鮫、帰らず

『チッ!クソガキがそこまで言うなら手前一人で勝手に生きろ。だが言っておくぞ、手前一人じゃあ大した事も出来ずに直ぐに死ぬだろう、となあ』
「それでもいい。例え直ぐに死んだとしたって、仲間と会わず、何も言わず、ここで悔いばかり残して死ぬより、ずっと良い」

怒りは収まったらしいアルトが、半ば諦めたような面持ちでスクアーロを睨み付けていた。
ここまで強情だとは思わなかった、などと自分のことは棚にあげて呟き、アルトは左手を出すように指示した。

「左手?」
『俺一人が死に、手前が生き残りたいと言うのなら、それなりの手順を踏まねばならんのだよ』

首をかしげるスクアーロに、大きく溜め息を吐いて、アルトは渋々説明し出した。

『まず、手前の魂の核は俺だ。手前は俺の魂の上澄み、俺の魂から生まれた副産物に過ぎん』
「副産物……」
『なんだその顔は、俺の副産物になれたことを嫌がるんじゃあないクソガキ。手前は俺の副産物だ。故に俺が死ねば必然、手前も死ぬ』
「オレとお前が繋がってるからだな」
『ふん、その言い方は間違いだ。繋がっているのではない。俺と手前は同一なのだ。と言っても手前はあくまで副産物。俺の体に出来た瘤程度のモノだ。故に手間が死んだとしても俺が死ぬことはない』
「じゃあどうすりゃ良いんだぁ?」
『急かすな。良いか、手前が生き残り、俺が死ぬためには、俺と手前が逆転すれば良いだけの話なのだよ』
「はあ?」

副産物、だの、瘤、だのと言われて、流石に不快そうな顔をしていたスクアーロも、「逆転」という単語にはてなマークを浮かべる。
また大きな溜め息を吐いたアルトは、嫌そうに口を歪めながらも丁寧に説明してやる。

『お前が本体、俺が副産物になれば良いのだ』
「……なるほどな、オレが本体なら瘤程度のお前が死んでも、オレまで犠牲になる必要はねぇってことか」
『誰が瘤だこの吹き出物!!』
「ゔお゙ぉい!お前が言ったんだろうがぁ!」

多少の寄り道をしつつも、得心したらしいスクアーロは話の続きを促す。

「で?オレはどうすりゃ良い」
『だから、左手を出せと言っている。手前の左手を犠牲にして俺の力を手前にくれてやる。力が渡り、手前が俺より強くなれば、自然と立場は逆転するはずだ』
「なるほど……って、左手を犠牲に!?」
『問題でもあるのか?』
「切り落とす……ってことかぁ?」
『いや、俺が喰う』
「喰う!?」

アルトが言うには、左手を喰うことで二人の間により強い繋がりを作ることが出来るらしい。
その繋がりを通じて力を送り込む、と言うことだった。

「い、痛い、よな?」
『出来るだけ痛くしてやる』
「出来るだけ痛くしないでくれ!!」
『行くぞ』
「ちょっ!まっ……ギッッッ!!!」

次の瞬間、アルトの口の端が耳まで裂け、ギザギザの牙が覗いた。
大きく開き、スクアーロの左腕の先を咥えこむと、一気に口を閉じて噛み千切った。
先に宣言されていた通りに、意識が飛びそうになるほどの激痛が走る。
歯を食い縛り堪えるが、押さえきれない声が途切れ途切れに漏れ出している。

「グ……ゥゥウッ!!」
『この程度で情けのない……と、言いたいが、よく耐えてるじゃあないか。ほら、力を注ぐぞ……!』
「カッ……!」

アルトが手のない腕を掴む。
その掌が発光し、千切れた腕の傷口から力が注がれ始めた。
血管を血液が流れるように、ドクリ、ドクリと脈打ちながら、力の奔流が身体中を巡る。
痛みに霞む頭の中に、直接語りかけるような声が聞こえる。
呻き声を漏らしながら、スクアーロはその声を必死に聞き取ろうとした。

『この力は所謂魔力に等しいものだが、安心しろ、この力は手前が現世へと帰る時に消え失せるだろうからなあ』
「ぁぐ……き、える……?」
『帰る時には明るい方へ歩いていけ。そうすれば直に戻れるだろうよ』
「お、まえ……っは……?」
『……もう、全てを終えた。俺はさっさと、眠りにつくさ。さあ、もうお前の方が強くなったぞ。俺達の力関係は逆転した。もう行け、俺は疲れた。俺の前から、早く去れ』
「……あ、りがと……アルト……」
『……せいぜい、俺の分まで人生を謳歌しろ。俺を一人死に追いやって、生きていくのだから……』

頭の中から、潮が引いていくように声が遠ざかる。
同時に、痛みと、力の脈動も鎮まってゆく。
腕の傷口は血が流れ出すことこそ無かったが、そこから全身の生気が抜けていくような気がしていた。

「ぁ……」

膝を折り、地面に倒れ込む。
痛みはだいぶ引いていたが、それでもまだ痛みを訴える腕を抱え込んで、スクアーロはその場に蹲った。

「いっ……てぇ…………」

痛い、痛い、痛い、痛い……。
恐る恐る腕をあげて、傷口を見てみる。
本来なら、赤い血と、桃色の肉と、白い骨がそこから覗いているはずだった。
だが傷口にはその色はなく、ただただ黒い靄が取り巻き、傷口を覆い隠していた。
ずきずきと傷む。
傷口だけでなく、足も、お腹も、頭も、何だか重くて、上手く力が入らない。

――俺の前から、早く去れ

アルトはそう言っていたが、立ち上がることも出来なかった。
動けない……。
立ち上がらなければならないことも、早く戻らなくてはならないことも全部わかってる。
でも、でも…………。

「誰か……、」

誰か、助けて、助けて……。
声にならないそんな言葉を心の中に思い浮かべる。
重い瞼を必死にこじ開け、空に向けて手を伸ばす。

「……誰か……、――――……!」

伸ばした手に、叫んだ声に、応えるようにして、何もない空から、雫が1滴、落ちてきた。

――……ろ、……せ、すく……
――……きて!……くあ……!
――す……ろ、いや……起きろ、
――……きろ、早く、帰ってこいよ、スクアーロ!!

「……ぁ、声、が。」

ぽたり、ぽたりと、頬に雫が落ちてくる。
帰ってこいとスクアーロを呼んだ声は、聞き覚えのあるモノ。
帰らなければ。
少しでも早く、大切な人達がいる場所へ。
こんなところで、へばっている暇はない。

「ぐっ!く……ぅ!!」

カクカクと笑う膝を叱咤し、スクアーロは立ち上がり、仄かに明るく光る方向へと歩き出したのだった……。
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