×鰤市

オレの、一日の始まりは早い。
日も昇らない早朝に起き、家事をこなし、家の近くをジョギング、人気のない公園でトレーニングを行い、帰宅。
シャワーを浴び、朝飯を食って、平日には学校へ向かう。
そして今日のような、何の予定もない休日には、食料の買い出しをしたり、近所を散歩がてら、美味い店でもないかと探索する。
今日は近くに美味い洋菓子店があると聞いて、ふらふらとその辺りを歩いていた。
まさかこんな、平和で平穏な日に、あんな怪しい生き物……生き物?と遭遇するなど、思いもしなかった。
そう、それは……。
「なんで追っかけてくるんだよおお~!!!」
ぬいぐるみが、叫び、号泣しながら、物凄いスピードで走っている。
それをハンターのごとき鋭い瞳で見据えて追い掛けているのは、クラスメイトの国枝とチャドだ。
おいおい、こりゃあ一体どういう状況なんだ……。
つーかあのぬいぐるみから感じる霊圧、ありゃ確か、この間黒崎の体を乗っ取った改造魂魄じゃないのか……?
それが一体なぜ、ぬいぐるみになって、しかもクラスメイトに追われているんだ。
奴の叫び声は、一度遠くに離れ、そして家数件分を一周して、こちらへと戻ってきていた。
面倒事の予感しかしない……が、ここで奴が、死神だの霊魂だのを知らない人間に捕まりでもしたら、それはそれで面倒になりそうだ。
物凄い勢いで走ってくるぬいぐるみを、オレは仕方なしに捕獲、持っていた鞄の中に突っ込み、何事もなかったかのように歩き出した。
「!スクアーロ!?」
「ム、スクアーロか」
「よお、こんなとこで全力疾走なんてして、なんかあったのかぁ?」
二人はハッとして顔を見合わせる。
喋って動くぬいぐるみを捕まえようとしていた、なんて、そんなこと言ったら頭がおかしくなったと思われるだろうからな……。
結局説明することは諦めたらしい二人は、かなり遠回しにぬいぐるみのことを聞いてきた。
「その、この辺りで……小さくて、喋る……変な生き物見なかったかしら?」
「は?……変な生き物って言われても、お前らに会うまでに、特別おかしなことはなかったぜ?」
「そ、そうよね……」
オレの答えに、二人揃って意気消沈する。
チャドが用事があると言って去っていき、国枝も一言二言話した後に、元来た道を引き返していった。
「じゃあ……、また学校でね」
「おう、またな、国枝」
ちょっとだけ頬を上気させた国枝は、結構レアかもしれない。
もう少し話していても良かったが、今はあのぬいぐるみが優先か。
「ぶはっ!お、お前なんで……」
「しー、後でちゃんと帰してやっから、もうしばらく鞄の中で大人しくしてろぉ」
「お、おう」
顔を出したぬいぐるみにそう言い聞かせて、オレはくるりと踵を返し、自宅へと戻ったのであった。



 * * *



「ただいま~」
「む、よく帰ったな鮫弥!ケーキはどこだ!?」
「予定変更して帰ってきたから、買ってねぇ」
「な……に……?」
ぴょんぴょんととび跳ねて、オレが買ってくる予定だったケーキをねだる紫紺に、悲しい現実を突き付ける。
可哀想に、小狐は部屋の隅に丸まって落ち込んでしまう。
あーあ、可哀想。
「き、狐が喋ってる……」
「喋るぬいぐるみが何言ってやがる」
「お、おお、そうだったな」
鞄から顔を出したぬいぐるみに、オレは冷静に突っ込みを入れた。
悲しみに暮れる紫紺は放置して、ぬいぐるみを椅子の上に置いてやる。
表情の変化はわからねぇが、どうやら彼は緊張しているらしい。
落ち着きなくキョロキョロと辺りを観察して、危険が無さそうだと判断したところで、オレの方を見た。
「お、お前、なんでオレのことを助けたんだ……?」
「あ゛?そりゃまあ……お前が捕まったら、朽木や黒崎が困るだろぉ。オレも巻き込まれたら困るしなぁ」
「ほ、ほぉ……。って、お前、オレの正体わかってんのか!?」
「……セクハラ黒崎……?」
「一護に対して何の恨みがあるんだ!?」
別に恨みがあるわけではないのだが、簡単に説明するとそうなるだろう。
鞄を片付け、ミネラルウォーターをコップに注いだ。
一気にそれを飲み干して、もう一度ぬいぐるみに視線を戻した。
「で、お前どうして外を出歩いてた?黒崎ん家で保護されてんじゃなかったのか」
「い、いや、保護っつーかなんつーか……」
「?」
「オレ様があいつらの面倒を見てやってたんだよ!だがアイツら……ひどい扱い方しやがって……」
「あー……家出かぁ?」
「くっ……!簡単に言うと、そうだ!」
胸を張って言うことか。
オレは大きくため息を吐く。
しかしそうなると、こいつは中々黒崎の家には帰りたがらないのではないだろうか。
「お前、この後どうすんの」
「そりゃあーもう、美人のおねーさんに拾われてうっはうはのまっにょまにょ……」
「いや、そんな汚ぇんじゃあ、誰も拾いたがらねぇだろうが……」
「ガーン!」
オーバーなリアクションだな……。
よくよく見てみりゃあ、埃まみれの土まみれ、所々ほつれているところもあるし、ぼろぼろという言葉がよく似合う。
紫紺の隣で落ち込むぬいぐるみを見て、仕方ないと立ち上がる。
「う゛ぉい、ぬいぐるみ」
「うぅ……なんだよぉ……」
「ちっと洗って綺麗にしてやる。終わったらちゃんと家に帰れよぉ」
「へ?」
「紫紺、お前も風呂入れぇ」
「むぅぅ……けぇきぃぃ……」
呆然とするぬいぐるみと、むくれて拗ねる紫紺を抱き上げて、風呂場に向かう。
パンツの裾を捲って、二人を風呂桶に入れた。
お湯で軽く汚れを濯いだ後、ボディーソープで丁寧に洗って、また丁寧にお湯で流す。
紫紺の為に買ってやった、ペット用の高級ボディーソープだ。
うん、良い匂いがする。
タオルで水気を拭ってやり、ドライヤーで乾かす。
「……はっ!綺麗になってる!」
「お、おう……。どんだけ長い間放心してたんだお前」
完全に水気が取れたところで、ようやく我に返ったらしいぬいぐるみは、自分の匂いをくんくんと嗅いで、良い匂いがすると目を輝かせている。
随分と感情豊かなぬいぐるみだ……。
というか匂いわかんのか……すげぇな尸魂界産。
紫紺は紫紺で、未だ落ち込んでるらしく、ソファーに伏せって悲しそうに鼻を鳴らしていた。
「ほら、十分綺麗になったし、頭も冷えただろぉ。とっとと家に帰りなぁ。それとも、送ってってやらなけりゃあ帰れねぇか?」
「か、帰るくらい一人でできるわ!……でもよ、その」
「あ?」
「もう少しだけここにいたらダメか?」
キラキラ~とばかりに目を潤めて見上げてくる人形。
不細工って訳でもねぇが、どことなく顔から邪念を感じるのはオレの気のせいだろうか。
オレとしては、ここにいちゃまずい、ってことはねぇが、だがここにこいつがいることで、もしもユニの予知がずれるようなことがあったら……。
「……お前は、黒崎達の元へ帰るべきだ」
「ぐっ……そりゃそうだけどよ~」
「……明日にはちゃんと帰れ。今日だけは置いてやる」
「マジか!さっすがイケメ~ン、話がわかるじゃねぇか~!」
なんだろう、こいつの顔見てっとなんか苛つくな。
別に悪い奴じゃあねぇんだろうが。
浮かれるぬいぐるみに向かって、大きくため息を吐く。
「はあ……。おいぬいぐるみ」
「オレ様はコンだ!キングオブニューヨーク!略してコン様だぜ!」
「いやどうでも良いし。……オレも風呂入ってくるから、そこの狐と一緒に大人しくしてろよぉ」
「おうよ!にしても勿体ねーなぁ。これでお前がボインボインで色気むんむんなセクシーネーチャンだったら言うことねーのによー」
「高望みしすぎだぁ!」
ここだ、こういう調子こいた物言いが、シャマルの馬鹿に似てやがるんだ。
それは苛つくのも仕方がねぇ。
ま、一日限りの付き合いだ。
大目に見てやるしかねぇか。
そう言えば、あいつは飯を食えるんだろうか。
さすがにぬいぐるみじゃあ無理だと思うし……、それは自分と紫紺の分だけで良いのかな。
そんなことを、つらつらと考えながら風呂に入る。
服を脱いで、扉を開けようとした時だった。
「おいイケメンにーちゃん!折角だし後で耳のほつれたとこ直して……くれ……。……お、おう」
「っ!こ……っの!!」
「いやーはっはっはー、おっぱいはともかくスタイルはなかなか良いと思うz……」
「覚悟ぉ!」
「ヒギャアアア!!?」
大人しくしてろと言ったのに、勝手にドアを開けて脱衣場へと入ってきたぬいぐるみ。
固まるオレ、真顔らしき表情を浮かべるぬいぐるみ。
開き直って批評し始めたその頭を鷲掴み、中身が飛び出るのではないかと言うほど強く、握り締めた。
その後、意識のあるまま耳のほつれとやらをザクザクと縫ってやり、余っていた布でフリルたっぷりの可愛らしいドレスを作って着せてやり、更には脱げないようにバッチリと体に縫い付けてやり、黒崎の家に投げ込んできたわけだが、それでもオレは一生奴を許すことはないだろう。
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