×鰤市
あの日からずっと考えている。
あたしはどうすればよかったんだろう。
藍染隊長がどうしてあんなことをしたのかはわからない。
けれど、あたしにも何か出来ることがあったんじゃないのかって、そんなことばかり考えている。
自分の出来ることなんて、たかが知れているけれども、それでも、何か、何か……。
* * *
「それでね、藍染隊長と、乱菊さんとあたしで、シロちゃんのお誕生日を祝うのに花火を打ち上げてね」
何気ない思い出話を、目の前のベッドに向かってぽつぽつと語っていく。
あたしの話に対して、言葉は返ってこない。
けれど確かに、反応がある。
穏やかな顔付きで、目の前の人はあたしの言葉に耳を傾けて、時折頷いたり、スケッチブックに何かを書いて見せてくれる。
「綺麗だったなぁ、冬の花火」
透き通った銀色の瞳が、何も言わないまま夜空を見上げる。
「見てみたい?」
空を見ていた瞳がふとこちらへ向いて、口許に淡い笑みが浮かぶ。
小さく頷いた姿に、見せてあげたいなぁ、とぼやく。
スペルビ・スクアーロという、耳慣れない響きの名を持つその人は、今は喋ることが出来ないという。
口は開けても、喉を震わせることはできても、音を出せないようだった。
診察をした卯ノ花隊長は、この症状を呪術的な儀式の代償に近いと判じていた。
彼女自身もそれは承知していたらしく、日数が経てば自然と回復すると、紙に書いて伝えていた。
「えっと……スクアーロ、さん?」
どうしたの?と言うかのように首が傾げられる。
月明かりに照らされた銀髪が、さらりと肩から流れる。
絵のようで、とても綺麗で、ほうと思わず吐息を漏らす。
柔らかな表情からも、儚げな容姿からも、この人が……藍染隊長を追い詰める程強い人とは、あんなに激しい戦いを繰り広げた人だとは、あたしにあんな発破を掛けた人だとは、とても考えられなかった。
「もう遅いのに、あたしの話ばっかり聞かせちゃって、ごめんね?」
ふるふると首が横に振られる。
夜の帳の包む病室では、マジックペンが紙の上を走る音がよく聞こえた。
掲げられた紙には、眠れなかったから助かる、と書かれている。
優しい人だな、と思って、少し安心した。
命の恩人だし、怖い人ではない。
けれど、この人の考えていることはあまりよく分からなくて、二人きりでこの小さな病室にいるのが、少しばかり不安だったのだ。
……あの日、藍染隊長がいなくなってしまった、あの日。
胸を貫かれそうだったあたしを、直前で救ってくれたのが、この人。
お陰で死ぬことは免れたけれど、代わりにあたしは、親愛を向けていた隊長からの裏切りを突き付けられることとなった。
目の前で、この人と戦い、歪に笑うあの人の事を見る羽目に……。
それを、恨む気持ちは、不思議とわかない。
というよりも、ここに至っても尚、あたしには現実味がなくて、今から五番隊に戻れば、藍染隊長がいつものように笑いかけてくれるんじゃないかとすら、思っていて。
「……どうして、あたしの事を助けてくれたんですか?」
一つ、一番気になっていた事を、あたしはそのとき、ようやく聞くことが出来た。
どうしても、彼女があたしを助けた理由が見付からなかったのだ。
放っておいても、彼女と、六道さんの問題にならなかったはずだ。
なのにわざわざ、藍染隊長の目につくような真似までして、あたしを助けてくれた。
どんな答えが帰ってくるのか、緊張して生唾を飲み込む。
スクアーロさんは、夜空を見上げながら考える素振りを見せて、それからこちらを見て、ちょいちょいと手招きをする。
「……?そっちに、行けば良いの?」
上下に首を動かして肯定を示す様子を見て、あたしはベッドから腰を上げてそちらへ向かう。
すぐ隣を叩かれて、その通りに腰掛ける。
彼女は、一度手の中でくるりとペンを回すと、スケッチブックの上に文字を綴っていく。
【お前が藍染を敬愛していたように、俺にもそういう人がいた】
「あなたにも?」
【俺の主。俺はあいつの右腕だった】
「……どういう人だった?」
【野性の獣のような、業火ような】
そこまで書いて、手が止まった。
上手く言葉に出来ないらしく、ペン先は止まったまま、スケッチブックの上にインクが滲んでいく。
【強かったよ】
最後にただそれだけを書く。
きっとそれが、スクアーロさんが憧れたところなのだろう。
強さ……。
隊長の優しさに憧れたあたしとは少し違うけれど、それでもきっと、憧れたその人に着いていきたいと願った気持ちは、同じなのだろう。
「素敵な人だったんだろうね」
【まさか。傍若無人の乱暴者だ】
「え、ええ!?でも、尊敬してたんじゃ……」
【それとこれとは別の話。何度あいつにぶん殴られたか】
「殴られたの!?」
ビックリした。
彼女が本当に幸せそうに話すその人を、あたしはどんなに素敵な人かと想像していたのに。
そんなあたしを、彼女は何故かおかしそうに笑いながら見ている。
【ダメなとこもいっぱいある奴だったが、あいつの強さから目が離せなくなった。惚れたんだ、あの強さに】
「え、え、その、その人とは……その、恋人とか……」
【そういうのじゃない。あいつは自分のボスだ。敬愛こそすれど、恋慕なんて情はなかった】
「ほんとう?一度もそう思わなかったの?」
【ない。雛森は、藍染のことが好きだったのか】
「え!?いやっ、その、あの……あたし……」
【恥ずかしがることじゃない】
「……好き、です。たぶん、今も」
【あいつに、ついていかなくて良かったのか?】
白紙に並んだ細い文字の列。
どうするのかと突き付けられた、厳しくて、なのに何だか優しい選択。
あたしは、今もまだ選ぶことが出来ないままでいる。
──間違えた男に着いてきたと反省するのか、その間違いすら受け入れて跡を追うか
あの双極の丘の上で投げ掛けられた言葉が、今も喉元につかえているようで、つきつきと、胸が痛んだ。
「……藍染隊長に着いていって、あたしどうしたら良いか、わからなかったの。どうしたいのか、わからないの」
あたしが尊敬していた、あたしが大好きだった藍染隊長はそこにいなかった。
あんな冷たい目も、酷い言葉も、一度だって受けたことがなかった。
あれが本当の隊長だとして、あたしはその横で笑っていられるだろうか。
「貴女が、羨ましいな。乱暴でも、尊敬できる素敵な人と一緒にいられて」
気付くとそんな言葉がこぼれていた。
あたしの声は嫌になっちゃうくらい皮肉げで、彼女の方を見るのが恐くなった。
あたしがうじうじ悩んでるのが悪いのに、なんでこんな責めるような言い方をしちゃうんだろう……。
横から伸びてきた手が、とんと肩を叩いた。
恐る恐る視線を上げる。
「……ぷっ、あはは!」
目を向けた先の顔が、とんでもないことになってた。
綺麗な顔が、台無しになっちゃう変顔。
もう言葉に出来ないくらいの酷い顔で……ああ、もう、おかしいったらない!
ひとしきり笑ってから、いつの間にか真顔に戻ってた彼女に、また笑いが込み上げてきて布団に倒れ込む。
「もうっ、変な顔しないでよ!」
【してない】
「嘘つき!」
【笑ってる方が可愛い】
「誤魔化そうとしてる!」
【してない】
あたしが酷いことを言ったのに、笑わせてくれて、慰めてくれて、なのにしらばっくれて。
べーっと舌を出しているスクアーロさんを、もうと怒って小突いた。
ひぃひぃと笑いすぎて痛いお腹を抱えて、ようやく座り直した時には、スケッチブックにまた文字が並んでいた。
【オレのボスにも色々あって、何度か反乱を起こしたりしたものだが】
「は、反乱!?」
そんなさらっと言うことなの!?
【オレはあいつの怒りが正しいと思ったし、ムカつくジジイどもばかりだったし、一緒になって暴れた。結果としてオレ達は負けて自由をなくしたし、色々嫌な目にもあったけど、あの時の選択を後悔することはない】
「……どうして、後悔しないでいられるの?」
【信じた男の横で、戦い抜いたから、かな】
「でも、負けたんでしょ?」
【負けたけど、難ならあいつに不利になるようなこともしちまったけど、あの時のオレが言いたかったことは全部ぶちまけて、そんで死ぬ気でやりきれたと思ったから】
長々と話をして、読んで、それからしばらく、黙って並んで考え込んで。
「まだ私には、わからないよ……」
「……」
「けれど、考え続けるよ。わかるまで、決めるまで、ちゃんと、目を逸らさないように、頑張るよ」
【なら、見届けよう】
それは、月だけが知っているささやかな約束。
私と彼女だけの、未来へ向けた約束だった。
あたしはどうすればよかったんだろう。
藍染隊長がどうしてあんなことをしたのかはわからない。
けれど、あたしにも何か出来ることがあったんじゃないのかって、そんなことばかり考えている。
自分の出来ることなんて、たかが知れているけれども、それでも、何か、何か……。
* * *
「それでね、藍染隊長と、乱菊さんとあたしで、シロちゃんのお誕生日を祝うのに花火を打ち上げてね」
何気ない思い出話を、目の前のベッドに向かってぽつぽつと語っていく。
あたしの話に対して、言葉は返ってこない。
けれど確かに、反応がある。
穏やかな顔付きで、目の前の人はあたしの言葉に耳を傾けて、時折頷いたり、スケッチブックに何かを書いて見せてくれる。
「綺麗だったなぁ、冬の花火」
透き通った銀色の瞳が、何も言わないまま夜空を見上げる。
「見てみたい?」
空を見ていた瞳がふとこちらへ向いて、口許に淡い笑みが浮かぶ。
小さく頷いた姿に、見せてあげたいなぁ、とぼやく。
スペルビ・スクアーロという、耳慣れない響きの名を持つその人は、今は喋ることが出来ないという。
口は開けても、喉を震わせることはできても、音を出せないようだった。
診察をした卯ノ花隊長は、この症状を呪術的な儀式の代償に近いと判じていた。
彼女自身もそれは承知していたらしく、日数が経てば自然と回復すると、紙に書いて伝えていた。
「えっと……スクアーロ、さん?」
どうしたの?と言うかのように首が傾げられる。
月明かりに照らされた銀髪が、さらりと肩から流れる。
絵のようで、とても綺麗で、ほうと思わず吐息を漏らす。
柔らかな表情からも、儚げな容姿からも、この人が……藍染隊長を追い詰める程強い人とは、あんなに激しい戦いを繰り広げた人だとは、あたしにあんな発破を掛けた人だとは、とても考えられなかった。
「もう遅いのに、あたしの話ばっかり聞かせちゃって、ごめんね?」
ふるふると首が横に振られる。
夜の帳の包む病室では、マジックペンが紙の上を走る音がよく聞こえた。
掲げられた紙には、眠れなかったから助かる、と書かれている。
優しい人だな、と思って、少し安心した。
命の恩人だし、怖い人ではない。
けれど、この人の考えていることはあまりよく分からなくて、二人きりでこの小さな病室にいるのが、少しばかり不安だったのだ。
……あの日、藍染隊長がいなくなってしまった、あの日。
胸を貫かれそうだったあたしを、直前で救ってくれたのが、この人。
お陰で死ぬことは免れたけれど、代わりにあたしは、親愛を向けていた隊長からの裏切りを突き付けられることとなった。
目の前で、この人と戦い、歪に笑うあの人の事を見る羽目に……。
それを、恨む気持ちは、不思議とわかない。
というよりも、ここに至っても尚、あたしには現実味がなくて、今から五番隊に戻れば、藍染隊長がいつものように笑いかけてくれるんじゃないかとすら、思っていて。
「……どうして、あたしの事を助けてくれたんですか?」
一つ、一番気になっていた事を、あたしはそのとき、ようやく聞くことが出来た。
どうしても、彼女があたしを助けた理由が見付からなかったのだ。
放っておいても、彼女と、六道さんの問題にならなかったはずだ。
なのにわざわざ、藍染隊長の目につくような真似までして、あたしを助けてくれた。
どんな答えが帰ってくるのか、緊張して生唾を飲み込む。
スクアーロさんは、夜空を見上げながら考える素振りを見せて、それからこちらを見て、ちょいちょいと手招きをする。
「……?そっちに、行けば良いの?」
上下に首を動かして肯定を示す様子を見て、あたしはベッドから腰を上げてそちらへ向かう。
すぐ隣を叩かれて、その通りに腰掛ける。
彼女は、一度手の中でくるりとペンを回すと、スケッチブックの上に文字を綴っていく。
【お前が藍染を敬愛していたように、俺にもそういう人がいた】
「あなたにも?」
【俺の主。俺はあいつの右腕だった】
「……どういう人だった?」
【野性の獣のような、業火ような】
そこまで書いて、手が止まった。
上手く言葉に出来ないらしく、ペン先は止まったまま、スケッチブックの上にインクが滲んでいく。
【強かったよ】
最後にただそれだけを書く。
きっとそれが、スクアーロさんが憧れたところなのだろう。
強さ……。
隊長の優しさに憧れたあたしとは少し違うけれど、それでもきっと、憧れたその人に着いていきたいと願った気持ちは、同じなのだろう。
「素敵な人だったんだろうね」
【まさか。傍若無人の乱暴者だ】
「え、ええ!?でも、尊敬してたんじゃ……」
【それとこれとは別の話。何度あいつにぶん殴られたか】
「殴られたの!?」
ビックリした。
彼女が本当に幸せそうに話すその人を、あたしはどんなに素敵な人かと想像していたのに。
そんなあたしを、彼女は何故かおかしそうに笑いながら見ている。
【ダメなとこもいっぱいある奴だったが、あいつの強さから目が離せなくなった。惚れたんだ、あの強さに】
「え、え、その、その人とは……その、恋人とか……」
【そういうのじゃない。あいつは自分のボスだ。敬愛こそすれど、恋慕なんて情はなかった】
「ほんとう?一度もそう思わなかったの?」
【ない。雛森は、藍染のことが好きだったのか】
「え!?いやっ、その、あの……あたし……」
【恥ずかしがることじゃない】
「……好き、です。たぶん、今も」
【あいつに、ついていかなくて良かったのか?】
白紙に並んだ細い文字の列。
どうするのかと突き付けられた、厳しくて、なのに何だか優しい選択。
あたしは、今もまだ選ぶことが出来ないままでいる。
──間違えた男に着いてきたと反省するのか、その間違いすら受け入れて跡を追うか
あの双極の丘の上で投げ掛けられた言葉が、今も喉元につかえているようで、つきつきと、胸が痛んだ。
「……藍染隊長に着いていって、あたしどうしたら良いか、わからなかったの。どうしたいのか、わからないの」
あたしが尊敬していた、あたしが大好きだった藍染隊長はそこにいなかった。
あんな冷たい目も、酷い言葉も、一度だって受けたことがなかった。
あれが本当の隊長だとして、あたしはその横で笑っていられるだろうか。
「貴女が、羨ましいな。乱暴でも、尊敬できる素敵な人と一緒にいられて」
気付くとそんな言葉がこぼれていた。
あたしの声は嫌になっちゃうくらい皮肉げで、彼女の方を見るのが恐くなった。
あたしがうじうじ悩んでるのが悪いのに、なんでこんな責めるような言い方をしちゃうんだろう……。
横から伸びてきた手が、とんと肩を叩いた。
恐る恐る視線を上げる。
「……ぷっ、あはは!」
目を向けた先の顔が、とんでもないことになってた。
綺麗な顔が、台無しになっちゃう変顔。
もう言葉に出来ないくらいの酷い顔で……ああ、もう、おかしいったらない!
ひとしきり笑ってから、いつの間にか真顔に戻ってた彼女に、また笑いが込み上げてきて布団に倒れ込む。
「もうっ、変な顔しないでよ!」
【してない】
「嘘つき!」
【笑ってる方が可愛い】
「誤魔化そうとしてる!」
【してない】
あたしが酷いことを言ったのに、笑わせてくれて、慰めてくれて、なのにしらばっくれて。
べーっと舌を出しているスクアーロさんを、もうと怒って小突いた。
ひぃひぃと笑いすぎて痛いお腹を抱えて、ようやく座り直した時には、スケッチブックにまた文字が並んでいた。
【オレのボスにも色々あって、何度か反乱を起こしたりしたものだが】
「は、反乱!?」
そんなさらっと言うことなの!?
【オレはあいつの怒りが正しいと思ったし、ムカつくジジイどもばかりだったし、一緒になって暴れた。結果としてオレ達は負けて自由をなくしたし、色々嫌な目にもあったけど、あの時の選択を後悔することはない】
「……どうして、後悔しないでいられるの?」
【信じた男の横で、戦い抜いたから、かな】
「でも、負けたんでしょ?」
【負けたけど、難ならあいつに不利になるようなこともしちまったけど、あの時のオレが言いたかったことは全部ぶちまけて、そんで死ぬ気でやりきれたと思ったから】
長々と話をして、読んで、それからしばらく、黙って並んで考え込んで。
「まだ私には、わからないよ……」
「……」
「けれど、考え続けるよ。わかるまで、決めるまで、ちゃんと、目を逸らさないように、頑張るよ」
【なら、見届けよう】
それは、月だけが知っているささやかな約束。
私と彼女だけの、未来へ向けた約束だった。