×ぬら孫
血肉が欲しいと、呼ぶ声。
「今、このおじじを殺すでな。そのあと……食事にしような」
舌舐めずりでもしそうな顔で、そう言った乙女。
京妖怪達の攻撃を受けて、命からがら逃げていくぬらりひょんを口惜しそうに見送り、乙女はようやく、オレの口を塞いでいた尾を退かした。
「……まさか、お主がこんなたいみんぐで来るとは思わなんだ。なぜ来たのじゃ、鮫弥」
「けほっ!ごほっ!!っ……絞めすぎ……だ!」
「おお、すまぬな」
一気に気管に雪崩込んできた空気に激しく噎せながら、涙で滲んだ目で乙女を睨む。
愉快そうに笑った乙女は、しかしすぐに厳しい表情でオレを睨んだ。
「なぜ来た、鮫弥」
「そろそろ産まれるのかと思って……心配して来たんだよ!」
「戯れ言を……」
「本当だ!さっきだって何か痛そうにしてたし、訳わかんねぇジジイ妖怪に襲われてたしよぉ……。本当に、心配してたんだ……」
口を塞ぐ尾は外れたが、まだ体はほとんど尻尾で拘束されたままで、オレは仕方なく、なんとか動く片腕を乙女に伸ばす。
少しでも傍にいたい気持ちは、彼女の支えになりたい想いは、京妖怪どもにも負けていないつもりなのに、オレにとって、乙女のなんと遠いことか。
オレの指先から逃げるように身を引いた乙女に、唇を尖らせた。
「……逃げるなよ」
「何をされるかわからんからのう」
「妹を傷付ける訳ねぇだろ」
「……そうじゃな。お主はそういう子じゃ」
「……乙女、体は平気なのか?オレ、本当に心配で……でも会えなくて……。居ても立ってもいられなくなって来たのに……さ……」
触れさせてもくれないなんて、意地悪だ。
酷く寂しい気持ちになる。
そんなに、オレのことは嫌いなのだろうか。
「……そんな顔をされては、妾も困る」
「……だって」
「妾達の『喧嘩』は、まだまだここからが本番じゃろう、鮫弥。違うかえ?」
「……けん、か……」
「兄妹喧嘩じゃ。妾とそんなことが出来るのはお主だけ。こんなところで泣きべそをかいているようでは、妾は楽しめぬ」
「……楽しむなよ」
兄妹喧嘩、と言われたのが、とても嬉しかった。
楽しむな、なんて言っておいて、本当はオレも心が踊っていた。
初めて、乙女に同等と認められたような気がする。
しゅるしゅると尻尾がほどけていき、そして自由になった上半身を乗り出して、乙女の首に抱き着いた。
「冷えてる。こんなところにいたら体を壊すぞ」
「お主、妾のことを何と心得る。大妖怪羽衣狐を、人と同じに見るでない」
「……例え大妖怪でもなんでも、心配だ。さっきも苦しそうにしていた。赤子を産むのはめちゃくちゃ痛ぇってのは聞いたことあるけど、わかってても、心配なんだよ。それに、あの声は……あの邪気は……」
「要らぬ心配じゃ」
「……ん"、そうかもなぁ。でも、要らなくても、心配しちまうんだよ。……兄妹なんだから、な」
上着を脱いで、乙女の肩に掛ける。
あんな格好じゃあ、見てるこっちまで寒い。
そもそも、よく人前で裸になれるな……。
乙女の尻尾から解放されて、池の淵の地面に降ろされる。
京妖怪達は遠巻きにして眺めるだけで、オレを襲っては来なかった。
……乙女が睨みを効かせているからだろうか。
「うむ、中々に暖かいのう」
「さっきまで着てたやつだからなぁ。……乙女、お前が言う兄妹喧嘩ってやつ、オレが絶対勝つからな」
「ふふ、やってみせ。期待しておるぞ、鮫弥。しかし、ここから逃げられるかのう?」
「一人ならどうとでもなるさ」
胸の前で襟をかき寄せ、乙女がゆったりと笑みを浮かべる。
そんな彼女の前に立って、オレは大袈裟に腕を広げて声を張り上げた。
「それでは羽衣狐殿、貴女のために最高のショーをお見せしましょう」
「しょお、とな?」
「紫紺!」
相棒を呼んで、くるりと一度、回転する。
その一瞬で、オレの周りには青や赤、藍色の炎が、蛍火のようにポツポツと灯った。
「ほう……。」
感心したような乙女のため息。
オレはもう一度回る。
紫紺色の狐火が体を覆う。
そしてもう一度。
式神融合をして1つになったオレ達は、真っ黒な炎になって弾けて消えた。
「……魅せてくれるのう、鮫弥。ほんに、可愛い奴じゃ」
愛しそうに言った羽衣狐の言葉に、茨木童子が不機嫌そうに鼻を鳴らした。
* * *
「やっぱり年季が違うのかなぁ……」
「当たり前だ愚か者。羽衣狐様は遥か昔、平安の頃より生きる大妖だ。お前なんぞあの方の前では赤子に等しい」
「……そこまで言うなよ。凹むだろうがぁ」
夜の炎で飛んだオレは、妖怪達によって作り替えられた弐條城の、とある部屋へと忍び込んでいた。
ようやく見付けた、狐の餌置き場。
不安そうな顔で見上げる少女達を安心させるように、自分なりに穏やかに微笑んでみる。
「あ……あなた、は……?」
「オレは……まあ名乗るほどの者じゃあねぇな。怖かっただろぉ。安心しろ、すぐに帰してやるからなぁ」
「え……?」
すっと指を上げる。
夜の炎が部屋全体に広がり、そこにいた少女達は一人残らず消え失せた。
花開院本家の前に送ったのだ。
しょうけらを撃退し、出産の時が間近に迫り、京妖怪の注意が弐條城に集まる今なら、花開院本家は安全なはずだ。
「くそ!貴様、女どもをどこにやった!!」
「教えるかよ、ばぁーか」
見張りだったらしい妖怪が襲い掛かってくるのをひょいっと避けて、走って駆け付けたらしい鬼童丸の前で、舌を出したまま夜の炎で消えた。
乙女との喧嘩に決着を着ける為に、人間をあいつから護って、その上であいつの出産を護りきってみせる。
そして最後に言うのだ。
オレの言った通り、人を食わなくても子どもは産まれただろ、って。
乙女達の行動原理は、生き肝信仰に由来する。
その信仰を打ち砕く。
もしもそれで子どもが産まれないとか、乙女が危険な目に合うって言うなら、命を掛ける。
そして命を落としたら、オレの負け。
だから絶対に負けてやらない。
勝って、あいつにドヤ顔さらして言ってやる。
オレの勝ちだ、だからまた、一緒に生きよう、って。
「兄妹喧嘩が終わったら、アイツのことを思いっきり可愛がってやる」
「酔狂なことだなぁ」
大きなため息を吐いた紫紺に笑って、オレは城下の道を走った。
「今、このおじじを殺すでな。そのあと……食事にしような」
舌舐めずりでもしそうな顔で、そう言った乙女。
京妖怪達の攻撃を受けて、命からがら逃げていくぬらりひょんを口惜しそうに見送り、乙女はようやく、オレの口を塞いでいた尾を退かした。
「……まさか、お主がこんなたいみんぐで来るとは思わなんだ。なぜ来たのじゃ、鮫弥」
「けほっ!ごほっ!!っ……絞めすぎ……だ!」
「おお、すまぬな」
一気に気管に雪崩込んできた空気に激しく噎せながら、涙で滲んだ目で乙女を睨む。
愉快そうに笑った乙女は、しかしすぐに厳しい表情でオレを睨んだ。
「なぜ来た、鮫弥」
「そろそろ産まれるのかと思って……心配して来たんだよ!」
「戯れ言を……」
「本当だ!さっきだって何か痛そうにしてたし、訳わかんねぇジジイ妖怪に襲われてたしよぉ……。本当に、心配してたんだ……」
口を塞ぐ尾は外れたが、まだ体はほとんど尻尾で拘束されたままで、オレは仕方なく、なんとか動く片腕を乙女に伸ばす。
少しでも傍にいたい気持ちは、彼女の支えになりたい想いは、京妖怪どもにも負けていないつもりなのに、オレにとって、乙女のなんと遠いことか。
オレの指先から逃げるように身を引いた乙女に、唇を尖らせた。
「……逃げるなよ」
「何をされるかわからんからのう」
「妹を傷付ける訳ねぇだろ」
「……そうじゃな。お主はそういう子じゃ」
「……乙女、体は平気なのか?オレ、本当に心配で……でも会えなくて……。居ても立ってもいられなくなって来たのに……さ……」
触れさせてもくれないなんて、意地悪だ。
酷く寂しい気持ちになる。
そんなに、オレのことは嫌いなのだろうか。
「……そんな顔をされては、妾も困る」
「……だって」
「妾達の『喧嘩』は、まだまだここからが本番じゃろう、鮫弥。違うかえ?」
「……けん、か……」
「兄妹喧嘩じゃ。妾とそんなことが出来るのはお主だけ。こんなところで泣きべそをかいているようでは、妾は楽しめぬ」
「……楽しむなよ」
兄妹喧嘩、と言われたのが、とても嬉しかった。
楽しむな、なんて言っておいて、本当はオレも心が踊っていた。
初めて、乙女に同等と認められたような気がする。
しゅるしゅると尻尾がほどけていき、そして自由になった上半身を乗り出して、乙女の首に抱き着いた。
「冷えてる。こんなところにいたら体を壊すぞ」
「お主、妾のことを何と心得る。大妖怪羽衣狐を、人と同じに見るでない」
「……例え大妖怪でもなんでも、心配だ。さっきも苦しそうにしていた。赤子を産むのはめちゃくちゃ痛ぇってのは聞いたことあるけど、わかってても、心配なんだよ。それに、あの声は……あの邪気は……」
「要らぬ心配じゃ」
「……ん"、そうかもなぁ。でも、要らなくても、心配しちまうんだよ。……兄妹なんだから、な」
上着を脱いで、乙女の肩に掛ける。
あんな格好じゃあ、見てるこっちまで寒い。
そもそも、よく人前で裸になれるな……。
乙女の尻尾から解放されて、池の淵の地面に降ろされる。
京妖怪達は遠巻きにして眺めるだけで、オレを襲っては来なかった。
……乙女が睨みを効かせているからだろうか。
「うむ、中々に暖かいのう」
「さっきまで着てたやつだからなぁ。……乙女、お前が言う兄妹喧嘩ってやつ、オレが絶対勝つからな」
「ふふ、やってみせ。期待しておるぞ、鮫弥。しかし、ここから逃げられるかのう?」
「一人ならどうとでもなるさ」
胸の前で襟をかき寄せ、乙女がゆったりと笑みを浮かべる。
そんな彼女の前に立って、オレは大袈裟に腕を広げて声を張り上げた。
「それでは羽衣狐殿、貴女のために最高のショーをお見せしましょう」
「しょお、とな?」
「紫紺!」
相棒を呼んで、くるりと一度、回転する。
その一瞬で、オレの周りには青や赤、藍色の炎が、蛍火のようにポツポツと灯った。
「ほう……。」
感心したような乙女のため息。
オレはもう一度回る。
紫紺色の狐火が体を覆う。
そしてもう一度。
式神融合をして1つになったオレ達は、真っ黒な炎になって弾けて消えた。
「……魅せてくれるのう、鮫弥。ほんに、可愛い奴じゃ」
愛しそうに言った羽衣狐の言葉に、茨木童子が不機嫌そうに鼻を鳴らした。
* * *
「やっぱり年季が違うのかなぁ……」
「当たり前だ愚か者。羽衣狐様は遥か昔、平安の頃より生きる大妖だ。お前なんぞあの方の前では赤子に等しい」
「……そこまで言うなよ。凹むだろうがぁ」
夜の炎で飛んだオレは、妖怪達によって作り替えられた弐條城の、とある部屋へと忍び込んでいた。
ようやく見付けた、狐の餌置き場。
不安そうな顔で見上げる少女達を安心させるように、自分なりに穏やかに微笑んでみる。
「あ……あなた、は……?」
「オレは……まあ名乗るほどの者じゃあねぇな。怖かっただろぉ。安心しろ、すぐに帰してやるからなぁ」
「え……?」
すっと指を上げる。
夜の炎が部屋全体に広がり、そこにいた少女達は一人残らず消え失せた。
花開院本家の前に送ったのだ。
しょうけらを撃退し、出産の時が間近に迫り、京妖怪の注意が弐條城に集まる今なら、花開院本家は安全なはずだ。
「くそ!貴様、女どもをどこにやった!!」
「教えるかよ、ばぁーか」
見張りだったらしい妖怪が襲い掛かってくるのをひょいっと避けて、走って駆け付けたらしい鬼童丸の前で、舌を出したまま夜の炎で消えた。
乙女との喧嘩に決着を着ける為に、人間をあいつから護って、その上であいつの出産を護りきってみせる。
そして最後に言うのだ。
オレの言った通り、人を食わなくても子どもは産まれただろ、って。
乙女達の行動原理は、生き肝信仰に由来する。
その信仰を打ち砕く。
もしもそれで子どもが産まれないとか、乙女が危険な目に合うって言うなら、命を掛ける。
そして命を落としたら、オレの負け。
だから絶対に負けてやらない。
勝って、あいつにドヤ顔さらして言ってやる。
オレの勝ちだ、だからまた、一緒に生きよう、って。
「兄妹喧嘩が終わったら、アイツのことを思いっきり可愛がってやる」
「酔狂なことだなぁ」
大きなため息を吐いた紫紺に笑って、オレは城下の道を走った。