if群青×戯言、零崎威識の人間遊戯

大きな大きな鋏。
それが、勢いよく襲い掛かり、頬を掠めた。
パパッと血飛沫が飛ぶ。
はやっ……!
だが第二撃は来ない。
男の体は、オレが操るワイヤーに絡め取られて、動けなくなっていた。

「これは……曲弦糸?」
「おいおい兄貴、一般人に何足元掬われてんだよ」

目の前にいる男は、とても背が高かった。
背が高く、手足が長く、それでいてヒョロリとしているものだから、まるで針金細工のような印象を受ける。
細い銀縁フレームの眼鏡の奥に、ウサギのような真っ赤な瞳があった。
オールバックの長髪、ピシッとした三つ揃えの背広、だがそのファッションは驚くほどに似合わない。
聞いていた通りの容姿、そして先程聞こえてきた話し声。
こいつが、零崎双識……?

「あ、あんたが、零崎、双識か……?」
「うん?確かに私は零崎一賊の長兄、零崎双識だが、……君、まさか零崎に会いに来たなんて言わないだろうね?」
「あ、オレは……あんたを探して、会わせたい、奴が……」

話し掛けた途端に、零崎双識の顔がこちらに向けられる。
その赤い瞳に射竦められて、思わず、声帯が震え、声が上擦った。
殺気は感じないのに、目の前の男はこんなにヒョロイのに、オレは体を強張らせて、反撃することすら出来なくなっていた。
固まった指から、ワイヤーがスルと落ちる。
零崎双識を捕まえていたワイヤーは、緩んで、解けた。
不思議そうな双識の顔。
彼の背後の、振り上げられた大鋏が視界に入ってようやく、体が動いた。

「クッ……!」
「おっと、避けられてしまったか。残念だったね、舞織ちゃん」
「まさか避けられるとは……」

あの少女が、零崎双識と同じ大鋏を持って襲い掛かってきたのか。
間一髪で避けた大鋏が腰の横に突き立っている。
それによって切られた、自分の白銀色の髪の毛が、宙を舞う。
髪……、ザンザスの為に誓い、伸ばしていた、髪が……。

「うふふ、悪かったねお嬢さん。……ところで私に会わせたい人間って一体誰かな?」
「ぁ……」

髪の毛に向いていた注意を、オレの顔を覗き込んできた零崎双識が無理矢理戻す。
喉がカラカラに渇いて、目にうっすらと涙が滲む。
今の自分は、なんてカッコ悪いんだろう。
でも、形振り構ってはいられなかった。
必死で声を絞り出す。

「零崎に、なったかもしれない奴が、外にいる……」
「なに……?」
「っ……、オレには、手に負えねぇ、から……だから、あんたらに、預けたいと思って……」
「……うふふ、そう言うことだったのか」

三日月型に笑う零崎双識の口。
目と鼻の先に、彼はいる。
奴の手がオレに伸ばされたのを見て、強張っている体をギクリと震わせて、手を握り締めた。

「そんなに怖がることはない。その零崎らしき人物のところまで、案内してもらえるかな?」
「ぇ……?」
「ああ、もしかして腰が抜けてしまったのかい?なら私が連れていってあげよう!」
「へ?」

零崎双識の手は、オレの肩に掛けられた。
奴の言った言葉を理解できず、キョトンとその無駄に整った顔を見上げる。
そう言えばさっきから、やたらと顔が近い気がする。
零崎双識の真っ赤な瞳は、玩具を前にした子どものごとく、キラキラと輝いている。
オレは無意識にもう一度、疑問を示す音を口にした。

「は……?」
「私が抱えて連れていってあげるから安心して良いんだよお嬢さん……、いや、もしかして日本語があまり達者ではないのかな?大丈夫、何も心配する必要はないんだ。ノープロブレムって奴さ!見たところラテン系のようだけど、どこの国の生まれなんだろうねぇ。髪や目の色が薄いけれどアルビノというヤツなのかな?綺麗な髪なのにさっきは切ってしまって済まなかったね。ああ、ほっぺも切れてるね。後で絆創膏をあげよう。うふふ、それにしても可愛らしい格好をしているんだね。腰に剣を下げているけど、剣士なのかな?言葉遣いは誰に教わったんだろうね。一般的に日本語で女性は一人称を私と言うんだが、ああ、いや、別に直せと言っている訳ではなくて、いや寧ろそのままの方が私は好みなのだがね!」
「え……は、なに……?」
「まあとりあえず、こんな辛気臭いところにいつまでもいることはない。さっさと外に出ようか、ほら、私に掴まってごらん?」

あまりのマシンガントークに、思考が追い付かず、何を言われたのかよくわからないまま、目の前に差し出された零崎双識の手をじっと見詰める。
よくわからねぇが、……オレは殺されないってこと、なのだろうか?

「え……と……」
「おい兄貴、この姉ちゃん展開に追い付いてねーみたいだけど?」
「思考回路がショート寸前ですよー」
「なら仕方ないね!大人しくしている内に抱っこしていってあげよう!」

奴らが何か話しているが、オレはとにかく落ち着くために零崎双識の話を整理する。
山本には会いに来てくれるんだよな?
なんか安心して良いとか言ってたし、殺されたりもないんだよな?
いや、その言葉って信じて良いのか?
だって相手は殺人鬼だし、いつ突然首を掻き切られるのかわかったものじゃない。
え、でもじゃあどうすれば良い?
奴らがオレを簡単に逃がすわけねぇし、なら、出夢とかと会ったときみたく、距離をおいて着いていくしかないんじゃないのか?
よし、そうしよう。

「あの、」
「ほーら大丈夫だよお嬢さん!私の肩にしっかり掴まっててね!!」
「は……はあ!?」

そしてオレが話し掛けようとした途端、突然零崎双識が背中と脚に手を回してきた。
直後、体が浮き上がる。
目の前を見上げれば零崎双識の顔があり、横を見れば何故か視点がやたらと高い。
自分が今置かれている状況を理解した瞬間、自然とオレの口からは情けない声が漏れ出してきていた。

「う、あ……うわぁぁあ……!」
「よーし!じゃあ外に出ようか!」
「……何にもツッコみませんよ?」
「ツッコんでたら切りがないぜ」

その時のオレには、呆れたような二人の声は届かず、ただ足や腕を硬直させてされるがままになるしかなかったのである。
零崎双識の鼻唄をBGMに、オレは5階から1階まで、そのまま運ばれていったのである。


 * * *


「っ!……!」
「うふふ、もう1階だなんてあっという間だったね。もっと長くこのままでいられたら良かったのになぁ」

時間にすればほんの数分の距離、オレにはまるで何時間も過ぎたように感じられる距離を歩いて、裏口を出た。
ここまで来る間には、オレを横抱きにしている零崎双識の手がジリジリと太ももから上へ上へと上がってきて、思わず跳ね上がってしまったり、そんな双識を見た舞織という少女の軽蔑の眼差しを受けて、双識が咳払いして手を元に戻したりなどというハプニングもあったのだが、今大事なことはそんな下らないハプニングではなく、零崎一賊から1秒でも早く離れることである。

「お、降ろせ……!」
「え?でも一人で立てるのかい?」
「大丈夫だから……!」
「遠慮は良いんだよお嬢さん、私は君を5時間抱え続けたところで全く負担に思わない自信がある位だからね!」

5時間抱えられ続けるなんてゴメンである。

「いいからっ……離せ……!」

名残惜しいと言わんばかりの顔をする零崎双識の腕の中から、オレはスルリと抜け出して、久方ぶりに地面と再会する。
うおお、アモーレ地面。
こんなに地面に立てることに感謝したことはない。
抜け出た後、オレは彼らに対面したまま、停めてある車の方へと後ずさり始めた。
そう言えば熊と出会ったときの対処法も、背中を見せずに相手の目を見て後退る、だったっけ。
どう考えても熊よりだいぶ悪質な相手であるがな。

「この、車んなかにいる……。今出すから……」
「ああ、確かにいるね。今まで零崎してたり、人識くんや舞織ちゃんがいたからね、気付かなかったよ」
「……?」

気付かなかった……って、車に人がいることにか?
それとも車があることにか?
いつもなら深く考えるところであったが、オレは思考を停止させた。
零崎双識という男の言うことの8割はよくわからないしついていけない。
深く考えるだけ無駄だと思う。
奴らから目を離さずに、何とか車まで辿り着いたオレは、盾にするようにドアを開いて、中にいる山本を見た。

「スゥー……」
「……」

山本は寝ていた。
確かに、縛られていて出来ることは少なく、そんな状態で一人放っておかれたら眠くもなるだろう。
だが。だが!
オレがあんなに酷い目にあっていたと言うのに、この仕打ちはあんまりではないだろうか。
オレは無言のまま、足枷と手枷だけを残して、余計な拘束を解く。
そして未だグースカと眠り続ける山本の腹に、全体重を込めた渾身の肘鉄を打ち込んだのだった。

「い゙っ……でぇぇえ!!」
「寝てんじゃねぇぞこのドカス!死にてぇのかぁ!?いや寧ろオレが死ぬ前にさっさと起きろ!」
「いってて……ってスクアーロ?いつの間に帰ってきてたのな?」
「寝惚けてねぇでさっさと降りろ!」

ボケッとしている山本の襟首を掴んで、車から引きずり出す。
こういう状況なら、もっと緊張感を持つべきではないのだろうか。
オレは精神的にも肉体的にも死にそうな思いをしたというのに。
込み上げてくるイライラを抑えながら、零崎達の前に山本を突き出して、オレは浅く頭を下げた。
頭や首を晒したまんま、奴らから目を逸らしたくなかった。

「こいつが……、この山本武が、零崎になったと思われる……!頼む、こいつを預かってくれ!」
「もちろんOKだよ」
「……え、……はぁ!?」

決死の思いで頼み込む。
だが帰ってきたのは、余りにも軽い肯定の言葉だった。
驚いて聞き返す。

「ほ、本当に良いのか?」
「そりゃあ家賊だからね!まあそれは置いといて、君、名前はなんて言うんだい?」
「な、名前……?」

もし預かってもらえなかったらどうしよう、なんて悶々と悩んできたオレの気持ちは、それは置いといて、の一言に片付けられ、何故か名前を聞かれた。
いや、なんで名前?
オレは再び混乱してきたが、それでも零崎双識が、それこそワクワクと効果音がつきそうな顔で見てきていることがわかって、仕方なく答えた。

「……スクアーロ」
「そうかスクアーロちゃん!なんて素敵な名前なんだろうね!!」

……名前を素敵と言われるとは、しかも、殺し名序列三位の零崎に。
こいつは一体何を考えているんだろう。

「じゃあスクアーロちゃん、行こうか!」
「……あ゙?行こうって……どこに」
「もちろん私達のスイートホームだよ!」
「スイートホームじゃねーだろ、アジトだろうがクソ兄貴」
「これからスクアーロちゃんと私達のスイートホームにするんだよ!なんの心配も要らない!」
「心配しかないですよ。スクアーロさんが死んじゃいますよー」
「なっ、名前なんざどうでも良い!何でオレがお前らと一緒に行かなくちゃならねぇんだぁ!?」

冗談じゃない!
零崎のアジトってことは、他にも零崎がいるかも知れねぇってことだろ!?
そんなところに連れてかれたら、心身ともに瀕死の重症間違いなしだ!
死なずに生きて帰れる気がしない!

「いやなに、少し気になることがあってね。例えば……君とそこの、武君との関係とか、どこで零崎を知ったのかとか、どこで私達の居場所を知ったのかとかね」
「っ……!」
「だから別にそれを口実に、車に隣り合わせになって座りたいとか、スクアーロちゃんの詳しいお話を聞きたいとか、一晩くらい同じ屋根の下で過ごしたいとかはこれっぽっちも思っていないから安心してね!」
「……」

始めに聞かされた理由には納得いくが、次の言葉には納得がいかない。
どう考えても思ってるだろう!
行きたくない、スゴく行きたくない!
だが全身で拒否を示すオレに、トドメとなる言葉を放ったのは、味方だと思っていた山本武だった。

「オレももうちょっと、スクアーロに一緒にいてほしいなぁー……なんて」
「くっ……!」

結局、オレは力なく首を縦に振って、奴らに着いていくことになったのだった。
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