×ぬら孫

地獄の門が美しい着物と、それを纏う女を引きずり込んでいく。
尾を引いていた叫び声も途絶えた。
姿は、もう見えない。
「おい鮫弥!早く逃げろ!お主まで巻き込まれるぞ!!」
襟をグイグイと引かれても、体は動かせなかった。
真っ赤に染まっていく。
世界ががらがらと音を立てて、崩れて消えていく。
死んだのか?
羽衣狐、何度でも転生を繰り返す大妖怪。
そんなはずは、だって、まだ全然何も話せてないのに、……仲直りだって、ちゃんとできてなかった、のに……。
「あー、くそ!もうよい!動くなよ鮫弥!!」
腰の辺りが圧迫された。
きっと紫紺が人の姿に化けて、オレを運ぼうとしているんだろう。
言われるまでもなく、オレは動けなかった。
地獄から目が離せない。
体が引っ張られて、どんどんと景色が遠ざかっていく。
真っ赤になる。
赤く、赤く、どこまでも赤く染まって……。
「鮫弥……?お姉様……?どこ?」
ハッとして、声の出所を見上げた。
城にへばりつくようにして、妖怪達を相手にしていたがしゃどくろの上に、戸惑うように視線を泳がせている狂骨がいた。
目が合う。
その一瞬で、彼女は全てを察したようだった。
視界が反転し、尻と背中に痛みが走る。
地面に投げ落とされたようだった。
「こ、こいつぁ確か、土蜘蛛を倒しやがったヘルメットの……!」
「つーか二人いるんだけど!?」
小妖怪……ぬら組の妖怪達が何かを言っているようだった。
ヘルメット……オレの姿に化けたのだろう紫紺がオレを覗き込む。
「怪我はないか主」
「……」
それを一瞥して、オレは無言で立ち上がった。
がしゃどくろを見上げる……、その上の狂骨を見上げる。
今にも泣きそうなその目を見て、思い出した。
何度も、何度もあの目を見て来た。
マフィアに虐げられていた子ども。
家族を殺され、たった一人取り残された女。
復讐を遂げることも出来ずに、やり場のない怒りを抱えた男……。
知っている。
あの目を、オレは知っている。
きっとオレも今、あんな目をしていた。
「こ、鮫弥……?どうした……」
「思い、出したよ、紫紺」
「は?」
「マフィアは……アクーラは、オレは、弱きを助ける。悪しき者を、穢れた所業を……例え己が、汚れようとも、倒す、正す。大事なものを護るために、居場所を、護るために……」
「何を言っておる……!」
「……そうして働いてたときの感覚が、今、ある。でもあの時とは違う。オレは、オレのために、オレの身勝手で、あのくそボケ変態野郎をぶっ…………殺す!」
「んな!?正気か!?」
「殺す!敵討ちなんて綺麗なもんじゃなくて良い、お前が反対するってわかってるけど、アイツは、アイツだけは死んでもらわねぇと気が収まらねぇんだぁ!!オレは!今だけ、この時だけで構わないからっ!修羅になる……!魔道に堕ちたって構わない!あの野郎を、倒す!!」
「ちっ!仕様のない……憑くぞ馬鹿主め。少しでもお主が死ぬ確率を減らす」
「……っあり、がとう!」
紫紺の畏が、オレの体に覆い被さるように広がる。
式神融合、千姿万態……。
現れた獣の耳のせいで、窮屈になったヘルメットを外し、遠くに立つ男を見遣る。
強いと、はっきり感じる。
それでも、立ち止まる気はなかった。
弐條城の屋根にいた土蜘蛛が、無謀にも鵺に挑んでいき、そのまま物凄い妖力で地獄へと押し込められていく。
その場にいる殆どの者の視線が、土蜘蛛と鵺に注がれていた。
オレは四方に札を飛ばす。
足場がなくては奴の元へと辿り着くことも出来ない。
札と一緒にワイヤーも飛ばした。
足場が多いに越したことはない。
大きく息を吸って吐き出した。
心は今までにないほど、昂っていた。
それでも、これまでの経験が頭の一角に冷静な理性を残している。
『!鮫弥、でかいのが来るぞ!』
「……わかってる」
鵺は弐條城の城下を見据え、眉をひそめていた。
手にもったボロボロの刀を振り翳し、一閃。
その瞬間に、オレは雨の炎を広げた。
弐條城を取り囲むように、青、赤、藍色の炎が噴き上がった。
事前に仕掛けていたトラップだ。
……本当なら、乙女がぬらりひょんの孫に負けそうになったときに使うつもりだった。
彼女達を連れて抜け出して、アイツらを閉じ込めて逃げようかと思っていた。
こんな風に使うことになるとは。
鵺から放たれた一撃が、死ぬ気の炎の結界にぶつかり、そのまま上へと流されていく。
花開院雅継が使っていた、ただそこにあるだけの金屏風よりも、動き流れるこの結界の方が敵の攻撃を逸らすのには向いている。
驚き唖然とする妖怪達の中で、鵺だけは、いち早く術者であるオレを見付け、不快そうに目を細めていた。
オレもまた、奴を睨み、目を眇める。
ゆっくりと奴の腕が持ち上がる。
その瞬間に、オレはイェーガーに化けて、夜の炎でワープした。
「っ!?」
「お"おぉお"るぁ!!」
一瞬にして消え、かと思えば一瞬にして予想もしなかった場所に現れる。
初見で夜の炎のワープをかわせる奴は少ないだろう。
鵺もまた例外でなく、オレの振るった剣はその右腕に当たった。
当たった……はずなのに。
「なん、だと……!」
『け、剣が通らんとは……!』
降り下ろした剣は、鵺の腕に当たり、そしてその薄皮一枚すらも傷つけられずに固まっていた。
鵺が剣を掴もうとする。
すぐに剣を手放し、袖口にしまっていた小さなナイフを、奴の目に向けて投擲する。
それは軽々と避けられたが、一旦距離を置くことはできた。
「紫紺!」
『わかっておる!』
短く叫べば、すぐに反応が返ってきた。
ぐぐっと体が突っ張るように感じる。
妖怪とひとつになった体が変化し、いつもよりも背が高くなる、髪が縮む、手が大きくなる……。
「炎の鉄槌(マルテーロ・ディ・フィアンマ)!」
ワイヤーを蜘蛛の巣のように組み、足場にして、ザンザスの技を放つ。
赤い炎の向こう側に、目を見開く男の姿が見えたような気がする。
しかしそれは一瞬のことで、見間違いかどうかを確かめることなく、オレの視界は憤怒の炎に包まれた。
火を吹いていた2丁拳銃から、エネルギーを断つ。
途端に、足元のワイヤーがエネルギー波の圧力から解放され、オレの体を鵺の方へと弾いた。
そのままオレと紫紺は再び変化をする。
背は少し縮む。
体も僅かに細くなり、腰には日本刀が現れた。
「時雨蒼燕流……、八の型、篠突く雨!」
カチリ、鞘から僅かに刀を抜く。
煙の中に、鵺の独特な妖気を感じ取ったその瞬間、下から上へと居合いを放った。
がち、がき、ぎち……。
気持ちの悪い音がした。
殺せていない。
手応えだけですぐにわかった。
煙を通り抜けた先、札で作った足場に着地し、同時に跳ね返るように飛び上がった。
鵺の上空へと躍り出る。
漸く晴れてきた煙の中に、奴の瞳が見えた。
目が合う。
「鮫特攻(スコントロ・ディ・スクアーロ)ぉ!!」
地球の中心へと引き摺られながら、アーロと雨の炎を従えて、鵺へ剣を突き出す。
雨が、一滴鋒に当たり弾けた。
飛んで、目の端に着いたそれは、まるで涙のように米神を伝った。
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