×ぬら孫
―― 時間は少し、遡る。
「狂骨よ」
「はい、羽衣狐様」
京都洛外にある別宅にて、羽衣狐は狂骨を相手に紅茶を楽しんでいた。
呼びかけに答えた狂骨に、穏やかに微笑みながら問いかける。
「おぬしなら、京を支配したあかつきには、どういう妖の世を作る?」
彼女の問い掛けに対して、狂骨はほんの一瞬考えるような素振りを見せた後、ヒトの子どものように無邪気に答える。
「それは――もちろん、京は美しい街にございますから、今の建造物を壊し、趣のあるものだけを残します。人間も多すぎますね。くだらぬ人間どもは極力減らし、妖怪の棲みよい街にかえます。きっと、楽しい世界になると思いますよ!」
すらすらと、暗記でもしてきたかのように答えた彼女に、羽衣狐は満足そうに微笑んだ。
「楽しそうじゃのう。子供は素直じゃ」
「いえ、今のは羽衣狐様の受け売りです」
「そうじゃったかのう……」
狂骨の言葉に、羽衣狐は紅茶を啜る。
確かにそんなことも言ったかもしれない。
だが彼女にとっては、どうでもいいことだ。
これから本当に訪れることになるだろう、理想の世界。
愛しい我が子を産み、敵を殲滅させた後に、ゆっくりと作っていけばいいだけの話なのだから。
カップの淵越しには、先程まで楽しそうに話していた狂骨の、少し沈んだ顔が見える。
「どうしたのじゃ狂骨、そのように陰気な顔をして?」
「……お姉様、もし京を支配したときには、鮫弥のことも、殺してしまうのですか?」
「……」
ふつりと、羽衣狐は口を閉ざす。
狂骨は俯き気味になって、ぽつぽつと言葉を落とした。
「鮫弥は、ずっと私達妖怪と一緒にいてくれました。仲良くしようとしてくれて、私達を理解しようとしてくれて……。一度、教えてもらったことがあるんです。京都にあるお寺は、ヒトが一生懸命守って、維持して、未来に残そうとしているんだって……。鮫弥は……、鮫弥なら、妖怪達と共に生きていけると思うんです。鮫弥なら、妖と共に未来を作っていくことも出来ると思うんです。だから……」
「狂骨や」
「……ごめんなさい、羽衣狐様。あたし、余計なことを言いましたね」
「よい。妾も考えていた。あやつと、どう向き合えばいいのか」
「え?」
驚いて、狂骨はぱっと顔を上げて、目の前の羽衣狐を見る。
彼女は、愁いを含んだ表情を浮かべ、中空をぼんやりと眺めていた。
「あやつの言っておることも、わからないわけではない。あやつは妾達と同じ目線で話してくれる。ふふ、少し我が儘なところもあるがのぅ。それでもあの子は、愛おしい、人の子じゃ。愛おしい……妾の、家族じゃ」
「おねえ、さま……」
「しかしこちらも、譲るわけにはゆかぬ。妾達、京妖怪の宿願、晴明の誕生には、生き胆が必要。だからの、狂骨。妾は決めたのじゃ」
「?何をお決めになられたのですか?」
「全てが終わった後、あやつが生きていたのならば、その時にもう一度考える、とな」
「生きて、いたら……?」
「京妖怪とて、弱くはない。人の子がそれに刃向って、生き延びられるかどうか……。今はとくと、見物させておらおう」
「……はい、おねえさま!」
「行くぞ、狂骨。これが最後じゃ」
口元に、ほんのりと微笑を浮かべて、二人は立ち上がる。
「もうすぐ宿願が果たされる。妾の理想の世界がやってくるのじゃ。……その時、再びおぬしに逢えることを、願っておるぞ、鮫弥」
目を閉じて、目蓋の裏に今生の兄……いや、姉にあたる人の姿を思い浮かべる。
彼女の心には、得体の知れぬ確信のようなものがあった。
あの子ならば、絶対に生き延びる。
そんなことを思える強さが、彼女からは感じられるのだ。
開かれた羽衣狐の瞳には、優しく暖かな光が灯っている。
彼女自身は、そのことには気が付いてはいないようだ。
「全てが終わったのちに、派手に兄弟喧嘩を締め括ろうぞ」
そうして、羽衣狐は数多の妖怪達を引き連れて、終焉の地、弐條城へと足を向けたのだった。
「狂骨よ」
「はい、羽衣狐様」
京都洛外にある別宅にて、羽衣狐は狂骨を相手に紅茶を楽しんでいた。
呼びかけに答えた狂骨に、穏やかに微笑みながら問いかける。
「おぬしなら、京を支配したあかつきには、どういう妖の世を作る?」
彼女の問い掛けに対して、狂骨はほんの一瞬考えるような素振りを見せた後、ヒトの子どものように無邪気に答える。
「それは――もちろん、京は美しい街にございますから、今の建造物を壊し、趣のあるものだけを残します。人間も多すぎますね。くだらぬ人間どもは極力減らし、妖怪の棲みよい街にかえます。きっと、楽しい世界になると思いますよ!」
すらすらと、暗記でもしてきたかのように答えた彼女に、羽衣狐は満足そうに微笑んだ。
「楽しそうじゃのう。子供は素直じゃ」
「いえ、今のは羽衣狐様の受け売りです」
「そうじゃったかのう……」
狂骨の言葉に、羽衣狐は紅茶を啜る。
確かにそんなことも言ったかもしれない。
だが彼女にとっては、どうでもいいことだ。
これから本当に訪れることになるだろう、理想の世界。
愛しい我が子を産み、敵を殲滅させた後に、ゆっくりと作っていけばいいだけの話なのだから。
カップの淵越しには、先程まで楽しそうに話していた狂骨の、少し沈んだ顔が見える。
「どうしたのじゃ狂骨、そのように陰気な顔をして?」
「……お姉様、もし京を支配したときには、鮫弥のことも、殺してしまうのですか?」
「……」
ふつりと、羽衣狐は口を閉ざす。
狂骨は俯き気味になって、ぽつぽつと言葉を落とした。
「鮫弥は、ずっと私達妖怪と一緒にいてくれました。仲良くしようとしてくれて、私達を理解しようとしてくれて……。一度、教えてもらったことがあるんです。京都にあるお寺は、ヒトが一生懸命守って、維持して、未来に残そうとしているんだって……。鮫弥は……、鮫弥なら、妖怪達と共に生きていけると思うんです。鮫弥なら、妖と共に未来を作っていくことも出来ると思うんです。だから……」
「狂骨や」
「……ごめんなさい、羽衣狐様。あたし、余計なことを言いましたね」
「よい。妾も考えていた。あやつと、どう向き合えばいいのか」
「え?」
驚いて、狂骨はぱっと顔を上げて、目の前の羽衣狐を見る。
彼女は、愁いを含んだ表情を浮かべ、中空をぼんやりと眺めていた。
「あやつの言っておることも、わからないわけではない。あやつは妾達と同じ目線で話してくれる。ふふ、少し我が儘なところもあるがのぅ。それでもあの子は、愛おしい、人の子じゃ。愛おしい……妾の、家族じゃ」
「おねえ、さま……」
「しかしこちらも、譲るわけにはゆかぬ。妾達、京妖怪の宿願、晴明の誕生には、生き胆が必要。だからの、狂骨。妾は決めたのじゃ」
「?何をお決めになられたのですか?」
「全てが終わった後、あやつが生きていたのならば、その時にもう一度考える、とな」
「生きて、いたら……?」
「京妖怪とて、弱くはない。人の子がそれに刃向って、生き延びられるかどうか……。今はとくと、見物させておらおう」
「……はい、おねえさま!」
「行くぞ、狂骨。これが最後じゃ」
口元に、ほんのりと微笑を浮かべて、二人は立ち上がる。
「もうすぐ宿願が果たされる。妾の理想の世界がやってくるのじゃ。……その時、再びおぬしに逢えることを、願っておるぞ、鮫弥」
目を閉じて、目蓋の裏に今生の兄……いや、姉にあたる人の姿を思い浮かべる。
彼女の心には、得体の知れぬ確信のようなものがあった。
あの子ならば、絶対に生き延びる。
そんなことを思える強さが、彼女からは感じられるのだ。
開かれた羽衣狐の瞳には、優しく暖かな光が灯っている。
彼女自身は、そのことには気が付いてはいないようだ。
「全てが終わったのちに、派手に兄弟喧嘩を締め括ろうぞ」
そうして、羽衣狐は数多の妖怪達を引き連れて、終焉の地、弐條城へと足を向けたのだった。