とてもそうは見えなかった。
 山吹乙女とよく似た鋭い眼差し、すっと通った鼻筋、薄い唇、血の気のない真っ白な肌、そして流れ落ちる銀色の髪。
 綺麗ではあるが、恐ろしく病的に見える。
 今にもぶっ倒れそうな酷い顔色だったが、暗く濃い銀色の瞳だけは爛々と光り強い生気を訴えていて、そいつが生身で鵺に立ち向かった強者であることを嫌が応にも納得せざるを得なかった。

「話があると聞いた」

 薬師の妖怪に背を支えられながら、男はこちらをひたりと見据えたまま声を上げた。
 薬師の手を煩わしそうに振り払い、こちら側に向けた視線は、思いの外しっかりとしていた。
 体こそボロボロのようだが、心は未だ折れず、と言ったところだろうか。

「ああ、その通りだ。お前の正体、目的、その奇怪な技について、話してもらうぞ」

 奴の前に進み出たのは、破戸と共に僅かながらに面識のあった雅次だ。
 今回の妖怪達との戦いで、重職に就くジジイ達の多くが死に、当主もまた、隣に立つ妹のゆらに看取られて天へ昇った。
 雅次や破戸はともかく、現在生き延びた花開院の陰陽師達は、そのほとんどがこの男へ否定的な印象を抱いている。
 なぜその力を以てして、自分達の助太刀をしなかったのか。なぜ人の身にも関わらず、羽衣狐の味方のように振る舞っていたのか。
 理解もできなかったし、理解したところで納得もできそうにない。
 少しでも冷静に話せるようにと、雅次が矢面に立つことになったのだが、後ろに控える陰陽師達は怒りを抑えきれずに殺気立っている。
 その事に、薬師だけが不思議そうな顔をしていた。

「話と言う割りに、凄い殺気じゃねーかぁ。拷問でもする気か?」
「……殺気については言い訳できないが、理由ならお前も心当たりがあるだろう。だが、あくまでこちらの希望は話し合いだ。ひとつ聞くが、お前、話す気はあるのか?」
「……話してもいい。もうあの子もいないんだ。だんまり決め込んでても、どうにもならねぇしな」

 そう言った彼の目は、先程までの輝きは失せ、暗く陰ったように見えた。
何もかもを諦めて、自棄になっているようにも見えて、意外に感じた。
 あの子、とこの男が言う存在は、あの天守閣の上で妹だと言っていた羽衣狐、及びその依り代の事か。
 いったいこいつがどこの誰で、京妖怪どもとはどのような関係だったのだろうか。

「竜二、録音の準備は」
「出来てるぞ」

 秋房の言葉に答えて、懐の機械を作動させる。
 ふと銀色の目がオレの方を向いた。
 その口角が僅かに上がったのを見て、眉間にシワを寄せる。
 一番気にくわないのは、アイツの顔をどこかで見たことがある気がするのに、まるで思い出せないことだ。
 小さく舌打ちをして、話を聞くために正座をした雅次の後ろに立った。
 雅次が口を開く。

「お前は、何者だ?」
「……まだ、わからないのか」
「は?」
「知っているはずだぁ。少なくとも、お前達の内、二人は」

からかうような目が、ちらりと秋房を見て、そしてオレを見る。

「……秋房、竜二、心当たりは?」
「ない」
「ない、が……」

 オレ達の言葉に、そいつはおかしそうに笑った。その笑い方を見て、何かがちらつく。
 知っている……どこかで、見たことがあるような気が……。
 秋房もまた、掴みかけたものを手繰り寄せようと眉間に皺を寄せている。

「オレの名は、鬼崎鮫弥。……高校の外で会うのは初めてだな、花開院。そして、鹿金寺で会って以来か、秋房」

 自分の知る男と、目の前のこいつの顔が重なる。そんなまさかと、秋房が呟く。
 高校の同級生が、京妖怪の身内だなんて、考え付くわけないだろうよ。
 とんでもない事実に、オレは低く唸ることしか出来なかった。
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