×ぬら孫
ふっと視界の端を、金色の輝きが掠めた。
── おはよ、スペルビ
ああ、懐かしい声だ。
オレは鵺と戦っていたはずなのに、どうしてアイツの声を聞いているんだろう。
もしかして、これって走馬灯ってやつか?
── 起きなくって良いのか?もう、行かなくっちゃいけないんだろう?
手でぐしゃぐしゃと頭を撫でられる。
そんなに撫でるな。
それじゃあ、顔が見えないじゃねえか。
── 行ってらっしゃい。大丈夫さ、お前なら、必ず……
何、言ってるんだ。
オレはまだ、ここにいたいのに……。
── お前の大事な妹を、守るんだろ?
……え?
* * *
「ぐっ!はっ……!!」
起き上がった拍子に見えたのは、ぬらりひょんの孫が突き出した刀と、それを人差し指一本で止めた鵺の姿だった。
「乙女っ……」
首を捻ると、倒れて動かない乙女の体と、僅かに目を開いてこちらを見る、紫紺の姿を捉えた。
紫紺が、くいっと鼻先でぬらりひょんの孫を指す。
奴の刀は、千々に砕けて、ボロボロと崩れていた。
鵺が刀を上段に振り上げる。
あ、アイツ、死ぬ。
そう思った瞬間、体が勝手に動き始めていた。
隣で、黒い影も動く。
羽衣狐の、依代が、何故……?
そんな事を一瞬思ったが、脚は止まらず、手を伸ばして拾った紫紺と、強引に融合しようとした。
しかし、力がどうやら足りなかったらしい。
紫紺は、腕に取り憑くだけに留まった。
『これが、最後だ……』
「あ"あ、いくぞ、紫紺!」
飛び上がって、孫の前に出た。
「なっ!お前……」
「鵺ぇぇええ!!」
「ふ……まだ立ち上がるか」
醜く歪む、鵺の顔。
腕に宿った紫紺は、オレの考えた通りに、零地点突破の氷を生み出してくれた。
この技が嫌いだとか、自分がとうに限界を通り越して死にかけているとか、そんなのはもう、どうでも良い。
小さなことには、構っていられない。
「はぁああ!!」
氷が、大小のトゲを作りながら、鵺に延びていく。
この氷が、奴を封印すれば、きっと、きっと……。
だが、その希望は儚く潰えた。
バキバキと氷が碎ける音がする。
鵺は、その手に握った刀を、氷に向けて降り下ろしていた。
溶けないはずの氷が、封印の氷が、いとも容易く、裂かれていく。
「な、んで……」
「もう飽いた。貴様も地獄へ堕ちろ」
刀が眼前に迫る。
その刃がオレを切り裂く、寸前。
黒いセーラー服が、オレと刀の間に割り込んだ。
ざん、という聞き慣れた音。
血飛沫が、視界を真っ赤に染め上げた。
* * *
……どういうことだ。
祢々切丸が鵺の手によって砕け散り、万事休すかと思われたその瞬間、オレと鵺との間に、銀色が飛び込んできた。
オレを庇ったのか?
いや、鵺に叫びながらあの氷で攻撃した様子を見るに、ただ目が覚めてすぐに、鵺に飛び掛かったということかもしれない。
鵺の一撃を防いだその氷で、鵺そのものを動けなくしてしまおうというのか。
だが、その氷さえも、奴に届くことはなかった。
「な、んで……」
「もう飽いた。貴様も地獄へ堕ちろ」
銀色の腕から、化け狐が弾き飛んだ。
最後の力を振り絞って、あの小狐だけ逃がしたのか。
鵺の凶刃が、奴を切り裂くよりはやく、何とか助けようと手を伸ばし、肩を掴む。
だが、奴を引っ張るよりも先に、鵺の目の前に一つの影が飛び込んだ。
銀色が来たときと同じように、羽衣狐の依代だった女が、オレ達を護るように立っていた。
ざん、という聞き慣れた音。
人を斬るあの音が、オレ達の鼓膜を揺らした。
なんとか引っ張って、鵺から遠ざけた銀色も、オレも、目を見開いて、その光景を眺めるばかりだった……。
「や……うそ……だ……」
か細い銀色の声が、耳朶を打つ。
オレと奴の伸ばした手が、羽衣狐の体を捕まえて、引き寄せる。
オレの呼び掛けに、羽衣狐が応じることはなかった。
だが、ポツリとオレの名を呟いたことだけは、しっかりと聞こえていた。
銀色の思ったよりもほっそりとした手も、羽衣狐の依代は、確かに握り返している。
奴の頬に、雫が伝ったのが見えた。
そして、鵺が再び刀を振り上げたのも。
今度こそ、奴の殺意を遮るものはない。
オレは、その瞬間、死をも覚悟した。
だが……。
ーー ドロ……ドサッ
「!」
鵺の、刀を握った方の腕から、肉が剥がれ落ちた。
ボロボロと落ちていく肉片に、鵺が苦々しい顔をする。
「まだこの世に、体がなじんでなかったのか……。しかたない……」
駆け付けたイタクと淡島に、斬られた羽衣狐と、その体を抱き締めて離れようとしない銀色を預ける。
その間に、鵺はどうやってか、地獄へと続く門を喚び出していた。
「ここは一旦引くとしよう。千年間、ご苦労だった。鬼童丸、茨木童子……。そして京妖怪たちよ。地獄へゆくぞ、ついてこい」
地獄の門を背にして立つ晴明は、まるで神か何かのようだ。
次々と地獄へ飛び込んでいく妖怪達。
オレは、奴を追おうと飛び出した。
「リクオ、早まるな!!」
「じ……じじい……っ!?」
どこからともなく現れたじじいに、門から遠ざけられるように押し戻された。
もう、奴を追っていくことは出来そうにない。
地獄へと向かう晴明が、ほんの僅かに振り向いて、オレと、銀色へ向けて言葉を放った。
「近いうちに、また会おう。異能の人間、そして、若き魑魅魍魎の主よ……」
地獄への門が閉じる。
後に残されたのは、満身創痍の妖怪達と、呆然とする陰陽師、そして、未だに正体のわからない、銀色だけだった。
── おはよ、スペルビ
ああ、懐かしい声だ。
オレは鵺と戦っていたはずなのに、どうしてアイツの声を聞いているんだろう。
もしかして、これって走馬灯ってやつか?
── 起きなくって良いのか?もう、行かなくっちゃいけないんだろう?
手でぐしゃぐしゃと頭を撫でられる。
そんなに撫でるな。
それじゃあ、顔が見えないじゃねえか。
── 行ってらっしゃい。大丈夫さ、お前なら、必ず……
何、言ってるんだ。
オレはまだ、ここにいたいのに……。
── お前の大事な妹を、守るんだろ?
……え?
* * *
「ぐっ!はっ……!!」
起き上がった拍子に見えたのは、ぬらりひょんの孫が突き出した刀と、それを人差し指一本で止めた鵺の姿だった。
「乙女っ……」
首を捻ると、倒れて動かない乙女の体と、僅かに目を開いてこちらを見る、紫紺の姿を捉えた。
紫紺が、くいっと鼻先でぬらりひょんの孫を指す。
奴の刀は、千々に砕けて、ボロボロと崩れていた。
鵺が刀を上段に振り上げる。
あ、アイツ、死ぬ。
そう思った瞬間、体が勝手に動き始めていた。
隣で、黒い影も動く。
羽衣狐の、依代が、何故……?
そんな事を一瞬思ったが、脚は止まらず、手を伸ばして拾った紫紺と、強引に融合しようとした。
しかし、力がどうやら足りなかったらしい。
紫紺は、腕に取り憑くだけに留まった。
『これが、最後だ……』
「あ"あ、いくぞ、紫紺!」
飛び上がって、孫の前に出た。
「なっ!お前……」
「鵺ぇぇええ!!」
「ふ……まだ立ち上がるか」
醜く歪む、鵺の顔。
腕に宿った紫紺は、オレの考えた通りに、零地点突破の氷を生み出してくれた。
この技が嫌いだとか、自分がとうに限界を通り越して死にかけているとか、そんなのはもう、どうでも良い。
小さなことには、構っていられない。
「はぁああ!!」
氷が、大小のトゲを作りながら、鵺に延びていく。
この氷が、奴を封印すれば、きっと、きっと……。
だが、その希望は儚く潰えた。
バキバキと氷が碎ける音がする。
鵺は、その手に握った刀を、氷に向けて降り下ろしていた。
溶けないはずの氷が、封印の氷が、いとも容易く、裂かれていく。
「な、んで……」
「もう飽いた。貴様も地獄へ堕ちろ」
刀が眼前に迫る。
その刃がオレを切り裂く、寸前。
黒いセーラー服が、オレと刀の間に割り込んだ。
ざん、という聞き慣れた音。
血飛沫が、視界を真っ赤に染め上げた。
* * *
……どういうことだ。
祢々切丸が鵺の手によって砕け散り、万事休すかと思われたその瞬間、オレと鵺との間に、銀色が飛び込んできた。
オレを庇ったのか?
いや、鵺に叫びながらあの氷で攻撃した様子を見るに、ただ目が覚めてすぐに、鵺に飛び掛かったということかもしれない。
鵺の一撃を防いだその氷で、鵺そのものを動けなくしてしまおうというのか。
だが、その氷さえも、奴に届くことはなかった。
「な、んで……」
「もう飽いた。貴様も地獄へ堕ちろ」
銀色の腕から、化け狐が弾き飛んだ。
最後の力を振り絞って、あの小狐だけ逃がしたのか。
鵺の凶刃が、奴を切り裂くよりはやく、何とか助けようと手を伸ばし、肩を掴む。
だが、奴を引っ張るよりも先に、鵺の目の前に一つの影が飛び込んだ。
銀色が来たときと同じように、羽衣狐の依代だった女が、オレ達を護るように立っていた。
ざん、という聞き慣れた音。
人を斬るあの音が、オレ達の鼓膜を揺らした。
なんとか引っ張って、鵺から遠ざけた銀色も、オレも、目を見開いて、その光景を眺めるばかりだった……。
「や……うそ……だ……」
か細い銀色の声が、耳朶を打つ。
オレと奴の伸ばした手が、羽衣狐の体を捕まえて、引き寄せる。
オレの呼び掛けに、羽衣狐が応じることはなかった。
だが、ポツリとオレの名を呟いたことだけは、しっかりと聞こえていた。
銀色の思ったよりもほっそりとした手も、羽衣狐の依代は、確かに握り返している。
奴の頬に、雫が伝ったのが見えた。
そして、鵺が再び刀を振り上げたのも。
今度こそ、奴の殺意を遮るものはない。
オレは、その瞬間、死をも覚悟した。
だが……。
ーー ドロ……ドサッ
「!」
鵺の、刀を握った方の腕から、肉が剥がれ落ちた。
ボロボロと落ちていく肉片に、鵺が苦々しい顔をする。
「まだこの世に、体がなじんでなかったのか……。しかたない……」
駆け付けたイタクと淡島に、斬られた羽衣狐と、その体を抱き締めて離れようとしない銀色を預ける。
その間に、鵺はどうやってか、地獄へと続く門を喚び出していた。
「ここは一旦引くとしよう。千年間、ご苦労だった。鬼童丸、茨木童子……。そして京妖怪たちよ。地獄へゆくぞ、ついてこい」
地獄の門を背にして立つ晴明は、まるで神か何かのようだ。
次々と地獄へ飛び込んでいく妖怪達。
オレは、奴を追おうと飛び出した。
「リクオ、早まるな!!」
「じ……じじい……っ!?」
どこからともなく現れたじじいに、門から遠ざけられるように押し戻された。
もう、奴を追っていくことは出来そうにない。
地獄へと向かう晴明が、ほんの僅かに振り向いて、オレと、銀色へ向けて言葉を放った。
「近いうちに、また会おう。異能の人間、そして、若き魑魅魍魎の主よ……」
地獄への門が閉じる。
後に残されたのは、満身創痍の妖怪達と、呆然とする陰陽師、そして、未だに正体のわからない、銀色だけだった。