×鳴門

「――桃太郎は、悪い鬼を退治するために、鬼ヶ島へと向かうことにしました」
「おにがしまってどこにあるの?」
「ん゙、オレも知らない」
「そっかー」

食事が終わったあと、ご機嫌のイタチに部屋の隅に連れていかれた。
本を読んでほしいらしかったので、その場に胡座をかいて、膝にイタチを乗せて読んでやった。
イタチは小さいけど、オレもまだ小さいから、この体勢は結構キツい。

「――めでたしめでたし」
「ももたろーつよいね」
「そうだなぁ」
「おれもつよくなれる?」
「イタチも強くなりたいのかぁ?」
「うん、とーさんとかーさんのことまもるんだよ!」
「そうかぁ。きっと、イタチならなれる」
「ほんと?」
「本当」

鼻のすぐ先にある頭を撫でる。
気持ち良さそうに目を細める、その様子が愛らしい。
ぎゅっと抱き締めると、イタチは擽ったそうに身をよじる。
子どもらしい高い体温が心地良い。
こんな経験は初めてで、この空間が酷く安心する。
乙女達京妖怪はこんなこと絶対させてくれなかったしな。
ふと目を上げると、フガクと視線が合う。

「何見てんだよ」
「……お前も、そんな顔をするのかと思ってな」
「そんな顔って……何だよ」

フガクは答えないまま、顔を背ける。
ミコトさんはオレ達の様子を微笑ましそうに見ている。
そんな、何てことのない時間が、懐かしくて、嬉しい。
だからだろうか、その日、遅くに戻った家が、いつも以上に寂しく感じた。
自分の部屋の広さとか、一人で寝る布団の薄ら寒さとか、そんなものがいつも以上に色濃く感じる。

「……紫紺」
「……なんだ鮫弥」
「寂しい」
「……」

出てきた紫紺の体を腕の中に閉じ込めた。
でも、紫紺の体は小さすぎて、心の隙間は埋まりそうにない。

「……まったく、脆いなぁ主よ」
「るせぇよ……」
「……『オレ』が、慰めてやるよ」

腕の中の気配が消えた。
そう思った次の瞬間、頭上から降ってきた声と、暖かな体温に、体の力が抜ける。

「バカじゃねーの、お前」
「バカじゃない。と言うか、一番得意な変化がこれなのだ。仕方がないだろう」

目の前に寝そべるのは、白銀の髪、白い肌、凶悪な目付き。
自分自身のかつての姿が、そこにあった。

「さっさと寝て切り替えろ。明日はあかでみーなんだろう?」
「うん」
「気が済むまでここにいてやる」
「……うん」

温かい。
再び心地の良い空気に包まれる。
紫紺に抱き締められながら、その日は大人しく眠りについた。
なんだか、とても懐かしい夢を見た気がする。
内容は起きたら忘れてしまっていたが、それは、とても暖かい夢だった。


 * * *


腕の中からは、静かな寝息が聞こえてくる。
鮫弥が寝室として使っているこの部屋は、昔は母親と二人で使っていた部屋らしい。
子どもが一人で使うには、広すぎる部屋だ。

「確かに、ここは寂しいなぁ」

柔らかい髪を撫で付けてやると、モゾモゾと身動ぎをする。
寝ている時の彼女の姿は、どこにでもいる子どものそれと変わらない。
しかしその内側に抱えているものが、見た目に似合わず重すぎて、何百年と生きる妖狐たる自分でも、触れることすら上手く出来ない。

「嫌なことなど忘れると良い」

過去のことなどすべて忘れて、辛い経験も、悲しい思いも、幸せな記憶だって忘れて、ただの子どものように、無邪気に生きられたのなら。
まだその方が、こいつにとっては幸せなのではないだろうか。

「……我がどう言っても、お前は記憶し続けるんだろうなぁ」

哀しくても、寂しくても、忘れられないのはどうしてだろう。
愛、故にか。
それとも執念か。
その記憶だけが、こいつの拠り所になっているのだろうか。

「哀れな子だ」

悲しいほどに、想いが深い。
温かい体温を閉じ込めるように、腕を固く閉じていく。
付き合ってやる。
どこへ行こうとも、何を見ていようとも、何を覚えていようとも。
こいつだけが自分の主で、自分の唯一の家族、なのだから。

「温かいな、鮫弥。生きている、命の温度だなぁ」

真っ暗な部屋の中で、鮫弥の銀色の髪だけがうっすらと青白く、光っているように見えた。
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