咸様(海を越え×鰤市)

「鮫弥ちゃん、あたしもご飯の支度手伝うわ」
「ん"、ありがとう。助かるよ乱菊」

くしゃくしゃと頭を撫でてやると、金髪の少女はむっと顔をしかめる。
彼女……乱菊が来てから既に数年が経っていた。
なついてもらうまでには少し時間が掛かったが、今ではこうして並んで家事が出来る。
可愛いオレの妹分になっている。

「もう、またそうやって子供扱いばかりする!」
「子供なんだから当たり前だろぉ」
「あたし鮫弥ちゃんが思うほど子供じゃないもん!」
「ふは、そうかそうかぁ」
「鮫弥ちゃんのバカ……んむぐ!」

拗ねてしまった乱菊の口に煮物を突っ込む。
材料不足で味は薄めだが、それでも自信作だ。

「わっ……今日のも美味しい……」
「そりゃあオレが作ったんだからなぁ」

もう一口と鍋に手を伸ばすのを叱り、野菜を刻むように指示する。
頬を膨らませて包丁を握り、丸々と太った野菜を切りながら、乱菊はちらりと窓の外を見る。

「雪、降りそうね」
「あ"あ、今夜はいつもよりもっと冷えるなぁ。ちゃんと暖かくして寝ろよぉ」
「うん。……ギン、早く帰ってこないかなぁ」
「……そうだなぁ」

いま、この家にギンはいない。
村に買い物に行くと言ってから、日も暮れそうなこの時間まで、帰って来ていない。
乱菊が珍しく夕飯の手伝いを申し出てきたのも、不安だったからかもしれない。
隣で教えながら料理を作り、3人分を皿に盛り付けて先に二人で食ってしまう。
その後は、二人で毛布を被ってギンを待った。
昔話をしたり、かつて読んだ本の話をしたり、夜が更けて、雪が降り積もって、それでもまだ二人でギンを待つ。
乱菊がうとうとしているときに、紫紺とも話をした。

「……わかるかぁ?」
『ああ、少し離れたところで、ギンの匂いと別の匂いが……』
「戦ってるわけじゃあねぇ。ギンの気配が来る前には、虚らしき気配を感じた。きっと虚を倒したは良いが、力尽きて倒れちまってるんだろう」
『まあお主に武術を学んだのだ。例え戦ったとしても、そこらの雑魚に戦いで負けることはない』
「……」

ギンが危機的状況に遭っているのなら、自分は飛んで助けにいくだろう。
だが今回はどうやら違う。
相手は辛うじて生きているような状態らしい。
といっても放っておけば何事もなく3日は生きていられるだろう。
謎なのは、ギンの気配がその相手の側からなかなか動かないことだ。
嫌な予感がする。

「紫紺、すまないがギンのところに……」
『あいわかった』
「ん……鮫弥ちゃん?」
「んー?」
「あたし寝てた……?あ、ギンは!?」
「まだみたい。乱菊は寝てても良いんだぞ」
「お、起きてられるもん。一緒に待つわよ」

むすっとした乱菊が可愛い。
軽い体を抱き上げて脚の間に入れる。
冷えきった体を温めるように抱き締めた。

「きゃあ!?」
「なんだお前、体冷えきってんじゃねぇかぁ」
「だからっていきなり持ち上げないでよ!」
「まあまあ。……っ」

ふと顔を上げた。
ギンの気配が動いた。
相手の気が消えている。
いつの間に……?
いや、それよりも相手の気が消えたってことはまさか……。

「鮫弥ちゃん?」
「……何でもないよ。ギン、遅いなぁ」
「そうね、アイツどこで道草食ってんのかしら」

ギンの気配は、真っ直ぐにこの家に戻ってくる。
ふわりと血の匂いがした瞬間。
戸口の外に白い足が見えた。

「……おかえり、ギン」
「……ただいま、鮫ちゃん」

戻ってきたギンの顔には、返り血が付いていた。
その肩には、大きな黒い着物を纏っている。
あれは、確か死神とか言うのが着ている服、か。

「じゃあね」

そう言って、ギンは雪の中へと戻っていこうとした。
慌てて乱菊がそれを追い掛けていく。

「ギン!どこ行ってたのギン‼それ死神の服じゃない……!どこでそんなもの……」
「決めたんや。ボク、死神になる」

乱菊の声に、ギンは脚を止めた。

「死神になって、変えたる。乱菊が、泣かんでも済むようにしたる」

呆然と立ち尽くした乱菊を置いて、ギンは雪の中を再び歩き始めた。
その足取りに、迷いはない。

「っ……!鮫弥ちゃん‼……あれ?」

家を振り返っても、そこにオレはいない。
オレは、ギンの歩く先に立っていた。

「……鮫ちゃん、そないなとこに立ってどないしたん?」
「ギンのこと待ってたんだぁ。わかってるくせに聞くな」
「……」

彼の前に仁王立ちした。
つーか、くそ、草履しかねぇから足がつめてぇ……。

「ギン、オレはお前を止めたりはしねぇよ」
「え?」
「いつかこうなるだろうと思っていたからなぁ」
「そ……」
「乱菊は、死神に『何か』を取られた。お前はそれを取り戻したいと思っている」
「!知って……たんやね」
「ギンのことならなんだってわかるさぁ。……家族だもんなぁ」
「家族……」

近寄って、まだ小さい体を抱き締める。
家で待ってたオレや乱菊よりも、ずっとずっと冷えきって、氷のようだった。
肩を擦って温めながら、頬についた血を拭ってやる。

「いってらっしゃい、ギン。オレは後から、乱菊と一緒に追い掛けるよ」
「……え?」
「オレも死神になる。乱菊もたぶんお前のこと追い掛けてくよ」
「……んー、二人が言うなら、仕方ないんかなァ」

苦笑いするギンの目を真正面から見る。
細くて、いつも閉じてるみたいな目。
それをうっすら開いて、オレを見ている。
オレは手に持っていた風呂敷の包みを、ギンに手渡しながら話し掛ける。

「ギン、体を壊さないように気を付けるんだぞ」
「わかってるよ」
「ちゃんとバランスよく食事を摂ること。干し柿ばっかじゃダメだからなぁ」
「うん」
「たまには会いにおいで。オレは、オレ達はいつでも、お前の家族なんだから」
「……ごめん、ごめんなァ、鮫ちゃん。ボク……あたっ!」

うつ向いて謝るギンの頬をむにっと摘まんだ。
顔を上げたギンに、ふっと口許を緩ませる。

「……ああ、ちごたね。鮫ちゃん、ありがとう。大好きやで、鮫ちゃん」
「あ"あ、オレも大好きだよ、ギン」
「これ、もろうてええの?」
「ああ、必要だろぉ。雪用のわら靴と、傘と、ちょっとだけど食べ物もなぁ。それから、着替えとか手拭いとか。まったく、雪の日にいきなり家を出ていくなんて……」
「ありがとうね鮫ちゃん」
「礼を言えば良いってもんでもないっての。ほら、オレの毛布を貸してやるから」
「……ぬくいなァ。鮫ちゃんの匂いがする」

黒い着物の上から毛布を被せてやると、ぎゅっとくるまって嬉しそうに笑った。
なのに、ギンの目からは涙が溢れてくる。
バカだな、強がって、本当にバカだ。

「ギン、ギンは良い子だ」
「そんなことあれへんよ、ボク、人殺してん。死神の人、殺してきたんよ」
「オレにとっては良い子だよ。例え人を殺しても、オレはギンのことが好きだから」
「ん、ありがとう。鮫ちゃん、大好き」

ぎゅうっと抱きついて、肩口に顔を埋めるギンは、何度も何度も、オレの名を繰り返す。
そうしていた時間は、ほんの2、3分程だった。
顔を上げたギンの、赤くなった目尻に指を添える。
その手を握って、ギンは力強く言った。

「鮫ちゃん、行ってきます」
「あ"あ、いってらっしゃい」

それから、ギンは死神になる為に真央霊術院に入った。
オレと乱菊は、家を、畑を取り壊して、その数日後に霊術院の門を叩いたのだった。
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