if群青×黒子、違う世界の人たち

スペルビ・スクアーロ氏は、凄い。
余りにも荒唐無稽な感想ではあるが、彼を見ていると自然とそう思ってしまうのだ。
「良いかぁ、戦い方を覚える基本は、理論と実践だぁ。頭の中に理論を叩き込んで、その上で実践で体に覚えさせろ」
はい!という野太い声の群れが、小さめのホールに響く。
午前中は勉強をし、午後に戦闘訓練、というのがここ数日のお決まりのパターンだが、今日は運動場の都合で訓練が先になっている。
今回はどうやら、中・近距離戦武器の使い手と当たった際の対応についてを学ぶらしい。
彼の手には、色水の入った水風船が収まっている。
中・近距離戦での戦いで、もっとも優位に戦う方法は、遠距離からの狙撃などの間合いより外からの攻撃だという。
しかしオレ達に必要なのは攻撃ではなく、どれだけ安全に逃げるか、である。
「中・近距離戦に代表されるのは、銃や獄寺隼人のような爆発物を用いた戦闘方法だ。こいつらの利点はなんだと思う、実渕」
「えぇと……敵と距離をとって戦えること、かしら?映画なんかでよく見るけれど、障害物のあるところでなら、少し離れたところで隠れながら攻撃ができるし」
「ああ、良くできたなぁ。その通りだ。そして他にも重要な利点がある。わかる奴はいるかぁ?」
「……機動性、でしょうか」
「そうだ、銃にしろ爆弾にしろ、素早く攻守の切り替えができ、尚且つ敵に動きを悟られづらい。近距離タイプほどの機動性はなく、遠距離タイプほどに居場所を悟られづらい訳ではない。だがどちらもバランスよく両立してくる。これが中・近距離戦タイプの厄介なところだぁ。よくわかったな、黒子」
「ありがとうございます」
誉められて、テツヤが嬉しそうにいつもの無表情を崩した。
普段、人に認識してもらう機会が少なく、そしてその影の薄さ以外に大きな取り柄のない彼だから、きっとそうして誉めてもらえることは特別に嬉しいことなのだろう。
……テツヤをそうしたのが、自分である以上、この考察はどうにも罪悪感を抱いてしまってもやもやとするが。
さて、レオとテツヤの回答に対して不足していた説明を補い、スクアーロ氏は持っていた水風船をオレに向かって差し出してきた。
「銃を使う敵、については何度もオレがペイント銃使いまくってるから今更だろう。今回はコイツを爆弾に見立てて、どのように対応するべきかを考えろ。赤司、まずはお前がオレに攻撃してみろ。全部避ける」
「……わかりました」
彼の手から小振りな爆弾擬きを4つ受けとる。
自分の手に移ってみると、それは以外と小さく見える。
あと1、2個であれば持てそうだ。
自分が普段、大きなバスケットボールを扱っているのもあり、平均よりも手が大きいらしいことを差し引いても、以外とスクアーロ氏の手は小さいらしい。
本人も、オレがもう少し持てそうだとわかったようで、更に二つの風船を寄越してきた。
「好きなときに攻撃してみろ」
「はい」
無論、本気で行くつもりだ。
向こうは自分を手本に教えを授けるだけのつもりであるから、決して本気にはならないのだろうが、ああもはっきりと『全部避ける』と言われてしまえば、こちらも少しカチンとくる。
オレもまだまだ、子供だということだろうか。
いや、これまで僕は全戦全勝を心情にして来たのだ。
勝つことに拘るのは、いつものこと。
行きますよ、などとは言わない。
相手は自分よりも圧倒的に格上の存在なのだ。
手加減は無用、容赦などしていては、練習にならない。
ホールにある幾つかの遮蔽物を確認し、頭の中に攻撃の手順を組み立てる。
目を付けた壁の裏に入り、彼から姿を眩ませた。
「良いかぁ、中距離を得意とする敵は、今のように姿を見せずに奇襲を仕掛けてくる。まずは敵の攻撃をいち早く察知する必要がある」
「む、難しいことをさらりと……」
黄瀬のその声に、心の中で深く頷き同意した。
自分や高尾、伊月さんのような視界の広さでも持っていなければ、そうそう攻撃してくる敵の位置なんて察知できないだろう。
呼吸を圧し殺しながら、壁の裏を足音を潜めて移動する。
すぐに攻撃をしても、居場所を悟られて避けられる。
弾数も限られている以上、慎重にいかねばならない。
彼の背後まで回り、そこでようやく水風船を投げ付けた。
彼の視界から逃れるように、高い軌道を描いて上から落ちてくる爆弾が二つ。
一直線に彼を狙う爆弾が一つ。
僕の描いていた未来では、彼は横から迫る爆弾を左右どちらかに避け、そしてその直後に落ちてくる上からの爆弾で仕留められる、はずだった。
しかし、実際は違った。
背後から迫る爆弾を、彼は身を伏せて交わし、そして爆弾の飛んできた方向、つまりこちらへと一直線に駆けてきたのだ。
「なっ!」
「悪くねぇ案だ」
彼の遥か後方で、三つの風船が床や壁に当たって破裂するのがわかった。
オレの隠れていた壁をよじ登り、微笑を浮かべて見下ろしてくる彼に、奥歯を噛む。
咄嗟に一つの風船を投げ付け、彼がそれを避けている間に距離を取る。
頭を捻って戦っているつもりでも、相手はそれを経験則で上回ってくる。
こちらが攻撃側だというのに、なぜこうも追い詰められているのか。
結局、10分もしない内にオレは床に這いつくばっていた。
この基地で過ごしはじめてから、一体何度目になるのかもわからない、敗北。
常に勝者であった僕を下した彼は、疲れなどまるでないけろりとした顔をして、オレを助け起こしてくれた。
「お疲れさん。とまあ、爆弾使いってのは案外懐に入られた時が弱い。自分の近くや、狭い場所ではろくに爆弾も使えねぇ。赤司の服を見ればわかるが、自分もかなりのダメージを覚悟しなけりゃならないからなぁ」
言われて、自分の体を見下ろす。
確かに、幾度も迫ってくる彼を遠ざけるために間近で水風船を割りまくっていたせいで、自分の服には跳ねた色水の痕が点々と飛び散っている。
だがスクアーロ氏の隊服は、下ろし立てのようにピカピカだ。
なぜこうも違いが出るのか、悔しさに唇を噛んだ。
その後は、攻守にチーム分けをして数度のゲームを繰り返し、お開きとなった。
午後の授業の時間には、彼はダイキ達のクラスを受け持つといって別の部屋へと消えていったが、その後もずっと、もやもやとした気持ちが胸の中に残り続けていた。
「……どうしたぁ?腹でも減ったか、赤司」
「え?」
ハッとして顔を上げた。
時刻は午後11時半。
既に同年代の者達は部屋へと戻り、寝るなり、勉強するなり、趣味を満喫するなりと、好き勝手に過ごしている。
オレは、何となく喉が乾いているように感じて、キッチンに来ていた。
しゅんしゅんと湯気を立て始めたケトルを見て、ふらりと現れたスクアーロ氏は『なんだ、喉が乾いてたのか』と一人で納得している。
「ええ、コーヒーでも飲もうかと思って。……あなたは?」
「ああ、部屋のコーヒーを切らしてなぁ」
彼もコーヒーを取りに来たということか。
そう言えば、彼が机に向かっているときには大体、コーヒーがセットで置いてある気がする。
カフェイン中毒に近いのかもしれない。
スクアーロ氏はオレが持っていたインスタントの瓶を一瞥すると、僅かに顔をしかめた。
「そっちは不味いだろぉ。豆の方にしとけ」
「え、ですが……」
棚には、……イタリア語だろうか、種類名のシールが貼られた豆の入った瓶が幾つも並んでいる。
だがオレは特別コーヒーに拘りはなかったし、豆から挽いたことはない。
とりあえずインスタントコーヒーを置くが、どれ程見ても種類がわからない。
「これがいいな」
横から手が伸びてきて、瓶の一つを取り出した。
どうやらそれが彼のお勧めのようだ。
そのまま流れるようにコーヒーをミルに掛けはじめた。
自分はそれを見ていることしか出来ない。
「他の人に頼めば、やってもらえるんじゃないですか、あなたなら」
「あ?」
暇だったせいだろう。
どことなく、皮肉めいた口調の言葉が出た。
一瞬、眉を吊り上げてこちらを見たが、大して気にした風もなく、手元に視線を戻す。
「まあ、やってもらえるだろうなぁ。だがオレはこういうの嫌いじゃねぇし、出来ることは自分でするってだけだぁ」
「……すごい、ですよね。スクアーロさんは」
「はあ?なにが」
「だって」
だって、この人を見ていると、オレは気が付くと自分と比べてしまって。
彼の背中までの距離が、余りにも遠く見えてしまって、心の中に言葉に表しようのない苦みが広がっていくんだ。
「スゴい、じゃないですか。何でも完璧にこなしてしまって、オレなんて、太刀打のしようもない」
「ふん」
「……すみません、おかしなことを言いました。忘れてください」
コーヒーの香ばしい薫りが鼻を擽る。
銀色の髪が揺れたのを見て、顔を伏せた。
言い過ぎたと気が付いて、相手の顔が見られなくなった。
「すみません……部屋に戻ります」
「赤司」
「は」
「コーヒー二杯分淹れたんだから飲んでけ」
「え」
まさか誘われるなんて思っていなくて、思わず顔を上げた。
整った彼の顔が、優しげに微笑んでこちらを見ていた。
「ちょっと話に付き合え」
オレの分のコーヒーまで持って、彼は隣の談話スペースに行ってしまった。
このまま、帰るなんて出来るはずもなくて、オレもまた、仕方なく彼の後を着いていった。
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