×鰤市

その氷柱が現れたのは、藍染達が反膜(ネガシオン)に包まれ、上空にぽっかりと空いた穴に吸い込まれていく時だった。
シャンと、辺り一体の空気を全て凍らせるかのように、双極の丘に立ったそれは、樹木のように空へと枝を伸ばし、やがて反膜をも捉える。
「なに……?」
「反膜に、罅が……!」
3人分の反膜、その全てに青い氷が突き刺さり、やがて不可触であるはずの壁を粉々に破壊する。
藍染の眉間には深いシワが刻まれ、この事態の異常さを物語っていた。
裏切り者達が地面へと墜とされる。
それよりも早く、その氷は双極の丘の上を覆い、燃えるような氷の枝々によって大きな舞台を造り上げる。
その中心に、二人の人影が在る。
「な、んで……スクアーロ!?」
一護の声に、スクアーロが振り向くことはなかった。
これまでに見たこともないような険のある顔で、スクアーロは藍染達の姿を睨んでいる。
「君は、先程の」
「……」
「雛森君はどうしたのかな」
「……そこにいるぜぇ」
スクアーロが徐に指差した場所を、その場にいた全員が注視した。
氷の舞台の、壁一枚を隔てたその場所に、所在なさげに立つ人は、まさしく雛森桃その人である。
「う"お"ぉい……しっかり見ておけよ、雛森。お前の慕った男の本性を。目をそらすな。一言たりとも聞き逃すなぁ。その眼がまだ曇ってねぇのなら、この男の一挙一動、全てをその眼に焼き付けろぉ」
ようやく、スクアーロがまともに口を開いた。
その言葉の、その抑揚の、声の、顔の、瞳の、空気の端々に、どろどろと煮え滾る、濃い怒りのようなものが現れて、その力強さに、彼女の脚は半歩下がる。
「な、なんで……?」
何に対して理由を問うたのかは、彼女本人にもはっきりとはわかっていなかったのだろう。
なんで自分がここに連れてこられたのか。
なんで藍染は敵としてここに立っているのか。
なんで、スクアーロは自分に言葉を向けるのか。
聞きたいことも言いたいことも、きっと山のようにあって、だから余計にごちゃつく頭の中を言語化することが出来なかった。
言葉もなく、雛森はただ眩しそうにスクアーロを見上げる。
「なんで、だぁ?」
一瞬だけ彼女を振り返った銀灰色の瞳は、すぐに目の前の男に戻された。
「判断するために決まってんだろぉ!間違えた男に着いてきたと反省するのか、その間違いすら受け入れて跡を追うか……。全てを見て、お前が決めろぉ!」
「っ!」
雛森には、藍染が間違っているとは、未だに思えない。
騙されてるだけかも。
誰かが隊長の振りをしているのかも。
何かとても大事な理由があるのかも。
しかしそれを、否定される。
スクアーロの言葉に、藍染の行動に、空を割って現れた敵に。
スクアーロが言ってるのは、それを受け入れた先のことだった。
間違っている。
間違っているなら、どうする?
戦って正す?
泣き寝入りする?
それとも、それでも……。
「そろそろ、茶番は終わりかな?」
耳に馴染む声に、しかし今までとはまるで違う冷たい声音に、雛森はっと視線を上げる。
「茶番ね……」
「クフフ、ええ、ええ。茶番は終わりですとも。そうでしょう、ガットネロ」
「チッ、終わり……ってよりゃあ、始まりだろうがぁ。ここから先は、オレと、てめぇ。六道とそいつらとの、……エキシビションマッチだぁ」
「真剣勝負ではないのかな?」
「うるせぇぞドカスがぁ。オレ達は所詮は部外者で、本来ならこんな戦いは有り得ねぇ」
「強引に作った余興の時間ですから、そう長くは使えません。さあ始めましょう。この、壮大にして滑稽な、遊びだらけの下らない勝負を……。そして、その体に刻み付けてあげましょう。僕の……僕達の、怒りを」
「始めるぞぉ!」
どこから出したのか、左手に構えた剣を振り上げ、スクアーロが地面を蹴る。
速かった。
しかし、藍染との間にある壁は、速さなどで抜けるものではない。
「待て……スクアーロぉ!」
あらんかぎりの一護の叫び声は、その銀色の背に届いたのだろうか。
一瞬の内に、その背中から鈍色が一本生え、ゆっくりと、じわじわと、地面を赤く染めていく。
「……随分と、呆気ないな」
「そ、んな……!」
詰まらなそうな藍染の呟き。
時間が止まったように思えた。
絶望が一護の心を押し潰してくる。
藍染は、その様子を横目に見ながら、心臓を貫かれ、絶命しただろう男の体から刀を抜こうと力を込める。
しかし刀は抜けなかった。
「呆気ない……?こんな人形倒して、勝った気になってんじゃねぇよぉ!」
「な……!」
直後、そのヒトガタは姿を大きく変える。
赤い血も、銀糸の髪も、黒尽くめの服も、陶器のような白い肌も、するりと色を削ぎ落として、透明な水に変わる。
ぬるりとその水が藍染の腕に絡み付く。
振り払おうと彼が腕を振った瞬間、それは速度を増し、瞬く間に彼の体を包む水の牢獄に変わる。
「クフフ、落ち着きなさい藍染惣右介。お楽しみは、ここからですよ」
いつの間にか、市丸と東仙は引き離されて、氷の壁の向こう側にいる。
彼らの体は固い金属に拘束され、簡単には脱出できないようだった。
同じく壁の向こうに立つはずの六道骸の声が、耳元でうっそりと呟く。
それと同時に、聞き覚えの無い言葉が地を這うことに気が付く。
「──────は祝良……南海の神、名は巨乗。北海の神、名は禺強。四海の大神、百鬼を退け、凶災を蕩う。……この身に刻まれし呪われし刻(トキ)、傷、痛み、苦しみ。今ここに怨敵祓いし力とならん。破軍──輪廻」
妙な抑揚と、呪いのような単語の羅列。
すぐに、それを唱えていたスクアーロの影が、強い風と霧に覆われて見えなくなる。
いや……霧ではなく、炎、だろうか。
猛々しくもどこか優美なそれは、十も数えない内に晴れて消える。
藍染は、斬魄刀の一振りで纏わりつく水を切り払い、目の前のそれを見据えた。
白銀の髪には黒い束がいくつか混じっている。
暗い銀灰の虹彩は燃える炎のような赤に変わる。
顔に、手に、身体中に浮き出た痣は、痛々しさよりも威圧感の方が強い。
指貫グローブを着けたほっそりした指先は、今はその爪を刃物のように鋭く尖らせている。
そして……。
「鬼のような角に、狐のような尾か。……ふっ、まるで妖怪のようだな」
「はっ!借り物だが、尾の方は本物だぜぇ」
「どのようにしてその桁外れの力を手に入れたのか、じっくり聞かせてもらいたいところだが……」
「断るぞぉ!お前との話は……つまらねぇ。──カッ消えろ、ドカスがぁ!」
また、その手の中にはいつの間にか武器が現れている。
藍染は一度だけ、それに近い形状のものを見たことがあった。
「銃が死神に効くと?」
「特別製に決まってんだろうがぁ!」
がうんっ!と銃が吼える。
その銃口から噴き出たものは、鉛玉でも、霊力でもない。
「炎……!」
「ぶははははっ!良いぞ、そのまま塵も残さずに消えろ!」
先程よりも、いやに上機嫌に笑う声の中に、焦げ付くほどの憤怒を感じる。
範囲の広いその攻撃を、避けようと思えば避けられただろう。
それを避けなかったのは、間違いなく彼の驕りだった。
「ぐっ……な、あ……!?」
服の端がヂリリと弾けて消えた。
塵になっていく。
その炎に触れたところから、焼け焦げ、風化し、塵も残さず消えていく。
即座にその場を離れた。
しかしそれすらも、読まれている。
「さあ、上手に踊れよ、藍染惣右介。これは、血肉舞う余興なんだからなぁ……!」
凍った地面を滑るように、獣の尾が腹を穿とうと迫る。
藍染はそれを難なく刀でさばき、距離を取り、即座に振り返る。
「なっ……!」
「影武者(それ)はさっきも見せてもらっただろう?」
「が、あ……!」
背後に迫っていたスクアーロの首を、斬魄刀で一息に貫いた。
手応えはあった。
あった、のだ。
「くそがぁ……。早速見切ってきやがったかぁ!」
「は……?」
ぬるりと、スクアーロの体が刀を抜けた。
まるで実体が存在しないかのように、刀をすり抜け、そのまま藍染の体すらもすり抜ける。
一瞬、その紅い虹彩に浮かぶ複雑な紋様を見た。
再び背後に回ったスクアーロが剣を振り下ろす。
反射的にその剣を鍔で受けた。
──ガキャン!
「……今のすり抜けは、その眼の術かな?」
「さあ?どうだろうなぁ?」
きゅうっとその目が弧を描く。
刀と剣の間で、何かが爆ぜた。
また、二人の間には距離が出来る。
久し振りだった。
一瞬で終わらず、こうして長く続く戦いは、スクアーロにとっても、藍染にとっても、久しいことだった。
スクアーロがちろりと唇を舐める。
藍染の口許の笑みが深まった。
「ぶん殴る」
「ふふ、少しは楽しめそうだな」
パチパチと、宙を靡く銀髪が雷電のように弾けた。
52/58ページ
スキ