×ぬら孫

「あ~……あの、鮫弥様?」
「ん゙ー……?」
「いつまでこうしていらっしゃるおつもりですか?」
「……もう、ちょっと」
「はい……」

家に帰ったオレは、真っ先に柏木を見付けて部屋に連れ込んだ。
無性に人恋しくて、堪らなかったのだ。
そのまま柏木に抱き付いて、しばらく動けなかった。

「何か……ありましたか?」
「乙女と……、喧嘩した」
「え……ええ!?」
「マジすか坊っちゃん!?」
「ちょっといつからいたのよあなた!?」
「二人が部屋に入っていくのが見えて……」
「最初っからじゃない!!」

いやまあ、オレは松原が隠れてたの、気付いてたけど。
何故かこそこそ隠れていた松原は、柏木をなんとか落ち着かせると、ちょこんとオレ達の前に座った。
ちょこんって言っても、松原でけぇから全然『ちょこん』感ないけど。

「で!なんでお嬢様と喧嘩なんて?」
「そ、そうです鮫弥様!いつも乙女お嬢様がどれだけワガママを仰りやがっても、本気で怒ったりしない鮫弥様が一体どうして……!?」
「姐さん姐さん、本音出てますよ?」
「あら?そうかしら?」

やっぱりコイツらといるのは楽しい。
悩んでても、明るくなれる。
二人に軽く笑いかけた。

「ちょっとお互い、意地張っちゃってるだけ……。でもたぶん、しばらくは仲直り出来ないだろうなぁ」
「そんなに……酷い喧嘩なんですか?」
「……そう、だなぁ。……オレの我が儘、なんだけど。少しの間、会社と学校の方は休めたらな、とも考えてるんだけど……」

オレがそう言うと、二人は勢いよく立ち上がった。
目が爛々と輝いていて……なんか怖い。

「我々にお任せください。直ぐに高校と会社に連絡を取って参ります」
「え、いや……そんなに急がなくても」
「いいえ!今すぐに連絡して参ります坊っちゃん!!」
「あっ!おい…………早いなアイツら」

二人はあっという間に部屋を出ていった。
しかしあっという間に柏木が戻ってくる。
出ていった時は、気合い満々の顔をしていたのに、帰ってきた柏木の顔は、青褪めて血の気がなかった。

「鮫弥様!大変です!!旦那様が……!」
「……父が?」

柏木が、震える喉を奮い立たせて言おうとしている言葉、オレは何となく、想像が出来ていた。

「旦那様が……お亡くなりになられたそうです……!」
「……ああ、父が」

そうか、もう、死んだのか。
オレの心には、大した感慨も沸かなかった。

「……急いで向かおう」
「は、はいっ!!」


 * * *


「そうですか、父は殺されて……」
「はい、お祖父様は現在出張中との事でしたので、あなたに少しお話を聞かせてもらえないかと」
「構いません。オレに答えられる事でしたら、出来る限りお答えします」
「……そうですか」

父が殺されていたと言う現場は、オレの住む家とは別の家だった。
もう何年も、彼はあの家には帰っていなかった。
と言ってもここ数ヵ月は、仕事で会う機会があったから、顔を見るのは久々と言うわけではなかった。
それでもやはり、死体の顔を見たところで、哀しいとも、ましてや嬉しいとも思わず、オレはただただ事務的に、本人確認を終え、警察の事情聴取とやらを受けていた。
警察はだいぶ焦っているらしい。
殺されたのが大物経営者、というのもあるが、それ以前に、凶器が謎、という部分が、彼らを困惑させていた。
しかもこの家の防犯カメラには何も写っておらず、犯人不明、凶器不明で、事件解明は難しそうだ。
彼らはどうやら、身近な人間から洗っていくつもりらしい。
死亡推定時刻のアリバイや、父に恨みのある人間についてなど、かなりしつこく聞かれた。

「あなたのお父上に恨みのある人間が多くいることはわかりました……。ですがその中でも、特に強い恨みのある人間に心当たりはありませんか?」
「さあ……もしいるとしたら……」
「いるとしたら?」
「オレかな?」
「は?」
「あの人、父親としては最低でしたし」

事も無げにそう言って微笑んだオレに、刑事は物凄く不審そうな目を向けてきた。
アリバイがあったから、疑われなくて済んだけれど、もしなかったら、最重要容疑者になっていたかもしれない。
まあ例え生まれ変わっても、オレはマフィアって事だったのだろう。
警察なんてくそ食らえ。
適当に答えながら、チラリと現場を覗く。
ベッドルームで、父は殺されたらしかった。
ベッドはシーツから枕まで、血液でぐっしょりと濡れていて、床や壁、天井にも、夥しい血の跡が付いていた。
あの殺され方じゃ、仕方ない。
先程見た死体の事を思い出す。
大きな獣の爪に引き裂かれたように、父の体には深い傷が残っていた。

「……では、また何かお伺いすることもあるかもしれませんが、その時はよろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いいたします」
「それから、妹さんは……」
「……恥ずかしながら、兄妹喧嘩をしまして、今は家出中で、行方不明です」
「それは……鬼崎グループの娘さんであらせられるのに、随分と不用心なんですね?」
「まあ、屈強なボディガードがついていますからね」

それでは、と会釈をして、オレは彼らから離れた。
きっとこの事件は、迷宮入りで終わる。
さもなくば冤罪が起こるかもしれないが、まあそうならない内は、気にしないでおこう。

「鮫弥様!その……大丈夫、ですか?」
「問題ない」

駆け寄ってきた柏木と松原を引き連れて外に出る。
きっとこの事件の犯人がわかっているのは、オレだけだろう。

「乙女、今どこにいる?」
「は……乙女お嬢様は現在、伏見区の辺りにおられます」
「そうか」

近いな。
きっと、彼女が父を殺したのだろう。
こうなることは、わかっていた。
予想したより、だいぶ早かったけれど。
オレが、止めることの出来たはずのこの凶行を止めなかったのは、何故だろう。
オレと父とは、お互いずっと無関心を貫いてきたけれど、もしかしたらオレは、思っていた以上にあの人を嫌っていたのかもしれない。
だから、アイツを止めなかったのかな。
……止めようと、しなかったのかな。
殺すなと言っておいて、実の父を見殺しにするとは……なんと滑稽なことだろう。

「なんて、馬鹿馬鹿しい」
「鮫弥様?何かおっしゃいましたか?」
「……早く帰って、寝よう。今日は色々とあったからな」
「はい」

父を殺すのを止めず、他人を殺そうとするのを止めようとして、全く馬鹿らしい。
だが、それでも、この下らない意地の張り合いを止める気はない。

「次からは、オレも本気で止めにかからないと、な」

長い事情聴取のせいで、既に時刻は明け方。
東の空は白んできていた。
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