咸様(海を越え×鰤市)

ここはどうやら死後の世界らしい。
あの世、霊界、尸魂界と呼ばれるここで、オレは霊体と霊体の間に生まれ落ちた、らしい。
自我を取り戻したのは大体3歳頃、その頃にはもう親は居らず、親無しのオレを哀れんだ老人に育てられていた。
しかしそんな彼もある日突然いなくなり、オレは今、一人で村の外れの掘っ立て小屋で過ごしている。
銀色の髪も、銀色の目も、やたら物識りなことも全てが全て、村人達には嫌われているようだった。
気味が悪いのだろう。
幸いにも、紫紺の補助や過去の記憶を頼りに、一人寂しくも不自由なく育つことは出来た。
この世界に生まれ落ちてから過ぎた正確な歳月はわからないが、オレの体はだいたい16歳くらいの見た目だ。
この世界でもまた、懲りずに髪は伸ばしている。
時折、村よりももっと遠い場所から強い強い力の波動を感じる。
何となく、骸がそこにいるような気がしたが、その場所に近寄りたいとは思わなかった。
嫌な感じがするのだ。
数多ある力の中に、酷く不穏なものを感じるときがある。
人を避け、力を避け、ひっそりと静かに暮らす。
そんな日常が続く、ある日のことであった。

「鮫弥、おい鮫弥。近くに人の匂いがあるぞ」
「……お"う、わかってる」

紫紺が誰かの匂いを感じ取っていた。
その時オレも、あの不思議な力の波動を感じていた。
遠くから感じたことのある嫌な感じはしない。
あまりにも頼りなくて、今にも消えてしまいそうな……まさに風前の灯とでもいうかのような弱々しい力を感じる。
それを見に行ったのは、単なる好奇心だった。
少し、人と接したい気持ちもあったのかもしれない。
力の元を探して辿り着いたその場所で、オレは一人の少年を拾うことになる。


 * * *


「鮫ちゃん、今日のお夕飯なに?」
「今日はちょっと奮発してぼたん鍋だぁ」
「……鮫ちゃん、もしかしてお昼までおらんかったのって……」
「猪、獲りに行ってた」
「うわぁ、流石やなァ」

大きな肉の塊をつつきながら、感心した様子で見上げてくるのは、少し前に行き倒れていたところを拾った男の子だ。
名前はなかったから、オレは『ギン』と呼んでいる。
髪がオレと同じ銀色だったからだ。
薄い髪色とつり上がった狐目、歳の割に確りしているところを見るに、彼もまた孤児なのかもしれなかった。
本当のところがわからないのは、単純にオレが何も聞かなかったからだ。
聞いたところでどうなるもなし、何より彼を拾ったときに一人前になるまでは面倒を見ると決めたのだからして、過去のことなどは些事としか思わなかった。
ギンがこの掘っ立て小屋に住み始めて1週間。
空腹で倒れていた彼だが、随分回復してきた。
今日はその快気祝いのつもりである。
小屋の横に作った畑の野菜と、採ってきた木の実や動物の肉、こっそり買ってきていた米を使って、出来る限り豪華な食事を作る。

「よぉし、完成だぜぇ」
「うわっ、めっちゃ豪華やんなァ。今日はどないしたん鮫ちゃん?」
「ギンの快気祝いだぁ」
「……そう、だったんやね。なんや気ぃ使わせてしもたみたいで、ごめんなァ?」
「馬鹿がぁ。お前はなぁんにも気にしねぇでアホみてぇに笑って礼でも言ってろぉ」
「うわっ鮫ちゃんそれはちょっと酷ない?」

あはは、と乾いた声で笑ったギンを嗜めて、先日作ったばかりのお椀に鍋をよそって渡す。
受け取ったギンが、小さな声でありがとうと言ったのを、オレは聞き逃さなかった。
少し嬉しいと思う。
こんなに暖かい食事は久々だ。

「こちらこそ、ここに来てくれて、ありがとうな、ギン」
「え?」
「長年一人だったからなぁ。オレは少し寂しかったのかもしれない」
「鮫ちゃんにもそんな感情があったんやねぇ」
「……何だかんだお前の方が酷いこと言ってねぇかぁ?」
「あはは、そないなことないってぇ」

会話のある食卓に、一人ではない家に、オレ達はお互いに安心していたのかもしれない。
オレとギンは、そうして家族になった。
彼が元気に動けるようになってからは、一緒に畑仕事もしたし、遠く離れた川までの水汲みだって手伝ってもらった。
町に行って殴られたギンに、剣術と護身術を教えたこともあった。
知っている遊びを教えたりもしたし、彼が好きだという干し柿を、一緒に作ることもあった。
二人で過ごす日々はあっという間で、気が付けば数年が過ぎていた。



 * * *



「鮫ちゃん、鮫ちゃん。お願い。この子にご飯作ってもらえへんかな」
「ひっ……!」
「……ああ、わかった。二人とも座って、少しの間待っておいで」
「ん、ありがとうな、鮫ちゃん」

ギンと出会って数年が経った、ある日。
彼はボロボロの女の子を連れて帰ってきた。
一目見て訳ありだと気が付いた。
そして何よりも、彼女の纏う気配が気になる。
二人を居間としている部屋に通して、紫紺に耳打ちをした。

「あの子から、嫌な気配を感じなかったかぁ?」
「あの娘からというよりは、あの娘に何者かの残り香がついているような感覚だなぁ。よく遠くから感じる、あの匂いだ」
「やっぱりそうかぁ。……あの嫌な気配、近くに来ている、のか?」

食事を作る傍ら、式を飛ばして家を囲む結界を強化した。
目眩まし、人避け、門番の式神、その他諸々、ありとあらゆる仕掛けをしている。
見付かることはないと信じたいが……。

「ギンー、オレ達の分の飯と、その子の分の粥出来たから、運ぶの手伝ってくれぇ」
「ん、ほな、今行くでー」

駆け付けてくれたギンと一緒に食事を運ぶ。
少女は警戒したように部屋の隅に蹲っていた。
荒んだ眼差しが、オレをじっと睨んでいる。
金髪の、オレ達ほどではなくても酷く目立つ髪色の彼女が、これまで村でどんな扱いを受けていたのかはわからない。
しばらくは、近寄らない方が良さそうだ。

「ギン、この子の名前は?」
「乱菊っていうんやて。向こうの道に倒れてたんよ。干し柿あげたけど、お腹減ってるときにはあんまり良くないかもしれんし、鮫ちゃんならちゃんとしたもの作ってくれる思うて」

ギンの判断には間違いはない。
間違いはない、が……彼の目を見て、何となく思った。
きっと、倒れた女の子を拾ってきた、だけじゃあねぇ。
ギンの眼は、どこか暗闇が射して、強く堅く結んだ決意を、覆い隠しているようにも見えたのだ。
オレは何も聞かないでおいた。
ただ、これから気を付けるべきは乱菊だけではなさそうだ。

『いやはや、ギンにも嫌な匂いがついておる。どこで拾ってきたんだかなぁ』
「どんなにキモい気配だろうと、オレが守ってりゃあまあ、大丈夫」
「鮫ちゃん、どないしたん?」
「いや、何でもねぇさぁ。それより、ギン、あの子にちゃんとご飯運んでけよぉ?」
「うん」

あの気味の悪い気配。
ギンはあれを追って、どこまでも行くつもりなのだろう。
そう、直感した。
ならば、少しでも彼の力になれるように。
オレはオレに出来ることをしようと、決意を結んだ。
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