if群青×戯言、零崎威識の人間遊戯

どさっと倒れたディーノの体を、慎重にベッドに寝かせる。
体中がドクドクと脈打っている。
自分の唇を拭うと、ぬるりとした液体が手の甲についた。
速効性の睡眠薬。
オレは耐性があるけれど、ディーノにはよく効いたようだ。
薄く開いた彼の唇もまた、親指の腹で拭った。
異性と口付けを交わしたのは、これが初めてだった。
少し固くて、厚みのある唇。
恐る恐る、もう一度触れる。
「っ……ごめん」
ぽとり、ぽとりと、ディーノの頬に水滴が落ちた。
泣いているのか、オレは。
乱暴に目尻を拭い、枕元に小瓶を置いて、部屋を出た。
ディーノに謝ることが出来たなら、もう、思い残すことはない。
だから二度と会わなくて良いように、アイツが追いかけてこないようにして、立ち去ることを決めていた。
好きだと気付いてしまったから。
アイツに会ったとき、自分は暗殺者でいられなくなってしまうと、わかってしまったから……。
オレは、跳ね馬との決別を選ぶ。
「うっ……痛ぅ……」
城の廊下を、腹を押さえながら歩く。
人は見えない。
静まり返ったその場所に、オレの吐く息の音だけが聞こえている。
山本は、庭だろうか。
恐らく人気のないところにいるはず。
アイツと合流して、すぐにでもここを出なければ。
沢田達や、9代目の守護者にでも見付かったら、せっかく跳ね馬を眠らせたのに、全てが水泡に帰す。
「はやく、外に……」
「そんな状態で、誰とも会わずに外になぞ行けるものか」
「っ!」
横から腕を取られて、振り払おうと力を込めた。
「おい落ち着け!オレだ!」
「……レヴィ?」
「まったく、本当に跳ね馬を倒して、脱走してくるとはな」
「なんで……」
「……何年、同じ仕事をしてると思っている。ルッスーリアだってわかってた。ここを出て、山本武と姿を眩ます気だろう」
「……」
「貴様は、昔から何もかも一人でやりたがる。だが、貴様を運ぶくらい、オレにやらせろ」
驚くオレを余所に、レヴィはそそくさとオレを背負って歩き出した。
髪の毛が顔に当たってチクチクする。
それでも、オレはその頭にすり寄った。
「ありがとう」
「……何を、腑抜けたことを。オレの好敵手たる貴様に、勝手に死なれたりしては、寝覚めが悪い」
「好敵手……」
「貴様を殺して、オレはボスの右腕になるのだ。わかったらとっとと傷を直して、山本も鍛え直して、ヴァリアーに帰ってくることだな」
「……うん」
ゆっくりと揺れる大きな背中。
気付かない内に、心配させて、気を使わせていた、のかな。
まさか、オレが城から脱け出そうと企むことを、見透かされていたなんて……。
……あれ?
オレがディーノを眠らせて、部屋から抜け出たのを、何故知ってるんだ?
まさか……!
「お、おいレヴィ!お前、見てたのか!?」
「ぬお!突然暴れだすな!なんの話だ!!」
「お、オレが……跳ね馬を、た、倒したところ……」
「あんな隠れるところのない部屋に、オレが潜んで覗き見ていたとでも言うのか!?」
「じゃ、じゃあ、見てないんだな!?」
「オレはお前が、部屋から出てくるのを見ただけだ!」
「そ、そっか……」
あの瞬間は、見られてはいなかったらしい。
ほっと胸を撫で下ろす。
「な、なんだ?何か知られてはまずいことでも……」
「な、何でもない!早く山本探して、ここから出るぞ!」
「うお!わかった!わかったから、そんなに体をくっ付けるな!」
「くっ付けてねぇよドカス!」
罵り合いながら移動するオレ達を、幸いにも誰かが見付けることはなかった。
庭の隅で山本を捕まえて、ヴァリアーの用意した車に乗せられる。
「スクアーロ……その、体は?」
「……オレは、もう大丈夫だ。お前は、何ともなかったか?」
「うん。なあ、これからどこに行くんだ?」
「貴様ら二人は、日本にあるヴァリアー所有の拠点へと運ぶ。そこから先は貴様らの好きに動け」
「あ"あ」
「ボスには、しばらく戻れんと伝えておく」
「……助かるよ」
「ふはは、貴様が戻らん間に、オレがボスの右腕に収まってるかもしれんがな!」
「……」
「……スクアーロ?」
「オレが、戻らなかったら、そうしてくれ……」
瞼が重たい。
隣に座る山本に、そっと小瓶を差し出した。
すぐに意味がわかったのだろう。
一気に飲み干して、そのまま目を閉じた。
すぐに寝息が聞こえてくる。
その肩に頭を乗せて、オレも目を閉じた。
「ついたら、おこして……」
「……ふん」
静かな振動を伝えるシートに体を預けて、意識を手放した。


 * * *


つんと、刺激臭が鼻を突く。
鉛のように重たい体を動かし、瞼を開けて、その正体を確かめようとした。
見えたのは、自身の金色の髪、真っ白なシーツ、そしてその向こうでにんまりと笑う、派手なサングラスとモヒカンの……。
「あら~ん?起きたかしらぁ♥」
「ひぎゃあ!?」
目の前の化け物、もとい、オレを覗き込んでいたルッスーリアに、思わず心臓が飛び跳ねた。
寝起きから、なんて恐ろしいものを見てしまったんだろう。
いや、それ以前に、何故ルッスーリアがオレの目の前にいるんだ?
というか、いつの間に寝ていた?
寝る前に、何をしていただろうか。
スクアーロの病室で、話をしていて、ツナ達は出ていったけれど、オレは呼び止められたんだっけ。
謝られて、手を握られて、そして、スクアーロと……。
「ス、スクアーロ!」
「いないわぁ。この部屋にも、この城の中にもねぇ」
「……は?」
スクアーロを探そうとして、慌てて起き上がって辺りを見回す。
だが部屋には、オレとルッスの二人しか居らず、掛けられた言葉に、オレはぽかんと口を開けたまま振り返った。
「貴方とスクちゃんが何を話していたのか、私達にはわからないけれど、あの子、もう貴方と会う気はないんじゃないかしら」
「は!?」
「貴方、薬で眠らされてたのよぅ。一応、毒消しは置いてあったけれどね」
ルッスーリアが手に持った小瓶には、薄茶色の液体が僅かに残っている。
薬を使われた?
だってそんなの……いつ……。
「あ……」
思い出したのは、唇を重ねたときの、あの不思議な甘い味。
まさか、初めからオレを眠らせる気で、唇に薬を塗ってたのか?
好きだと言ったのも、嘘……?
「……まあスクちゃんも、考えあってのことなんでしょうけれど」
「あいつ……」
「え?」
「あの馬鹿……ぶん殴る!」
「へ!?」
あんな真似までして、オレを遠ざけたかったのか?
オレは、そんなに邪魔だったのか?
あんな真似したくせに、本当はオレのこと、好きでも、なんでも……。
「っ~!」
ふと、あの熱い唇の感触が、どうしようもなく思い返されてしまって、頬がカアッと赤く染まる。
例え、嘘だったとしても、あの、あの瞬間の、あの人は……。
そんな事を思い返すと、心臓がドクドクと脈打って、胸が酷く熱くなる。
「そのぉ……何があったのかしら?」
「……それは」
あまり、他人には話したくない。
だが、相手はスクアーロの仲間であるルッスーリアだ。
付き合いも、長いはず。
そうっと、遠回りに、彼女のことを聞くのであれば、大丈夫だろうか?
「……スクアーロって、どんな奴なんだ?」
「え?そりゃあ……強いわよ。傲慢で、強情で、人一倍プライドが高くて」
「確かに……」
「でもねぇ、とっても優しい子なの」
「優しい……」
それも、確かにそうだと思った。
かつて敵だった子ども達に、力を貸して、あそこまでボロボロになっちまっている。
シモンの攻略法まで伝えて、自分の体を二の次にして周りに気を使う。
だから、守りたいと思った。
隣で、支えたいと思った。
なのに……。
「あの子はね、なんでも一人で背負おうとするのよ。例え嫌われても、護るもののために戦い続けることのできる子よ」
「……」
「まだちゃんと学校も卒業しない内から、ヴァリアーで働きはじめて、誰にも甘えずに、誰のことも頼れずに、それでも信念を持って戦い続けてきた子よ。私達の、自慢の作戦隊長だわ」
「そう、なんだ……」
ルッスーリアの言葉から想像するのは、強くて、誇り高くて、ストイックな、格好いいスクアーロ。
「オレが見たのは……」
「?」
「ずっと何かを、怖がってるスクアーロだった」
「あの子がぁ?」
「そんで、優しすぎて、一人で潰れてしまいそうになっていた。人を傷付けることで、自分も傷付くような、脆い人だった」
「ぅんー……、確かに、思い詰めるところはあったわね」
スクアーロは、どこに行こうとしているのだろう。
オレを置いて、山本を連れて、ボロボロな体を引き摺って、甘えのひとつも許さずに道を歩くのは、果たしてどんな気分なのだろう。
「オレは、アイツを追い掛けなきゃいけない」
「……私、あんたにスクちゃんのことを追い掛けるなって、釘を刺しに来たんだけど」
「なんだよ、止めんのか?」
「止めらんないわよ、あんたの言葉聞いちゃったら……。でも、ヴァリアーはあんたを手伝わないわ。止めもしない、助けもしない」
「……わかった。ありがとな、ルッスーリア」
「おほほ、あんたなんかに礼を言われる覚えはないわぁ♡……こっちこそ、ありがとね」
「お前に礼を言われる筋合いはねーよ」
まだ少しふらつく足で立ち上がり、部屋を出ていく。
ロマーリオを探して走りだし、そのまま勢いよく転んだのだった。
くそぉ、かっこつかねぇ!
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