緑茶様(海を越え×血界)

「覚悟しろ旦那ぁあ‼ぎゃふん!」
「ぎゃふんなんて素で使う人間、初めて見たぜぇ」

ライブラへ入った瞬間、ザップが突然鉢植えに水を注していた大男へと襲い掛かり、そして一瞬の内に倒された。
鮮血のような鮮やかな赤毛の大男、クラウス・V・ラインヘルツ。
彼こそが、ライブラの長、この街の均衡を守る紳士。
そんな彼が、(ボロボロになった)ザップをソファーに寝かせた後、こちらへと向き直って言った。

「こんにちは、レオナルド君、チェイン。お帰り、スクアーロ殿、ツェッド君。紅茶でもどうかね」
「あ、ありがとうございます」
「私は遠慮しておきます」
「有難うクラウス。いただこう」
「僕も今日は遠慮しておきます」

それぞれ返事をして好き勝手に動き始める。
オレとレオはソファーに。
チェインはザップを踏んづけてからどこかへと消えた。
ツェッドは自分の部屋へと戻ったようだ。
静かな空気の流れるライブラアジト。
満腹なのもあって、僅かに眠気を感じる。

「いやー、にしてもさっきのラーメン屋、本当に美味しかったっすね」
「ん?気に入ったかぁ?」
「もちのろんっすよ!ミシェーラにも食べさせてやれたらなー」
「ふは、麗しい兄妹愛だ。今度妹が来たら一緒に連れてってやるさぁ」
「うわぁ、ありがとうございます!」

嬉しそうにぱっと笑ったレオに、オレも笑みを浮かべた。
そんな会話をしている内に、クラウスの執事であるギルベルトが紅茶を差し出してくれた。

「ありがとう、ギルベルト」
「ありがとうございますギルベルトさん」
「いえいえ」

優しく笑った包帯ぐるぐる巻きの老執事は、一礼をしてからクラウスの元へと戻っていく。
今は大きな案件はないのだろう。
クラウスもギルベルトも、ゆったりと寛いだ様子だった。
このライブラの副官、番頭役のスティーブンは……、どうやら今はいないらしい。
ぐいっと紅茶を飲み干し、クラウスの執務机に近付いた。

「クラーウス、最近街はどうだぁ?」
「貴公が知らないような貴重な情報はないと思うが……」
「お前はオレのことを買い被りすぎだぁ。オレだって知らない情報があるかも知れねぇだろぉ?」
「ム……」

頭に手を置き、その上に顎を乗せる。
クラウスは唸るが、嫌がってる様子ではない。
そのまま机の上の書類を見ようとしたが、クラウスとギルベルトに素早く隠されてしまった。
ちぇっ。

「なんだよ、見せてくれたって良いだろぉ」
「申し訳ないが……」
「チューしたら見せてくれる?貴重だぜ、オレのチュー」
「……貴重ならもっと大切にしたまえ」
「クラウスが言うならそうしよう」

顔を近付ければ、戸惑って視線を逸らし、咳払いで誤魔化される。
図体がでかくて顔が怖いのに、こんな初な反応をされるから、からかうのが楽しくて仕方ない。
クツクツと笑いながら、頭を撫でてやる。
ため息を吐くクラウスをまた笑って、ギルベルトに紅茶の礼を言って、そしてオレはライブラに貸してもらっている部屋へと戻った。
質素で、飾り気のない部屋。
依頼を終えた式神が待っていた。
任務完了を伝えてそれが消えると、部屋には無音が舞い降りる。
ベッドに突っ込むようにして寝転がると、どうしようもないほどの虚無感に襲われた。

ーー■■■■

心の中に、ある人を思い浮かべる。
名前は忘れてしまった。
声も、顔も、どんな人だったのかも、思い出と呼べるものは、全て。
一つだけ確かなのは、オレはその人を愛しているということ。
一人になると、いつでも彼のことを思い浮かべる。
何が思い出せるでもない。
思い出せないという事実を噛み締め続けるだけ。
それでも、何度でも思い浮かべる。
オレは、虚無を愛し続けている。
何も思い出せなくなってしまった、その虚ろの心を埋めるように、人の心を、真実を求め続けてきた。
真実を、魂を食えば、腹は満ちるし、気分も高揚する。
それでも、この心が埋まることはない。
コンコン、とノックの音が部屋に響いた。

「……はーい」
「スクアーロ、入ってもいいか?」
「……良いぜぇ」

スティーブン・A・スターフェイズ。
顔に大きな傷を持つ男。
ドアを開けて入ってきたスティーブンを、オレはベッドに転がったまま迎えた。

「……まさかとは思うけど誘ってたりする?」
「顔の傷を増やされてぇのかスカーフェイス」
「やだな、冗談だろ」

ころっと転がり、場所を空ける。
そこに座ったスティーブンは、はあーと大きくため息を落とす。
お疲れのようだ。
いつものことだけど、今日は特に。

「今日は随分とお疲れみてぇだなぁ」
「そりゃあね。君のように自由に使える魔導人形もいない。さっきだって本当に死ぬかと思った」
「しかし生きている」
「あー、そうだな、生きてる」
「なら、今日も大丈夫さぁ」
「なんだか君に言われると本当に大丈夫な気になるから不思議だ」

スティーブンの手が伸びてきて、長く伸ばした髪をゆるゆると撫でられた。
そのまま暫く愚痴って、スティーブンは帰っていった。
彼を見ていると、少し昔の自分を思い出す。
遠いとおい昔は、自分もあんな風に働きづめだった、ような気がする。

ーー■■■■

彼は、どんな人だったかな。
思い出せない、黒く塗りつぶされてしまった記憶を、何度も、何度も繰り返しなぞる。
ライブラにとって、オレは害を及ぼすわけでもなく、かといって得になるわけでもなく、ただ要注意人物として監視され、それを利用してオレはここに住み着いている訳だが、ギブアンドテイクにもならない、彼らとはそんな関係である。

「スクアーロさーん!事件!事件が起こってます!」
「ん"ー、今行くー」

なのに、どうしてこんなに気に入っちまってるのか。
可愛くて、弱っちくて、ズルくて、素直で、お人好しで、無謀で、どうしようもない奴ら。
オレは彼らに、忘れてしまった恋人の影でも重ねているのかな。

「血界の眷属(ブラッドブリード)が出たんです!」
「ほお、最近はよく出るなぁ。そんな季節なのかぁ?」
「ちょ、ゴキブリみたいな言い方すんなよ探偵」
「だが本当に、最近の出現数は多いな」

眉をひそめるスティーブンの横を通って、クラウスが前に出た。

「彼らが何人来ようとも、我々は守るべきもののために戦うだけだ。希望を見据え、一歩でも多く、足を進めるだけだ」

その強い瞳に、記憶の隅がチカチカと刺激されるような気がする。

「道案内を、頼めるかな探偵殿」
「……ふん、この探偵に任せたまえ。どんな場所だろうと、必ず最良の道を暴き出して見せよう」
「ありがとう、スクアーロ殿」

全員が、一歩、踏み出した。
彼らは毎日、歩き続けている。
平穏に向けて、希望に向けて、光を目指して……。
そこに、オレの忘れてしまった真実があるような気がしている。
それを見たくて、そこへ辿り着く彼らが見たくて、オレはここを離れられずにいる。
いつか、いつかその日が来たときには、虚無王の名もお役御免となるだろうか。

「……■■■■」

その時、オレは記憶の中の彼と会えるだろうか。
胸の内に、大きくて重い虚無を抱えたまま、オレも今日を歩いていく。
ライブラとの、そんな日常。
虚無王と呼ばれるオレの、どうしようもない、しかしかけがえのない日常だ。

「ああ、綺麗な混沌だ」

血界の眷属が暴れる街を眺めながらそう呟いた。
今日も街は暴力的なまでに平和である。
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