柘榴様その2(群青if)
スクアーロさんの屋敷で世話になり始めて、1ヶ月。
日が沈んで彼が起き出す時間。
彼にとっての朝食が出来たことを報せに、僕はいつものように扉をノックして、彼の寝室の扉を開ける。
いつもならその時点で、彼は既に起き出しているのだが、その日だけは少し違った。
ベッドの上の人影が、微かに身動いだのは見えたが、いつものように起き出してこない。
「スクアーロさん?」
「……う、ん゙……」
「具合でも悪いんですか……?」
「いや……大丈夫……」
ゆっくりと身体を起こす彼に近寄って、細く骨張った背中を支える。
覗き込んだ彼の顔は、暗闇の中でもハッキリとわかるほどに顔色が悪かった。
「顔が真っ青じゃないですか!」
「……ゔ、るせぇ」
「ちゃんと寝てなくちゃ……」
「ぐっ…………」
息苦しそうに喘ぐ彼の体を、ベッドの上に横たわらせて、額に手を当てる。
熱はない。
だが、酷く体温が低くなっていた。
まるで氷のように体が冷たい。
「なんで、こんな……。風邪、じゃないですよね?」
「……疲れてるだけだろぉ」
「疲れるようなこと、したんですか?」
「……」
僕の知っている限り、彼は昼間はずっと寝ているし、普段も特別疲れるようなことはしていない。
案の定、黙り込んだ彼の様子を見て、それが嘘だったことをさとる。
彼の体はハッとするほど冷たいのに、じっとりと汗をかいていて、息も荒い。
僕は必死に彼の不調の理由を考えるけれど、理由はいっこうに見当たらない。
吸血鬼と人間では、そもそもの構造が違うのだからわかるはずも……いや、吸血鬼であるからこその、理由なのではないのか?
「……スクアーロさん、最近、血、飲んでますか?」
「……」
「飲んでないんですね……」
血が足りないせいで、こんなことになってしまったのか。
僕は彼の前に、自分の腕を差し出す。
「飲んでください」
「……嫌だ」
「何でですか」
「嫌なんだ」
「ワガママ言わないでください」
「でも……」
「でも、じゃありません」
「……」
いやいやと首を振る彼に、手首を押し付けて、血を飲むように要求する。
血を飲まれるのは、やっぱり少し、抵抗はあるけれど、だからって彼がこのまま弱っていくのを、指を咥えて見ているつもりは、さらさらなかった。
「飲んでください、お願いします」
「……はっ……ぅ……」
息が荒くなっている。
まるで目の前に生肉を放られた獅子のように、彼の瞳は狂暴な色を湛えていて、僕の背筋はざわりと粟立つ。
彼は、人間の血を一滴も残らず飲み干すような無粋な真似はしない、なんて言っていたけれど、もしかしたら僕は、このまま血を飲み干されて殺されるんじゃないだろうか。
そう、考えてしまうほどに、彼の纏うオーラは荒々しかった。
「い、い……のか……」
「……僕が、飲んでくださいと、言っているんです」
「もう、戻れねぇ、ぞ……」
「……わかってます、それくらい」
わかっている。
吸血鬼に血を差し出せば、僕が人間の中に戻ることは二度と出来なくなるだろう、ってことくらい。
それでも、彼を死なせるほどの人でなしにはなりたくなかった。
「飲んで、ください」
「あ゙ぁ……いただきます……」
べろり、と、ざらつく舌が皮膚を舐める。
すぐに、そこを中心に痺れるような感覚が広がっていく。
彼は口を大きく開き、尖った犬歯を僕の手首を通る太い血管の上に押し当てた。
ツプ、と沈み込む牙。
不思議と、痛みはなかった。
ただ感じたのは、異物感と、流れ出ていく血、そして彼の口腔の温もり。
「ぐる……ぅ……」
「くっ……ぅ……!」
獣のような唸り声。
それに重なる僕の声。
その音を最後に、僕は意識を失った。
* * *
「おはよう」
「おはよう……ございま、す?」
「今は、夜だがなぁ」
「はあ……えっと、僕は……?」
「……オレが、少し血を飲みすぎたようだ。気を失って、一日中寝ていたぁ」
「そ、ですか……」
目を覚ますと、僕は彼の部屋のベッドの上にいた。
そうか、一気に血を失いすぎて、気絶してしまったのか。
キャンドルの灯りと、窓から忍び入る月明かりだけの部屋を見渡す。
サイドテーブルには、いつもよりも少し豪華な食事が置いてある。
「しっかり食って、体を休めろ。今日はそこを使って寝ていて良い」
「……スクアーロさん、なんであんなになるまで、血を飲まなかったんですか?」
会話の流れを、無視してしまう形になったが、僕はそう聞かずにはいられなかった。
死んでもおかしくないほど衰弱してしまうことは、彼自身よくわかっていたはずなのに、どうして血を飲まなかったんだろう。
僕のじゃなくても、他に血の通った人間は、山を降りればたくさんいるのに。
「僕の血を、飲みたくなかったのなら、他の人の血だって……」
「吸血鬼は、一度餌を作ると、そいつが死ぬまで、そいつ以外の血が飲めなくなる」
「……は?」
「お前以外の血は、今のオレには飲めない。だから、あそこまで、衰弱したぁ」
「そ、そんな……!」
今まで一度も、そんな話は聞かなかった。
なんでそんな大事なことを、言ってくれなかったのか。
いや、そんなことより、僕は命を救われた上に、彼を縛り付けてしまっていたのか?
「……んな、情けねぇ顔、してんじゃねぇよ、カス」
「だって……」
「……オレは充分に生きた。例え、このまま餓えて死んでも、構わないと思っている」
「そんなこと、なんで、言うんですか……?なんでそんなこと、言えるんですか……?」
理解できない。
彼のことが、僕には全く、理解できない。
死んでも良いなんて、平気な顔して言える彼の気持ちが、わからない。
「……飯、しっかり食えよ」
「……は、い」
スクアーロさんはそれだけ言って、部屋を出ていく。
食事を置いてある机を引き寄せようと伸ばした腕には、真っ白な包帯が几帳面に巻いてあった。
一度解いて、確認してみる。
傷はほとんど塞がりかけていたけれど、噛み跡は薄暗い室内でもハッキリとわかった。
「死んでも良い、なんて……」
そんなはず、ないじゃないか。
彼が用意してくれた食事は、少し冷めていたけれど、僕が作る食事よりもずっと美味しくて、ちょっとズルいと感じた。
日が沈んで彼が起き出す時間。
彼にとっての朝食が出来たことを報せに、僕はいつものように扉をノックして、彼の寝室の扉を開ける。
いつもならその時点で、彼は既に起き出しているのだが、その日だけは少し違った。
ベッドの上の人影が、微かに身動いだのは見えたが、いつものように起き出してこない。
「スクアーロさん?」
「……う、ん゙……」
「具合でも悪いんですか……?」
「いや……大丈夫……」
ゆっくりと身体を起こす彼に近寄って、細く骨張った背中を支える。
覗き込んだ彼の顔は、暗闇の中でもハッキリとわかるほどに顔色が悪かった。
「顔が真っ青じゃないですか!」
「……ゔ、るせぇ」
「ちゃんと寝てなくちゃ……」
「ぐっ…………」
息苦しそうに喘ぐ彼の体を、ベッドの上に横たわらせて、額に手を当てる。
熱はない。
だが、酷く体温が低くなっていた。
まるで氷のように体が冷たい。
「なんで、こんな……。風邪、じゃないですよね?」
「……疲れてるだけだろぉ」
「疲れるようなこと、したんですか?」
「……」
僕の知っている限り、彼は昼間はずっと寝ているし、普段も特別疲れるようなことはしていない。
案の定、黙り込んだ彼の様子を見て、それが嘘だったことをさとる。
彼の体はハッとするほど冷たいのに、じっとりと汗をかいていて、息も荒い。
僕は必死に彼の不調の理由を考えるけれど、理由はいっこうに見当たらない。
吸血鬼と人間では、そもそもの構造が違うのだからわかるはずも……いや、吸血鬼であるからこその、理由なのではないのか?
「……スクアーロさん、最近、血、飲んでますか?」
「……」
「飲んでないんですね……」
血が足りないせいで、こんなことになってしまったのか。
僕は彼の前に、自分の腕を差し出す。
「飲んでください」
「……嫌だ」
「何でですか」
「嫌なんだ」
「ワガママ言わないでください」
「でも……」
「でも、じゃありません」
「……」
いやいやと首を振る彼に、手首を押し付けて、血を飲むように要求する。
血を飲まれるのは、やっぱり少し、抵抗はあるけれど、だからって彼がこのまま弱っていくのを、指を咥えて見ているつもりは、さらさらなかった。
「飲んでください、お願いします」
「……はっ……ぅ……」
息が荒くなっている。
まるで目の前に生肉を放られた獅子のように、彼の瞳は狂暴な色を湛えていて、僕の背筋はざわりと粟立つ。
彼は、人間の血を一滴も残らず飲み干すような無粋な真似はしない、なんて言っていたけれど、もしかしたら僕は、このまま血を飲み干されて殺されるんじゃないだろうか。
そう、考えてしまうほどに、彼の纏うオーラは荒々しかった。
「い、い……のか……」
「……僕が、飲んでくださいと、言っているんです」
「もう、戻れねぇ、ぞ……」
「……わかってます、それくらい」
わかっている。
吸血鬼に血を差し出せば、僕が人間の中に戻ることは二度と出来なくなるだろう、ってことくらい。
それでも、彼を死なせるほどの人でなしにはなりたくなかった。
「飲んで、ください」
「あ゙ぁ……いただきます……」
べろり、と、ざらつく舌が皮膚を舐める。
すぐに、そこを中心に痺れるような感覚が広がっていく。
彼は口を大きく開き、尖った犬歯を僕の手首を通る太い血管の上に押し当てた。
ツプ、と沈み込む牙。
不思議と、痛みはなかった。
ただ感じたのは、異物感と、流れ出ていく血、そして彼の口腔の温もり。
「ぐる……ぅ……」
「くっ……ぅ……!」
獣のような唸り声。
それに重なる僕の声。
その音を最後に、僕は意識を失った。
* * *
「おはよう」
「おはよう……ございま、す?」
「今は、夜だがなぁ」
「はあ……えっと、僕は……?」
「……オレが、少し血を飲みすぎたようだ。気を失って、一日中寝ていたぁ」
「そ、ですか……」
目を覚ますと、僕は彼の部屋のベッドの上にいた。
そうか、一気に血を失いすぎて、気絶してしまったのか。
キャンドルの灯りと、窓から忍び入る月明かりだけの部屋を見渡す。
サイドテーブルには、いつもよりも少し豪華な食事が置いてある。
「しっかり食って、体を休めろ。今日はそこを使って寝ていて良い」
「……スクアーロさん、なんであんなになるまで、血を飲まなかったんですか?」
会話の流れを、無視してしまう形になったが、僕はそう聞かずにはいられなかった。
死んでもおかしくないほど衰弱してしまうことは、彼自身よくわかっていたはずなのに、どうして血を飲まなかったんだろう。
僕のじゃなくても、他に血の通った人間は、山を降りればたくさんいるのに。
「僕の血を、飲みたくなかったのなら、他の人の血だって……」
「吸血鬼は、一度餌を作ると、そいつが死ぬまで、そいつ以外の血が飲めなくなる」
「……は?」
「お前以外の血は、今のオレには飲めない。だから、あそこまで、衰弱したぁ」
「そ、そんな……!」
今まで一度も、そんな話は聞かなかった。
なんでそんな大事なことを、言ってくれなかったのか。
いや、そんなことより、僕は命を救われた上に、彼を縛り付けてしまっていたのか?
「……んな、情けねぇ顔、してんじゃねぇよ、カス」
「だって……」
「……オレは充分に生きた。例え、このまま餓えて死んでも、構わないと思っている」
「そんなこと、なんで、言うんですか……?なんでそんなこと、言えるんですか……?」
理解できない。
彼のことが、僕には全く、理解できない。
死んでも良いなんて、平気な顔して言える彼の気持ちが、わからない。
「……飯、しっかり食えよ」
「……は、い」
スクアーロさんはそれだけ言って、部屋を出ていく。
食事を置いてある机を引き寄せようと伸ばした腕には、真っ白な包帯が几帳面に巻いてあった。
一度解いて、確認してみる。
傷はほとんど塞がりかけていたけれど、噛み跡は薄暗い室内でもハッキリとわかった。
「死んでも良い、なんて……」
そんなはず、ないじゃないか。
彼が用意してくれた食事は、少し冷めていたけれど、僕が作る食事よりもずっと美味しくて、ちょっとズルいと感じた。