匿名希望様(朱とまじわれば)

ナイフと槍がぎちぎちと軋んでいる。
オレの体を守るように抱き締めたまま、カスザメはぎろりと敵を睨み上げた。

「ぐっ……!くそ、ヴァリアーが……‼」
「……こいつを、ヴァリアーのボスと知っての、行動だなぁ」
「テメーら、そういう関係……」
「知ったからには、逃がさねぇぞぉ‼」
「ぐぁああ!」

オレの背から、凶器を振り下ろす男がいた。
それを、袖口から出したナイフでカスザメが防いでいた。
ああ、いつもと同じ、ギラギラとした暗殺者の目をしている。
すっと手を離せば、カスザメはオレの体から離れ、敵へと一直線に向かっていく。
あっという間に制圧して、男を拘束した。

「確保」
「……よくやったな」
「っ!お"う!」

にへらと笑ったカスザメの頭を撫でてやる。
何度撫でても、カスザメは嬉しそうに笑う。
暗殺者の顔から、ただのガキみてぇな顔に戻った。
だがもう、先程の言葉の続きを聞ける雰囲気ではなくなってしまっていた。
オレが座ってグラスを取ると、カスザメは敵を連れてどこかへと消えた。
他のカスに引き渡しに行くのだろう。
暫くして戻ってきたカスザメは、オレの隣に腰かけてくったりともたれ掛かってきた。

「……なんだ」
「太陽、沈んじまったなぁ」
「そうだな」
「夜になっちまうな」
「それがなんだ」
「もう、帰らなくちゃなぁ」
「……」

帰りたくない、とでも言う気なのか。
肩にもたれ掛かったカスザメを、ぼんやりと眺める。
目を閉じて力を抜くその姿が、一瞬死んでいるように見えて、心臓が跳ねた。
首に手を当てて脈を見る。
トクトクと一定のリズムを刻む脈拍が、確かに感じられた。

「ザンザス?」
「……なんでもねぇ」
「オレ、ちゃんといるからよぉ」
「は?」
「ずっと隣にいるから、ずっとずっと、着いていくから、安心しろよ」
「……」
「オレは、お前だけの鮫だから」
「……そんなこと、ずっと前から知ってる」
「だろぉと思ったぜ」

さっき言いたかったのは、その事だったのか。
少し、違うような気もしたけれど、だがオレはその言葉に頷いて、肩に乗せられた頭に寄り添うように首を傾げる。
白銀の髪は、明るく輝く月と海の色を映して薄青く輝いている。

「……スクアーロ」
「え?」

滅多に呼ばれない名を呼ばれて、カスザメはぱっと顔を上げた。
見開かれた銀色の瞳の奥まで、月の光に照らされている。
青白い光の中にいるスクアーロは、酷く幻想的で、儚げで、今にも消えてしまいそうだった。

「……帰るぞ」
「おう」

消えないようにと、その腕を強く掴んで、海を背にして歩き出した。
慌てて荷物を持って着いてくるカスザメの腕は、自分の手よりも体温が低い。
しかし確かに脈を刻むそれを掌に閉じ込めて、ほんの少し後ろを振り返る。

「ザンザス」
「っ……なんだ」

一瞬のことだったのに、カスザメと丁度目があった。

「また来よう」

月の光を背に、そう言われた。
オレはカスザメから目を逸らして、まっすぐ前を向いたまま答えた。

「……当たり前だ」

何度だって来よう。
約束した『また』を、必ず実現させよう。
掌の中の鼓動は、さっきよりも少し早かった。


 * * *


「ザンザス、オレ……」

その言葉の続きは、そっと胸の中に閉じ込めておくことにした。
美しすぎる海は、まるでこの世のものではないような気がして、背筋をなぞる死の気配に、オレはザンザスにすがるように抱き着いていた。
『この命を捧げたって、後悔はしない』と、そう言いたかったけれど。
オレに触れて、抱き締めてくれて、体を預けてくれるこの男を、少しでも長く、守っていたかったから。

「命を捧げたって、良い。……でも」

まだ、暫く、死にたくないな。
オレの腕を力強く掴む、火傷しそうな程に熱いその手に、強かに生きる命を感じて、オレはザンザスに見えないように微笑んだ。
海へ命を還すのは、『まだ』もっと、先で良い。
今はこの熱い掌の中で、大人しく飼われる鮫でいたい。
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