凍てついた手

目が覚めたとき、目の前は真っ白だった。
病院、か?
体を起こそうとしたところで、誰かの慌てた声がそれを押し止めた。

「コラ、動いちゃいかん!」
「……ぁ、あんたは……」

声が掠れて、喉が痛い。
オレを止めた男は、ベッドの側の椅子に腰掛けると、額に手を当てた。

「熱は少し下がったようだが、まだ傷は塞がりきっていない。無理に動いてはいけないよ」
「……っ」
「水を飲みなさい。ここに来てから3日も寝ていたんだ。ほら、ゆっくりね……」

手伝ってもらいながら、水を飲んで喉を潤す。
喉の痛みがやっと少し引いて、オレは男を見上げて、問い掛けた。

「先生……?」
「ああ、ここは病院で、今、この部屋には、私以外誰も入ってこない。安心してくれ。君の秘密は、誰にもバラさないよ」
「ありがとう、ございます……」

その人は、生まれたときからずっとお世話になっている医者の先生で、オレの事情を知る数少ない人間だった。
先生は労るようにオレの頭を撫でながら、疲れた顔で話した。

「驚いたよ。3日前、突然君が病院の前に倒れていたんだからね」
「3日……」
「そう、3日だ。君は酷い怪我をしていてね。3日間ずっと、死んだように眠り続けていたんだよ。一体どうして、こんな怪我を……」
「……」

オレが寝ている間に、3日も経っていた。
つまりテュールが死んでから3日。
オレがテュールを殺してから、3日。

「坊っちゃん……?」
「……その呼び方、嫌いだ」
「……スクアーロ様」
「しばらく、一人にしてもらえるか?」
「……ええ、わかりました」

先生が部屋を出て、オレは呻きながら体を起こす。
腹が、ジクジクと痛んだ。
ここが一番の重傷か。
だが、この傷はいつか治る。

「テュール……」

アイツの傷はもう、治ることはない。
死んで、永遠に戻ることはない。
手を見た。
もう血はついていないハズなのに、その手はまだ赤く汚れているような気がして、乱暴にシーツに擦り付けた。

「く、そっ……!」

どれだけ擦っても血は取れない。
込み上げてくる胃液を無理矢理押さえ付けて、額にかかる髪を握り締める。
何故、テュールを殺してしまったんだろう。
1ヶ月、奴らと共に過ごして、オレはヴァリアーをそこそこ気に入ってきていた。
テュールには無茶ぶりばかりされたし、隊員達にはマスコットか何かのように思われていたようだけれど、それでも、あそこは居心地の良い場所だった。
人を殺すことが嫌だったから、ヴァリアーに入る気はなかったが、奴らに好印象を抱いていたのは確かだったんだ。

「殺したくなんて、なかった……!」

それでも、テュールは死んだ。
オレが殺したんだ。
この手で、切り殺したんだ。

「……行か、ねぇと」

ヴァリアーは、きっと今ごろ大変な事になっているだろう。
突然テュールが死に、混乱しているハズだ。
オレのためにわざわざ用意してくれたのだろう、男物の服に着替えて、恐る恐る立ち上がった。
脚が少し震える。
ずっと寝ていたせいで、筋肉が弱っているようだ。
またしっかりと、鍛え直さなければ。
近くにあったメモ用紙に、お礼と、後で金を払いに来る旨を書いてサイドテーブルに置き、窓から外に出た。


 * * *


「オレはヴァリアーに、入る」

剣帝テュール、彼が死んでから何日か経ったその日、あの子は突然帰ってきたかと思うと、そんな言葉を口にした。

「オレが、剣帝を……あんたらのボスを殺したんだぁ。だから奴の席はオレのもんだ。オレがヴァリアーを率いてやる」

あの部屋で何があったのか、彼はあまり詳しくは語らなかったが、聞いたことにはハッキリと答えてくれた。
あの時の様子からは考えられないくらいのしっかりとした様子に、私達は気圧された。

「ボンゴレに行って、許可ももらった。今日から、正式に入隊する。あんたらがオレを恨んでも、オレを殺したいと思っても、構わない。オレはヴァリアーに入る。ボンゴレからは、オレをボスに据えることも考えていると言われた。それが嫌な奴は、上に言うか、……オレを殺しに来い」
「な……」
「以上だ」

まるで、人が変わってしまったようだった。
この子はこんなに冷たい目をしていた?
こんなに近付きがたい空気を背負っていた?
これで終わり、と背を向けて歩いていくその子を追って、声を掛けた。

「ねぇちょっと!どういうことなのよ!?」
「あんた確か……ルッスーリアだったか?」
「お、覚えててくれたの?」
「確か、この間……2週間くらい前に会ったよな……?」
「い、いいえ、あなたがボスと戦い終わった後にも、会ってるわ……」
「は?」

本当に不思議そうな顔をした彼。
覚えてないんだ、って分かった。

「あなた……あんなにヴァリアーに入るのを嫌がってたのに……、なんで突然?」
「……テュールがいなくなって出来る穴は、誰かが埋めなければならない」
「あんたが、ボスの代わりになろうって言うの!?」

あの子はそれだけ言うと、私を置いて先に行こうとする。
それに追い縋って、更に詰め寄った。

「別に誰もあんたを責めたり無理強いしたりする気は……!」
「そう思うか?」
「え?」

スッとあの子が振り向いた。
と、同時に、あの子の左手が伸び、袖から飛び出た剣が私の頬を掠めた。

「ぐっあああ!」
「なっ、」
「後ろの奴は、そう思ってねぇようだぜ?」

彼の剣は、私の頬を掠めて、その後ろの男の肩を突き刺していた。
あの子は無表情に剣を引き抜く。
男は地面に崩れ落ち、肩を押さえて呻く。
私はまだヴァリアーに入り立てでわからないけど、たぶん古株の隊員。

「頭を取ったんだぁ。恨まれるし、狙われる。それが、当然のことだぁ。……せめて、残された者達の為に、オレは、オレが出来ることをする」

あの子は、剣に着いた血を拭い、男の側によると、怪我をしていない方の肩を持ち上げて立ち上がらせる。

「医務室に運ぶ」
「えっ!?」
「他に聞きたいことがあるなら後で来い」

私は取り残されて、呆然と立ち竦む。
あの子、あんな子だったっけ?
元々取っ付きづらいところはあったけれど、もっと雰囲気の柔らかい子じゃあなかったっけ?
あんな、あんなにギラギラした子じゃあ、なかったハズなのに……。

その日からその子は、ヴァリアーの一員として働き始めた。
のめり込むように仕事ばかりして、そしてふと思い出したかのように、ヴァリアーに入る前にしていたのと同じ様に剣豪狩りに出掛ける。
ヴァリアーからは、何人かが出ていった。
それを埋めようとするかのように、彼は新しくヴァリアー隊員をスカウトしたり、訓練に力を入れたりと、忙しそうだった。
そんなあの子と、深い怒りを抱いた彼が出会うのは、それから1ヶ月半ほど後の話であった。
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