凍てついた手

その子は変な子だった。
当時のヴァリアーボス、テュールが、珍しく見惚れたとまで言って連れてきたのがその子だった。
『奴は必ず、このオレ様を満足させる男になる』その言葉が、当時の彼の口癖だった。
その子は変わっていた。
荒々しい言動に、鋭い目付き。
それに反して、ふと見せる表情は柔らかく、よく見れば動きの端々に育ちの良さが出ている、そんな子だった。
その子は変わっていたけれど、すぐにヴァリアーに馴染んでいった。
その子と共に過ごせば過ごすほど、テュールはその子が気に入っていくようで、そんな彼の出す無茶な課題も、何だかんだでこなしてしまうその子を、私達も気に入っていた。
彼がテュールと戦うために、ヴァリアーに来ていることは皆知っていた。
でも本人は戦うことが目的で、相手を殺す気はなかったみたいだし、テュールもお気に入りを殺す気はなかったと思う。
だから、遂に来てしまった戦いの日にも、私達はそんなに恐れてはいなかった。
だが、2日間にも渡って、彼らは訓練場から出てこずに戦い続けた。
流石に不安になって、訓練場の前には心配する隊員がひっきりなしに、代わる代わるに訪れていた。
中からはずっと、激しく打ち合う金属の音と、言っている内容はわからなかったが、二人分の怒号が絶えず響いてきていた。
だが丁度私が訪れたとき、部屋が数十分の間静まり返り、そして長い沈黙の後、部屋のドアがゆっくりと開いて、中から銀髪を血で赤く濡らした少年が現れた。
胸の前に、武器やら防弾チョッキやらを抱えて、ボロボロの上着を羽織っている。

「………………」

何も言わず、あの子は脚を引きずりながら部屋を出ていく。
その尋常でない様子に、その場にいた全員が、声を掛けるのを躊躇った。
始めに我に返ったのは私だった。
あの子の服から、ポタポタと血が滴り落ち、地面に道のように跡を付けているのを見て、酷い怪我をしている事を覚ったからだ。

「ちょっと、あんたその怪我……!」
「………………」

だが声を掛けても、思いきって肩に手を掛けてみても、少年は構わずに前に進んでいく。
まるで何かに取り憑かれたかのようなその様子に、その場にいた誰もが呆気に取られ、そうしている内にあの子は、どこかへ消えていったのだった。
しばらくの沈黙の後、誰かがポツリと呟いた。

「ボスは……どうしたんだ?」

その言葉に、全員の脳裏に嫌なイメージが過ったことだろう。
私達は急いで訓練場に入り、ボスの姿を探した。
果たして、そこで私達が見たのは、頭に抱いたイメージ通りの光景だった。

「そんな……ボス……!」
「テュール様……!?何故!?」

固い地面に仰向けに倒れていたのは、肩から腹までを斜めに深く切り裂かれ、息絶えた剣帝であった。
悲痛な叫びをバックに、私は急いで、剣帝の腕をとる。
脈は、なかった。
いや、脈を確認する必要などない。
地面に広がる大きな血溜まりが、彼の死を如実に物語っている。
剣帝と呼ばれた男は、2日間の死闘の末に、戦いに敗れ、命を失ったのである。

「あ、あの子を……あの子も酷い怪我をしていたわ」

そう言った自分の声が、酷く震えているのが分かった。
剣帝を倒した、わずか14歳の子は、さっき傷だらけのまま、何処かに消えていった。
早く医者に、診せなくては。
何より、ここで何があったのか、話を聞かなくては。
彼を探そう、そう思い立ち上がったとき、濃い血の臭いに紛れ、異臭がすることに気が付いた。
異臭の元を探して、視線を彷徨わせる。
そして見付けたのは、人の吐瀉物らしきモノだった。
固形物はほぼない。
胃液ばかりの吐瀉物。
きっとそれは、あの子の……。

「探さなきゃ……!」

それを見て、私は確信した。
あの子は剣帝を殺したかったわけではない。
ここで、何かがあったのだ。

「ああ、探そう」
「あの様子じゃ、そこらにいる子どもにも殺されちまう」
「手分けして探すぞ!」

剣帝の遺体を運ぶ者と、あの子を探す者とに別れて、動き出した。

私達はそれから数時間、彼を探し続けたが、結局彼は見付からなかった。
だが数日後、彼は自分から戻ってきた。
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