×鰤市

ぐ、ぱっ……!
手を握り、広げて、一先ずは自分の力が戻ってきたことを確認する。
未だに、喉をいくら震わせても音は出ないし、オーラもチャクラも法力も、死ぬ気の炎も練ることが出来ないけれど、一先ず体は動くようになった。
なった、は良いが、随分と鈍ってしまっている。
外を見れば、建ち並ぶ隊舎や屋敷、商店の規則正しい列の向こうに、朝陽が半分ほど顔を覗かせていた。
四番隊舎でも、人の動き出す気配が感じられる。
目の前のベッドはまだ夢の中にあるようだが、人を呼んで早いところ外に出してもらおう。
脚の調子を確かめるように、ゆっくりと床に下ろして、時間を掛けて立ち上がる。
扉のない入り口から顔を出して(それにしても無用心な病室だ)、キョロキョロと辺りを見回す。
タイミングよく廊下を曲がってきた女性と目が合う。
「あ、旅禍の……!」
背の高いシルエット。
オレより濃い目の銀の髪。
確か、この隊の副隊長で、コテツイサネ……って名前だったはず。
おどおどとした手が胸元に添えられていて、けれど思っていたよりも強い口調でその後の言葉が続く。
「まだ一人で動いちゃダメじゃないですか!……て、あれ?」
【身体の調子が戻ったので、退院させてほしい】
「え、や、ダメですよ!とにかくこちらで診察して……というか貴女は警戒対象ですから簡単に外に出すわけには……ええ~と……!」
わたわたと慌てながらも、オレの事は確りとベッドへ押し戻して、彼女は他の隊士達を呼びに行ってしまった。
「……え、と。おはよ、う?」
【おはよう】
この騒ぎで目が覚めたんだろう雛森が、向かいから気遣わしげな顔でこちらの様子を窺う。
挨拶のページを捲って見せて、ひらひらと空いた手を振った。
ここ数日の怠さから一転、身体は軽く感じられる。
けれど、普段通りには程遠いことは間違いない。
『警戒対象』と言っていたし、外に出してもらうことは、難しいのだろうか。
10分程経って、虎徹が戻ってくると、その後ろには二人の看護師と、それから見知った顔の連中がぞろぞろと並んで現れた。
「スクアーロ、体調良くなったんだって!?」
「元気になったって聞いて来ちゃった!」
「ム、顔色が良さそうだな」
「昨日まで歩くのも大変そうだったのに、そんないきなり良くなるものなのかい?……あの技、やっぱり呪術的な意味合いが……」
「んな事より、元気になったなら良かったじゃねーか!な?」
【まだしゃべれねぇけどな。とりあえず動きに支障はなくなった】
喜んでいるのは黒崎や井上で、安心した様子なのがチャド。
石田は何やら考え込んだ様子で、一人病室の入り口に留まってぶつぶつと一人言を呟いている。
「ほら、あなた達は出てってください!これから診察するんですから」
「スクアーロさん、これまで通り、痛いとか、身体に違和感がある時は手を上げて教えてくださいね」
看護師が見舞いに来た連中を追い返して、ベッドの周りのカーテンを閉める。
オレは素直に頷いて、何度も受けてきた診察をまたしてもらった。
診断結果は問題なし。
発話能力のみがいまだに回復していないものの、それ以外は大丈夫とのことだった。
トレーニングについては……部分的にだが叶えられた。
「あー……ここが十一番隊の隊舎だ。取りあえず、あんたのリハビリはここでしてもらうぜ」
【わかった】
赤い髪を雑に纏めた頭を見上げる。
オレの監視を買って出てくれた阿散井恋次に着いていくと、野太い声が響く道場らしき場所に連れていかれた。
条件付きの許可……監視付き、かつ人の目が多い場所でのみトレーニング、もといリハビリの許可を得た訳である。
「言っとくけどな、男ばっかの汗くさい場所だぞ」
気遣わしげな言葉に、特に躊躇わずに頷く。
ヴァリアーでも、花開院邸でも、自分で作った自警団でも、そういうのには慣れている。
ぎいっと扉を軋ませながら開くと、道場にいた連中の視線が集まる。
「うーす、客連れてきたっす」
「あー?そいつ旅禍じゃねぇか」
「ああ、そういえばリハビリを兼ねて道場を借りたいとかって連絡が来てたね」
一人は、つるつるに頭を剃り上げた柄の悪そうな男(まあこの隊はそういうのばっかりだが)。
もう一人は、おかっぱで小綺麗な身形のキラキラしい男だ。
阿散井は確か副隊長だったはずだが敬った態度を見るに、古株の隊員なのかもしれない。
「寝たきりで体力落ちたからってんで、運動する場所がほしいらしいですよ」
「はあ?うちはびょーいんじゃねぇっての。そういうのなら他当たんな」
「まあ良いじゃない一角、道場は広いし、隅を使わせてあげるくらい構わないでしょ」
二人の口ぶりからは、どうも軽んじられているようである。
ちらと隣を見上げると、阿散井は気まずそうな顔でこちらを見返していた。
「やっぱり止めるか?」
問い掛けられて、少し考える。
このまま言われっぱなしで引き下がるのはいただけない。
せっかくなら見返してやろうか。
【勝負】
それだけ書いて、彼らに見せる。
「……しゃべれないの?」
「の、割りには威勢がいいじゃねぇか!良いぜ、オレが相手してやるよ」
ぱしん、と平手に拳が打ち付けられる。
一角、と呼ばれた男は、ニヤリと口の端を吊り上げて笑っている。
一丁揉んでやるか、と言わんばかりの先輩面だが、オレがそう簡単にやられるわけもないだろう。
隊員達に囲まれて、オレと一角が構える。
おかっぱが開始の合図を切ると同時に、相手が間合いを詰めて拳を振りかぶった。
真っ直ぐ顔の中心を狙ってくる当たり、素直でいっそ愛嬌すらある。
頭を少し捻って避け、通り過ぎた腕を掴む。
浅く体を沈めると、油断しきっていたのか簡単に体制が崩れた。
「うおっ!?」
腕を掴んだまま体を捻る。
相手の脚を引っ掛けて、腕を引き込むように抱え上げて……。
ずだんっ、と鈍い音が道場に響いた。
床の上に投げ出された一角が、ぽかんと間抜けな顔で天井を見上げる。
その顔を覗き込んで、目の前にピースを突き付けた。
「つ、強い……」
おかっぱの呆然とした声が聞こえる。
突き付けていたピースを阿散井の方へ向けると、奴は渋い顔で頷いて一角へと話し掛けた。
「道場、大丈夫っすよね」
「…………これでダメとか言えねぇだろ」
道場は無事、使わせてもらえることになった。



 * * *



朝、太陽が昇りきらない内に起きて、病室の中で軽くストレッチをする。
体が温まる頃に同室の雛森が起き出してくる。
身支度を整え朝食をとると、ようやく道場へ行く許可が得られる。
何だかんだでまめに面倒を見てくれる阿散井と共に、十一番隊の道場へ向かう。
初日は二人で入らせてもらったが、翌日からは黒崎もそこに合流するようになった。
オレが道場に入ると、途端に四方八方から殺気をまとった攻撃が飛んでくる。
ひょいひょいと避けて、空振った木刀を掴んで襲撃者を捻り倒す。
初日に道場の連中を壊滅させてから、この初っぱなの襲撃はもはや恒例となっていた。
「相変わらずよく避けられるな……」
感心したように言う黒崎に、余裕のピースサインを送る。
ヴァリアーにいた頃も稀にあったことだ。
この攻撃はむしろ懐かしさすらある。
「よお、今日も一勝負しようぜ!」
感傷に浸るオレに向けて、木刀と試合の誘いが投げられた。
危なげなく木刀を受け取り、声の主……班目一角を視界に入れる。
返事を書くのも面倒で、オレは片手を挙げて答え、道場の真ん中へと向かう。
初めの内はたくさんの隊員が相手をしてくれていたが、今では班目と黒崎くらいしか相手をしてくれない。
たまに阿散井や射場が相手になってくれるが、オレは黒崎との戦いが一番楽しかった。
伸び盛りの剣技は、中学の頃の山本と比べてもまだ未熟と言えたが、それでも元々武道をやっていた為か、構えは安定していて、とっさの反応も悪くない。
声を出せたなら、もっとビシバシ鍛えてやれたのだが。
こうして一日が過ぎて、空が赤くなってきた頃に病室に戻る。
思いの外充実した日々を送るなかで、オレは一つだけ悩ましいことがあった。
もうあの日から一週間が経つ。
そろそろ、ちゃんと声に出して彼らと話をしなくてはならない。
病室に戻ると、雛森は不在のようだった。
代わりに、ベッドの横に腰かけるツンツン頭が目に入る。
「……六道」
「おや、お帰りなさいガットネロ」
オレの喉から出た音は掠れている。
声は……本当は少し前から出るようになっていた。
完全回復するまでは、それを隠していた。
声が戻ったなら、護廷隊はすぐにでもオレを呼び出して尋問しようとしていただろう。
その場で、死ぬ気の炎も何も使えないのはあまりにも不安すぎる。
故にこうして秘していたが、それも今日までだ。
「力は戻りましたか?」
「あ゛あ、全快とは言えねぇがぁ……充分回復したぁ。明日、ここの連中と話す」
ナースコールを押し、四番隊長を呼んでもらう。
駆け付けてくれた看護師は、驚いたような、嬉しそうなような、複雑な表情でこくこくと首を縦に振って慌ただしく廊下を走っていった。
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