×ぬら孫
その日オレが、教会のミサに参加したのに、特に理由はなかった。
ただなんとなく、教会という場所の、独特な雰囲気に浸っていたかっただけで、その日はたまたま、日曜のミサが行われていただけだ。
石に封印した紫紺はネックレスにして首から下げ、帽子を深く被ったオレは教会の入り口辺りで、何をするでもなく、ただ食い入るようにキリストの像を見詰める。
死ぬ前も、オレはよくこうして教会に立っていた。
別に懺悔をするわけでもなく、祈り願うわけでもなく、黙って見詰める。
見詰めていると、薄汚い自分がよくわかるような気がした。
例え誰かを救っても、例え仲間の為であろうとも、自分は汚い人殺し。
この世界でのオレは、誰かを殺したりはしていないけれど、それでも魂はしっかりと覚えている。
人を殺すあの瞬間、血の濃厚な香り、断ち切った肉の弾力、当たった骨の固さ、相手の目から失われていく生気……。
「坊や、こんなところでどうしたの?」
突然、柔らかな声が掛けられて、ハッと意識が現実に帰ってくる。
その声の元へと視線を遣り、オレは出来るだけ自然に笑って返した。
「何でもありませんよ、ありがとう。この教会がずっと気になっていたものですから、少し見ていただけなんです」
「あらまあ、そうなの。感心ねぇ、うちの子もあなたのように、教会に興味を持ってくれれば良いのにねぇ」
「興味の先は、人それぞれですよ。オレは少し、中を見てから帰ります。ご心配ありがとう、綺麗なご婦人」
「あら、綺麗だなんて、お世辞が過ぎるわ!縁があれば、また会いましょうね」
「ええ、また」
声の主は、気品のある初老の婦人で、オレは彼女と無難に話して別れると、先程まで見ていた像の目の前に立つ。
いつの間にかミサは終わっていたらしく、ガランとした部屋には誰もいなかった。
『……鮫弥』
「うん?」
『早く帰らねば、家の者が心配する』
「うん、わかってる。ただ……もう少し、この心に覚悟をしっかりと刻み込ませてほしい」
守りたい、人がいる。
その人達のために、過ぎ去った記憶を掘り起こし、自分の置いてきた大切な者達と、向き合う為の覚悟。
オレにはまだ、足りていなかったから。
この場で、余計な迷いは断ち切っていきたいと思った。
「そんなところで、何をしている」
目を閉じて、ただ立ち尽くすオレに、再び誰かが声を掛けた。
今度は若い男の声で、そいつは誰もいなかったはずなのに、オレの背後に立って十字架をその胸に当てていた。
まるで神父のような服装をした、まだ年若い青年の姿をしている。
だがそいつの纏う空気でわかる。
彼もまた、妖怪だ。
それも、鬼童丸や茨木童子と同じような、武闘派の。
「闇の聖母の、今生における兄君よ。何故、ここにいる。ここで何をしている」
「……別に何も。ここ、あんたの住み処か何かかぁ?」
「そのようなところだ」
「そうかぁ、邪魔したな。直ぐに出る」
何だか、茨木童子と違って少し考えが読みづらい男だ。
マイペースと言うか何と言うか、闇の聖母とか言ってるしな。
何だ闇の聖母って。
恐らく乙女……羽衣狐の事を言っているのだろうけど。
聖母……ってのはきっと、キリスト教における聖母マリアを指しているのだろう。
ならば、乙女は神に例えられるような人間の母になる、のか?
なんかこんがらがってくるな……。
でもって、闇の、なんて付くわけだから、妖怪世界での神の母って意味……?
つかこれ、真面目に考える意味あるのか?
このマイペース男が、適当なこと言ってるだけのような気がしてきた……。
「兄君よ、懺悔がしたければ、またここへ来るといい」
「あ?……懺悔、な。まあ懺悔っつうより、誓いの方が近い気がするが……気が向いたらまた来る。あとオレの事を兄とか呼ぶな。お前に呼ばれるのはなんか嫌だ」
赤の他人に何故兄と呼ばれなければならないのか、甚だ疑問である。
「……鮫弥、と言ったか。私の名は、しょうけら」
「……しょうけら、な」
庚申の日に出てくる妖怪だったか?
普通の人間に見えるが、伝承では虫の妖怪だったような……。
「また来るといい」
「あ、ああ……また」
とにもかくにも、こいつマジでゴーイングマイウェイ。
なんか圧倒されながら、オレは教会を出たのだった。
* * *
「お前との式神融合って、オレが生きてきた記憶が、力になるって事だよなぁ」
「……ふむ、そうとも言えるな」
教会からの帰り道、石から出てきた紫紺を肩に乗せて話していた。
記憶がそのまま形になる変化の能力、これ程オレに向いている能力もないのではないだろうか。
誰にもない記憶、オレだけが知っている人。
それをこの世に顕現し、彼らの力を借りて誰かを守る。
「オレ、紫紺の力を借りられて良かった」
「……ま、世話の焼けるクソガキだが、お前との毎日は悪くないぞ。我も、お前の式神となったのは悪くない決断だったと思う」
「回りくどい言い方だなぁ」
オレはくつくつと笑い、紫紺の喉を撫でる。
あの術を使い、記憶の中の誰かに化ける度に、オレはあの世界を思い出すだろう。
その度に懐古に沈み、望郷の念に囚われ、もう二度と会えない人々を想って泣くかもしれない。
でも、その記憶がオレを、オレの大切な人々を守ってくれるのなら、オレは戦える。
ディーノ、ザンザス、大切な仲間達、どうか、どうか、オレ達を守ってくれ。
「む……まあ、我はお主が満足行くまで付き合ってやるだけさ」
「ふふ……ありがとう、紫紺」
だから今、頬を流れた一筋の滴は、どうか見なかったことにしてほしい。
ただなんとなく、教会という場所の、独特な雰囲気に浸っていたかっただけで、その日はたまたま、日曜のミサが行われていただけだ。
石に封印した紫紺はネックレスにして首から下げ、帽子を深く被ったオレは教会の入り口辺りで、何をするでもなく、ただ食い入るようにキリストの像を見詰める。
死ぬ前も、オレはよくこうして教会に立っていた。
別に懺悔をするわけでもなく、祈り願うわけでもなく、黙って見詰める。
見詰めていると、薄汚い自分がよくわかるような気がした。
例え誰かを救っても、例え仲間の為であろうとも、自分は汚い人殺し。
この世界でのオレは、誰かを殺したりはしていないけれど、それでも魂はしっかりと覚えている。
人を殺すあの瞬間、血の濃厚な香り、断ち切った肉の弾力、当たった骨の固さ、相手の目から失われていく生気……。
「坊や、こんなところでどうしたの?」
突然、柔らかな声が掛けられて、ハッと意識が現実に帰ってくる。
その声の元へと視線を遣り、オレは出来るだけ自然に笑って返した。
「何でもありませんよ、ありがとう。この教会がずっと気になっていたものですから、少し見ていただけなんです」
「あらまあ、そうなの。感心ねぇ、うちの子もあなたのように、教会に興味を持ってくれれば良いのにねぇ」
「興味の先は、人それぞれですよ。オレは少し、中を見てから帰ります。ご心配ありがとう、綺麗なご婦人」
「あら、綺麗だなんて、お世辞が過ぎるわ!縁があれば、また会いましょうね」
「ええ、また」
声の主は、気品のある初老の婦人で、オレは彼女と無難に話して別れると、先程まで見ていた像の目の前に立つ。
いつの間にかミサは終わっていたらしく、ガランとした部屋には誰もいなかった。
『……鮫弥』
「うん?」
『早く帰らねば、家の者が心配する』
「うん、わかってる。ただ……もう少し、この心に覚悟をしっかりと刻み込ませてほしい」
守りたい、人がいる。
その人達のために、過ぎ去った記憶を掘り起こし、自分の置いてきた大切な者達と、向き合う為の覚悟。
オレにはまだ、足りていなかったから。
この場で、余計な迷いは断ち切っていきたいと思った。
「そんなところで、何をしている」
目を閉じて、ただ立ち尽くすオレに、再び誰かが声を掛けた。
今度は若い男の声で、そいつは誰もいなかったはずなのに、オレの背後に立って十字架をその胸に当てていた。
まるで神父のような服装をした、まだ年若い青年の姿をしている。
だがそいつの纏う空気でわかる。
彼もまた、妖怪だ。
それも、鬼童丸や茨木童子と同じような、武闘派の。
「闇の聖母の、今生における兄君よ。何故、ここにいる。ここで何をしている」
「……別に何も。ここ、あんたの住み処か何かかぁ?」
「そのようなところだ」
「そうかぁ、邪魔したな。直ぐに出る」
何だか、茨木童子と違って少し考えが読みづらい男だ。
マイペースと言うか何と言うか、闇の聖母とか言ってるしな。
何だ闇の聖母って。
恐らく乙女……羽衣狐の事を言っているのだろうけど。
聖母……ってのはきっと、キリスト教における聖母マリアを指しているのだろう。
ならば、乙女は神に例えられるような人間の母になる、のか?
なんかこんがらがってくるな……。
でもって、闇の、なんて付くわけだから、妖怪世界での神の母って意味……?
つかこれ、真面目に考える意味あるのか?
このマイペース男が、適当なこと言ってるだけのような気がしてきた……。
「兄君よ、懺悔がしたければ、またここへ来るといい」
「あ?……懺悔、な。まあ懺悔っつうより、誓いの方が近い気がするが……気が向いたらまた来る。あとオレの事を兄とか呼ぶな。お前に呼ばれるのはなんか嫌だ」
赤の他人に何故兄と呼ばれなければならないのか、甚だ疑問である。
「……鮫弥、と言ったか。私の名は、しょうけら」
「……しょうけら、な」
庚申の日に出てくる妖怪だったか?
普通の人間に見えるが、伝承では虫の妖怪だったような……。
「また来るといい」
「あ、ああ……また」
とにもかくにも、こいつマジでゴーイングマイウェイ。
なんか圧倒されながら、オレは教会を出たのだった。
* * *
「お前との式神融合って、オレが生きてきた記憶が、力になるって事だよなぁ」
「……ふむ、そうとも言えるな」
教会からの帰り道、石から出てきた紫紺を肩に乗せて話していた。
記憶がそのまま形になる変化の能力、これ程オレに向いている能力もないのではないだろうか。
誰にもない記憶、オレだけが知っている人。
それをこの世に顕現し、彼らの力を借りて誰かを守る。
「オレ、紫紺の力を借りられて良かった」
「……ま、世話の焼けるクソガキだが、お前との毎日は悪くないぞ。我も、お前の式神となったのは悪くない決断だったと思う」
「回りくどい言い方だなぁ」
オレはくつくつと笑い、紫紺の喉を撫でる。
あの術を使い、記憶の中の誰かに化ける度に、オレはあの世界を思い出すだろう。
その度に懐古に沈み、望郷の念に囚われ、もう二度と会えない人々を想って泣くかもしれない。
でも、その記憶がオレを、オレの大切な人々を守ってくれるのなら、オレは戦える。
ディーノ、ザンザス、大切な仲間達、どうか、どうか、オレ達を守ってくれ。
「む……まあ、我はお主が満足行くまで付き合ってやるだけさ」
「ふふ……ありがとう、紫紺」
だから今、頬を流れた一筋の滴は、どうか見なかったことにしてほしい。