×ぬら孫

弐條城の城門付近が騒がしい。
ついに江戸妖怪達が攻め込んで来たらしい。
京妖怪の下っ端どもから隠れて、敷地の隅で気配を殺しながら、オレは地面に軽く細工をした。
これを使わずに終われれば良いんだが……。
「鮫弥、羽衣狐様の出産は間近だ。恐らくもう、生き肝を食べとる余裕はないだろうなぁ」
「そうか……。なら、今が攻め時……。奴良組の奴らも、そう考えてるみてぇだなぁ」
「……お主はどうするんだ?」
「オレは……」
乙女達の目的は、鵺の出産。
奴良組の目的は、羽衣狐及び京妖怪を打ち倒すこと。
オレがすべきは、何か。
やりたいことがある。
妹に、してほしくないことがある。
守りたい奴らがいる。
自分を育ててくれた鬼崎の家。
大雑把だけど、誰よりもオレの気持ちを優先してくれる、優しい祖父。
何も聞かないで受け止めてくれる柏木。
恐れることなく接してくれる松原。
素直で可愛らしい狂骨。
いつだって騒がしくて賑やかな京妖怪達。
そして、オレの世界を広げてくれた乙女……。
他にも、たくさん、たくさんの人と関わってきた。
オレは鵺とか、晴明だとか、京妖怪の野望なんてものはわからない。
ただ、もう一度彼らと一緒に、人も、妖怪も関係なく、あの何でもないような日常を過ごしたい。
それだけが望みで、それ以上のことなんて望まない。
だから……。
「この京都を、護る。その為に、オレは見る。この戦いを見届けて、そして乙女を、オレの世界を護るんだ」
「ふむ」
「オレもお前も、鬼崎も乙女も、この都に住む全てが、オレの大事な世界だ。もう、失いたくない、かけがえのないものなんだ。だから、打てる手は全て打つ。そして乙女を、大切な人達を護る。その為に、オレができることは……」
遠くに、霊力が噴き上がって出来た柱が何本も見える。
奴良組の連中、ではなく、この感覚は陰陽師の業だろうな。
「もし羽衣狐が殺られたら……、その時はお主、どうするのだ?」
肩からオレの顔を覗き込むようにして、紫紺に尋ねられ、オレはその透き通った瞳を見詰め返して答える。
「……そうならないように、頑張ってんだけどなぁ。きっと本来は、オレが手を出して良い領域ではないんだろうけれど……元々、オレはこの世界の理からは外れた存在だし……。でも……」
「でも?」
「どうせいざとなったら、何も考えずに、体が勝手に動いちまうと思う。オレって、馬鹿だからな」
「……まったくだなぁ。だが、そんなお主だから、あの羽衣狐にも愛されたのだろうよ」
紫紺の言葉に、思わず微笑みが零れた。
乙女の隣に並べている、そう思えたのだ。
「ありがとう、紫紺」
「我は何にもしとらん」
「ふ……。じゃあ、仕掛けの続きだな。できるだけの事をしておこう」
近くに誰もいないことを確認して、次の仕掛けの場所へと移動した。


 * * *


妖気のぶつかり合いが、そこかしこで起こっている。
目を閉じて意識を研ぎ澄ませれば、お互いを削りあっていくような妖気の奔流が感じられた。
だが、片方が弱ってきている。
知っている気配……、鬼童丸の気配だと思う。
奴良組の若頭に負けたのだろう。
だが、生きている。
随分と、甘いのだなぁ、江戸の妖怪達は。
そして、一際大きな妖気の塊が、彼らに近付いていく。
「出産か……!」
「むっ!来たのか!?」
「ああ、行くぞ紫紺」
「おう」
仕掛けは済ませた。
あと、オレに出来ることは、乙女を見守ることだけ。
乙女の妖気は揺れているけれども、想定内の揺らぎだ。
大丈夫……鵺と言うのは、ちゃんと生まれる……。
乙女の妖気は、一直線に天守閣へと向かっていった。
オレもそれを追って、一気に駆け上がった。
天守閣にたどり着いたとき、乙女は莫大な力の塊を引っ提げて中空に浮かび、妖怪達に向かって声高らかに演説を繰り広げていた。
人は美しくても、いつかは汚れて、醜悪を晒す。
何百年も裏切りを繰り返された。
そう話す乙女の表情は悲しくなるくらい冷たくて、オレは拳を強く握り締める。
長く長く、いつまでも続く生と言うのは、どのようなものなのだろうか。
いつか、オレもまた乙女と同じように、長い生の中で裏切りを受けて、あんな風に戦うのかな。
「おい、バカ鮫弥」
「え?」
「お主は、羽衣狐とは違うぞ」
「……」
「もしもお主が裏切りに絶望するときが来ても、お主の隣にはそれを命懸けで止めようとする奴がたくさんいるはずだ」
「……そうだな」
遠い遠い未来には、そんなオレもいるかもしれない。
だが今は、そんなあるかないかもわからない未来を憂いている暇はない。
漆黒のセーラー服を纏い、天守閣へと飛び降りてきた乙女を見ながら、指に着けたリングを撫でた。
階下では、既に江戸と京都の勢力が競いあっている。
そして天守閣には、もう一つ、人影が現れていた。
「羽衣狐。京都を守るため、お前を討つ」
べちゃ、ばちゃりと、水っぽい音を立てながら、乙女に迫るのは、なに?……秋房、だと?
しかしその様子は、あの柔和さからは駆け離れていて、熱に浮かされているかのように、ぶつぶつととりとめもなく言葉を呟き続けている。
正気じゃない。
あの妖槍のせい?
いや、違う……何かおかしい。
だがとにかく、あんな様子で乙女の前に出たって、抵抗も出来ずに殺られるだけだ。
でも花開院本家にいるはずのあいつがなんで?
助けにいかねば……そう思って物陰から出ようとした瞬間、隣で何かが動く音がして、ハッと振り返った。
黒い外套を着た人物……花開院竜二か?
秋房を助けにきた?
いや、この様子……これは……。
乙女の尾が秋房の胸を貫く。
次の瞬間、低い声と共に秋房の体が弾けて、水が乙女の体を縛った。
「走れ、狂言」
「!!」
狂言……花開院竜二の式神か?
どうやらそれが、秋房の姿に化けて乙女に近づいていたようだった。
でも、一瞬体の動きを止めたところで、乙女ならすぐに振り切るだろう。
予想通り、続けて襲い掛かってきた男は尾で吹き飛ばされて、竜二の奴も追い詰められる。
追い詰められている……はずなのに、竜二の目は光を失わない。
何か、この状況を脱する手があるのか?
「……っ!まさか、鵺が!!」
ハッと見上げた先、真っ黒な赤子のような形をした、鵺だという妖気の塊。
その上に、大きな木の杭が浮かんでいる。
慌てて飛び出し、鵺に手持ちのワイヤーをありったけ巻き付けて、思いっきり引く。
重いのかと思っていたが、宙に浮いているせいか、それとも中身はすかすかなのだろうか、鵺は予想外に簡単に動いた。
落ちてきた杭は、鵺のいた場所を通って地面へと突き刺さる。
それと同時に空から降ってきた馬鹿デカい影が、鵺の体を庇うようにして立った。
「あっぶねぇ。羽衣狐さんよ、子供から目ェはなすなよ……。母親だろ」
「土蜘蛛……!」
鵺の体を戦いの中心から退かし、守るようにその前に立つ土蜘蛛と、オレの目が合う。
……ヤバいな、オレ、こいつとの勝負放り出して逃げたし、殺されるかも。
じりじりと後ずさろうとするオレに、土蜘蛛は腹に響く声で話し掛けてきた。
「よぉ、お前さん助かったぜ。お前が庇ってなけりゃあ、鵺はやられてただろうな」
「……あ"?」
「お前とも戦いてぇが、今はそれより鵺のが大事だ。悪いが後回しにさせてもらうぜぇ」
……永遠に後回しにしてもらっても構わない。
心の中で呟きながら、こちらとしては願ってもない申し出に、コクコクと首を縦に振る。
鵺はどうやら、まだ未完成らしく、大きな塊のまま沈黙している。
オレと土蜘蛛はその前に立って、新たに現れたぬらりひょんの孫と乙女の戦いを見守ることとなったのである。
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