×鰤市

「おはよ、スクアーロ」
「……ん」
聞き慣れた声が、教室の入り口から聞こえてくる。
思わずびくりと肩を跳ねさせて、一護はそろそろと振り向く。
昨日の今日、あんな驚きの事実を知ってしまって、いつも通りに接することが出来るだろうか。
密かな不安を胸に振り向いた、一護の視線の先に、いつも通りの透き通る銀色が、いつもとは異なるぼんやりとした様子で立っていた。
「スックアーロー!はよっす!」
「うん……」
「なんだー?元気ねーなスクアーロ」
「んー……」
啓吾に話し掛けられても、ぼんやりとした表情で曖昧な言葉を返すだけで、いつもの凛とした様子が見られない。
流石に一護も、おかしいと感じ始める。
チャドと目配せをして、そっとスクアーロに近付く。
近付いて見てみれば、ふらふらと足取りが覚束ないことがわかった。
「おいスクアーロ、お前本当にどうしたんだ?」
「……どう?」
「ふらっふらだし、つーか顔色も悪くねぇか?」
「そうかぁ……?」
ぐしっと目元を擦りながら、眉を下げて小首を傾げる。
ふと、その目元が仄かに赤みを帯びていることに気がついた。
「……スクアーロ、お前、なんかあったか?その、目元、赤いけど……」
「……わかんねぇ」
「は?」
「なんか、昨日から調子悪い」
「え"」
「頭ぼんやりして、体、だる……」
「ちょ、スク……うおっ!?」
言葉の途中で、スクアーロの体は急に倒れてしまう。
咄嗟に支えて、呼び掛ける。
「おいスクアーロ!?」
「ど、どうしたんだよ!?」
「スクアーロ……熱でもあるんじゃない?とりあえず保健室に……」
へたりと力なく寄りかかり、呼び掛けにも答えないスクアーロからは、しかし穏やかな寝息が聞こえてくる。
普段とは明らかに異なる様子に、戸惑いを隠しきれず、慌てて対処しようとする彼らに、一つ声がかけられた。
「みなさん、おはよう!……あら、どうかなさったの?」
「あ、朽木さん!それがスクアーロの奴、急に倒れて……」
「え?」
明るい挨拶と共に、あからさまな猫を被って、朽木ルキアが教室に入ってくる。
しかしスクアーロを見るとすぐに、その視線が鋭く尖った。
「大変!保健室に行かなくちゃ!手伝ってくださる、黒崎くん?」
「あ、ああ」
そして一護は、スクアーロを背負い保健室へと向かったのだった。



 * * *



朝、目を覚ましたときから、吐き気が止まらなかった。
ジェットコースターに乗りまくった後みたいな、胃の浮くような感じが続いている。
朝食を食べる余裕もなかったが、学校には登校した。
『おい鮫弥、今日は休め!聞こえとるだろう!?』
紫紺がそんなことを言っていた気がする。
いつからこんなに具合が悪くなったんだったか。
昨日から?
そんな気もする。
記憶がなんだか朧気で、頭は朦朧としていて、足取りは覚束ない。
何人かに声を掛けられたような気もする。
どうしてこんなに、ぼうっとしているのか。
頭がまるで働かなくて、考えようという気さえおきなかった。
気付くとオレは、暖かいベッドに寝かされ、二人の人影に覗きこまれていた。
「起きたか?」
「……くろさき?」
「意識は確りしているか?」
「朽木……オレは……」
「まだ動くな。もうしばらくじっとしていろ」
「……ああ」
促されるまま、起こしかけた体をベッドに沈め、隣で心配そうに見ている黒崎に視線を合わせる。
「……黒崎、お前よぉ」
「あ?なんだよ」
「昨日オレの服、無理矢理脱がしただろぉ」
「ぶっふぉ!?」
反応を見るに、本当にそんなことがあったらしい。
なら、コイツらには女だってバレたのか。
まさかこんなに早くバレることになるとは、思わなかったな……。
「ああああれはその、不可抗力っつーか、悪意があったわけじゃねぇっつぅか!」
「阿呆、別に気にしちゃいねぇよ。隠していた、オレが悪い」
「……そ、そうか?」
「そうさ。それよりもお前らぁ、オレに何かしただろぉ」
「え"!?」
真っ赤になって弁解したり、安心したような顔をしたり、かと思えば一瞬で青ざめたりする表情が、見てて飽きない。
若い、そして、分かりやすい。
案外バカだな、こいつ。
「……記憶置換が効いていないのか」
「記憶置換……確かに、昨日は風邪で1日寝ていたような気もする」
「は?じゃあ何で昨日あったことを覚えて……」
「なんか、記憶が二つある感じ……?」
「効いていないことに変わりはない。浦原の奴、適当な物を掴ませおって……」
浦原ってのが誰かはわからねぇが、そいつがオレを、この状態にした原因なのだろう。
眉間にシワを寄せる朽木をぼんやりと眺めていると、ふと視線があった。
「貴様、どこまで記憶がある?」
「……チャドとずっと逃げてた。何から逃げてたのかは、……ぼんやりしてる。久々にケンカして、その後……黒崎に脱がされた」
「いつまでそれ引っぱんだよお前は‼」
ぺしっと額を叩かれて、思わずむっと唇を尖らせる。
見られたことも脱がされたことも事実じゃないか。
……本当は、元連続殺人犯の虚に襲われたことも、シバタを黒崎が成仏させたことも覚えている。
つい先ほどまでは、意識朦朧、前後不覚の状態だったようだが、少し寝たお陰か、だいぶ頭の中がハッキリとしてきた。
答えるべきか、そうでないかくらいは、考えられる。
「……ふむ、まあそれならば構わない。お主の素性と、昨日の記憶。お互いにお互いのことは話さない。これならば、貴様も余計なことは出来ぬだろう」
「……まあ、そうかも。わかった、この記憶のことは何も話さない。どんな意味があるのかも聞かない」
「ふっ、一護と違って物分かりの良い奴だ。頼むぞ、スクアーロ」
「オレと違ってってどういう意味だよ!」
「頼まれた」
「お前もスルーすんな!」
黒崎の馬鹿は喚いていたが、こうしてオレと朽木の間には、協定のようなものが結ばれたわけである。
教室に戻るという二人を見送り、オレは紫紺に話し掛けた。
「わりぃ、紫紺」
『……今更なんだ。散々忠告を無視しておいて……』
「拗ねるなよ。さっきまでほぼ無意識だったんだから、仕方ねぇだろぉ?」
『だから、学校は休めと言ったのだ』
「悪かったって」
どうやら、紫紺の言葉を聞き入れずに登校したせいで、拗ねられてしまったらしい。
クスクスと笑いながら、円を広げて二人のオーラを追う。
教室に戻る、なんて言ったくせに、二人は中庭にいるようだった。
ふいに、黒崎の気配がぶれる。
円の感覚と、二人につけている式神の情報から、アイツが死神化したらしいことがわかった。
そして黒崎の肉体には別の魂が入っていて……。
「……ん゛?」
死神となった黒崎と朽木が、遠くに現れた虚の元へ走っていく。
すぐに円の範囲から出ていってしまった二人とは別に、黒崎の肉体は中庭に留まっている。
だがその肉体に入っている魂の感じが、どうにもおかしく感じる。
しばらく円を続けていると、そいつが突然柵を蹴り壊したり、教師の頭上を軽々と飛び越えたりと、メチャクチャをやらかし始めた。
「……なんだか、ヤバイことになりそうだなぁ」
一つため息を落とす。
オレはベッドから立ち上がると、まだ本調子の出ない体を引きずり、教室へと走り出したのだった。
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