鮫、帰らず
本当のことを言えば、もう彼女の事はほとんど覚えていなかった。
どんな声だっただろうか、どんな顔で笑っただろうか、彼女は普段何を考えていただろうか。
アルトという名の華奢な乙女。
記憶の片隅に残るその姿は、その見た目に似合わず、偉そうで、尚且つ人間味がなかった。
最も印象に残っている彼女の姿は、怒りに顔を歪めた姿だった。
美人が怒ると恐ろしいと言うが、まさに彼女はその通りで、般若の様相で怒る彼女の顔は、今でも鮮明に覚えている。
「彼女は、とても気性の激しい人だったと記憶しているよ。感情があまりにもハッキリしすぎていて、私なんかは逆に人間味がないようにさえ感じていた」
グラスを傾け、アルコールを喉に流し込んだチェッカーフェイスは、遠い過去を懐かしみ、その目を細める。
そんな彼に対して、目の前に座る人物――XANXUSは低い声で尋ねた。
「そんな奴が何故、自ら歪みに成り代わってまで世界を救おうなんざした?」
「さあね、彼女は何も語らなかったし、私にも、セピラにも、最期まで彼女の考えはわからなかった」
誰とも馴れ合おうとしない、孤高の人。
セピラは彼女を見て、ウロボロスの蛇に例えた。
一人で完結している人、強かな生命力、そして死と再生を繰り返すその生き様をウロボロスの蛇に例えたのだろう。
「彼女は何より、何事にも一人で完結している人だった。これと決めれば決して曲げない、人の意見は全て無視。よく言えば意思の強い人だったが、悪く言えば相当な頑固者だったよ。……だからきっと、アルトは再びスペルビ・スクアーロの体を死の淵へと引きずり込もうとするだろう。それに抗い、また目を開くことが出来るかどうかは、この子の努力次第だろうね」
ベッドの周りに集まり、祈るように名前を呼ぶ者達を見て、チェッカーフェイスは思わず破顔した。
「だがきっと、この子は戻ってくる。アルトとは違って、こんなにたくさんの人間に支えられているのだから……」
チェッカーフェイスの目の前で、グラスを煽ったXANXUSが当たり前だとでも言うように鼻を鳴らした。
* * *
「……ここは、どこだ?」
暗闇しかない場所で、スペルビ・スクアーロは途方にくれて立ち尽くしていた。
と言っても、何もわからず立ち尽くしているという訳ではない。
なぜ自分がこの状態に陥っているか、そしてこれからどうすれば良いのか、スクアーロは一応わかっているつもりである。
体を修復するために、一度肉体と分かたれた自分の魂は全て、生気を取り戻し、己の肉体へと返ってきた。
最後に、自分とは別の魂、アルトという転成を繰り返し続ける魂と、折り合いをつけなければならない。
これから、スクアーロは歪みの埋め合わせでも、誰かの代わりでもない、意思を持った一人の人間として、生きていく。
生きていきたいと思っている。
だが恐らく……いや、間違いなく、アルトは死ぬ気だ。
役目のために生き、それ以外には見向きもしない彼女には、死ぬ以外の選択肢は見えてはいないのだ。
そんな彼女と、スクアーロの魂が互いに折り合いをつけて魂同士の反発を無くさなければ、再びスクアーロが目を醒ます事はない。
スクアーロもその事はわかっている。
だが、この暗闇の中、探せども探せども、アルトらしき人は見つからない。
自分がいる場所はなんなのだ。
せめて地面と空の区別くらいはつけていてほしかった。
そもそも今自分はどこにいるのか。
本当にここにアルトはいるのか。
そんな考えが渦巻き、その果てに出た言葉が、「ここは、どこだ?」であったのだ。
「くそっ引きこもりめ……。散々引っ掻き回した挙げ句に引きこもったまま無理心中でもする気かぁ!?」
毒づいたところでアルトが出てくる様子はない。
仕方なくまた、当てもなくアルトを探して歩き出すスクアーロだったが、いつまで経っても現れない少女に、遂に苛立ちが頂点へと達した。
「だぁぁあ!!クソガキお゙らぁあ!さっさと出てこい!テメー顔も見せらんねーほど不細工なのかぁ!?あ゙あ?それともオレが恐くて出てこれねえとでも言う気かぁ!?」
『……餓鬼が、俺が貴様程度に恐れを抱くわけがないだろう』
「!どこだぁ!?」
突然聞こえた高く、それでいて深く重い声に、スクアーロは出所を探してキョロキョロと視線をさ迷わせる。
声は小バカにしたような乾いた笑い声を立てると、姿を見せないままに、スクアーロの耳元で囁いた。
『俺はどこにもおらんぞ。いや、どこにでもいる、かな?俺にとっては姿形など、まやかしに過ぎんのだよ。なあオイ、愚昧なクソガキめ。魂とは高濃度のエネルギー体なのだよ。形など定まっておらんのに態々人間の形をとるとは、お前もしや手の付けようもない程の阿呆なんじゃあないのか?ん?』
クスクスと厭らしく笑いながら言った声に、スクアーロの額に青筋が立ったのは当然の事だった。
スクアーロの顔から徐々に表情が抜け落ちていき、それにシンクロするように彼女が放つ殺気が禍々しさを帯びていく。
「フ……」
『ん?』
「フ、フハ、ハハハハハハ」
『オイ、クソガキ。遂に脳ミソにウジが沸いたのか』
「誰の脳ミソにウジが沸いただぁ!テメーとはゆっくりじっくり話し合ってやろうと思ってたがぁ、んなことはもうどうでもいい!テメーはガッツリネッチョリクソほど丁寧に三枚におろしてやるぞゔお゙ぉい!」
『……オイオイ、手前を殺そうとした相手に話し合いをしようと思っていたのか?ほとほとめでたい脳ミソだな。ククッ、一体どうすればそこまで脳ミソを腐らせることが出来るのか、是非ともご教授頂きたいね』
耳元にいた声が、一陣の風と共に遠ざかる。
その風はスクアーロの目の前5mほど先の位置で旋風になる。
その旋風が消えた時、そこには群青色の髪をした愛らしい顔の少女が立っていた。
『ほれ、手前のお望み通りに姿を現してやったぞ。ん?どうしたクソガキ、「三枚におろしてやる」んだろ?』
「……ハ、今まで出てこなかったくせに随分と潔いじゃねえか。何か企んでんじゃねえのかぁ?」
『オイオイ、俺は貴様のような小者に頭を使ってやるほど暇じゃあないんだよ』
「……カッさばく!」
容姿こそ愛らしい少女だったのだが、その顔にはニヤニヤとした、いやらしい笑みを張り付け、嫌味ったらしい言葉を吐き捨てている。
その表情と言葉を聞いたスクアーロは、叫びながら左腕を横に振り払う。
その拍子に、服の袖から剣が飛び出す。
その剣の柄をギリギリと軋むほどにキツく握り締め、スクアーロは足を踏み出した。
あるのかないのかわからないが、地面を蹴って弾丸のように飛び出す。
目指すは目の前の少女の首である。
流石は暗殺者と言うところか、躊躇いなく剣を振るい、その刃は確かに少女の首を裂いた、ハズだった。
「な、に……!?」
『……愚かな。魂は高密度のエネルギー体だと言ったはずだが、やはり阿呆の頭では覚えてはいられなかったか?
エネルギー体がただの剣で切れるはずもないだろうよ』
心底幻滅したとでも言うような冷めた目をして、己を見るアルトを見上げたスクアーロの米神を、冷たい汗が伝い落ちた。
どんな声だっただろうか、どんな顔で笑っただろうか、彼女は普段何を考えていただろうか。
アルトという名の華奢な乙女。
記憶の片隅に残るその姿は、その見た目に似合わず、偉そうで、尚且つ人間味がなかった。
最も印象に残っている彼女の姿は、怒りに顔を歪めた姿だった。
美人が怒ると恐ろしいと言うが、まさに彼女はその通りで、般若の様相で怒る彼女の顔は、今でも鮮明に覚えている。
「彼女は、とても気性の激しい人だったと記憶しているよ。感情があまりにもハッキリしすぎていて、私なんかは逆に人間味がないようにさえ感じていた」
グラスを傾け、アルコールを喉に流し込んだチェッカーフェイスは、遠い過去を懐かしみ、その目を細める。
そんな彼に対して、目の前に座る人物――XANXUSは低い声で尋ねた。
「そんな奴が何故、自ら歪みに成り代わってまで世界を救おうなんざした?」
「さあね、彼女は何も語らなかったし、私にも、セピラにも、最期まで彼女の考えはわからなかった」
誰とも馴れ合おうとしない、孤高の人。
セピラは彼女を見て、ウロボロスの蛇に例えた。
一人で完結している人、強かな生命力、そして死と再生を繰り返すその生き様をウロボロスの蛇に例えたのだろう。
「彼女は何より、何事にも一人で完結している人だった。これと決めれば決して曲げない、人の意見は全て無視。よく言えば意思の強い人だったが、悪く言えば相当な頑固者だったよ。……だからきっと、アルトは再びスペルビ・スクアーロの体を死の淵へと引きずり込もうとするだろう。それに抗い、また目を開くことが出来るかどうかは、この子の努力次第だろうね」
ベッドの周りに集まり、祈るように名前を呼ぶ者達を見て、チェッカーフェイスは思わず破顔した。
「だがきっと、この子は戻ってくる。アルトとは違って、こんなにたくさんの人間に支えられているのだから……」
チェッカーフェイスの目の前で、グラスを煽ったXANXUSが当たり前だとでも言うように鼻を鳴らした。
* * *
「……ここは、どこだ?」
暗闇しかない場所で、スペルビ・スクアーロは途方にくれて立ち尽くしていた。
と言っても、何もわからず立ち尽くしているという訳ではない。
なぜ自分がこの状態に陥っているか、そしてこれからどうすれば良いのか、スクアーロは一応わかっているつもりである。
体を修復するために、一度肉体と分かたれた自分の魂は全て、生気を取り戻し、己の肉体へと返ってきた。
最後に、自分とは別の魂、アルトという転成を繰り返し続ける魂と、折り合いをつけなければならない。
これから、スクアーロは歪みの埋め合わせでも、誰かの代わりでもない、意思を持った一人の人間として、生きていく。
生きていきたいと思っている。
だが恐らく……いや、間違いなく、アルトは死ぬ気だ。
役目のために生き、それ以外には見向きもしない彼女には、死ぬ以外の選択肢は見えてはいないのだ。
そんな彼女と、スクアーロの魂が互いに折り合いをつけて魂同士の反発を無くさなければ、再びスクアーロが目を醒ます事はない。
スクアーロもその事はわかっている。
だが、この暗闇の中、探せども探せども、アルトらしき人は見つからない。
自分がいる場所はなんなのだ。
せめて地面と空の区別くらいはつけていてほしかった。
そもそも今自分はどこにいるのか。
本当にここにアルトはいるのか。
そんな考えが渦巻き、その果てに出た言葉が、「ここは、どこだ?」であったのだ。
「くそっ引きこもりめ……。散々引っ掻き回した挙げ句に引きこもったまま無理心中でもする気かぁ!?」
毒づいたところでアルトが出てくる様子はない。
仕方なくまた、当てもなくアルトを探して歩き出すスクアーロだったが、いつまで経っても現れない少女に、遂に苛立ちが頂点へと達した。
「だぁぁあ!!クソガキお゙らぁあ!さっさと出てこい!テメー顔も見せらんねーほど不細工なのかぁ!?あ゙あ?それともオレが恐くて出てこれねえとでも言う気かぁ!?」
『……餓鬼が、俺が貴様程度に恐れを抱くわけがないだろう』
「!どこだぁ!?」
突然聞こえた高く、それでいて深く重い声に、スクアーロは出所を探してキョロキョロと視線をさ迷わせる。
声は小バカにしたような乾いた笑い声を立てると、姿を見せないままに、スクアーロの耳元で囁いた。
『俺はどこにもおらんぞ。いや、どこにでもいる、かな?俺にとっては姿形など、まやかしに過ぎんのだよ。なあオイ、愚昧なクソガキめ。魂とは高濃度のエネルギー体なのだよ。形など定まっておらんのに態々人間の形をとるとは、お前もしや手の付けようもない程の阿呆なんじゃあないのか?ん?』
クスクスと厭らしく笑いながら言った声に、スクアーロの額に青筋が立ったのは当然の事だった。
スクアーロの顔から徐々に表情が抜け落ちていき、それにシンクロするように彼女が放つ殺気が禍々しさを帯びていく。
「フ……」
『ん?』
「フ、フハ、ハハハハハハ」
『オイ、クソガキ。遂に脳ミソにウジが沸いたのか』
「誰の脳ミソにウジが沸いただぁ!テメーとはゆっくりじっくり話し合ってやろうと思ってたがぁ、んなことはもうどうでもいい!テメーはガッツリネッチョリクソほど丁寧に三枚におろしてやるぞゔお゙ぉい!」
『……オイオイ、手前を殺そうとした相手に話し合いをしようと思っていたのか?ほとほとめでたい脳ミソだな。ククッ、一体どうすればそこまで脳ミソを腐らせることが出来るのか、是非ともご教授頂きたいね』
耳元にいた声が、一陣の風と共に遠ざかる。
その風はスクアーロの目の前5mほど先の位置で旋風になる。
その旋風が消えた時、そこには群青色の髪をした愛らしい顔の少女が立っていた。
『ほれ、手前のお望み通りに姿を現してやったぞ。ん?どうしたクソガキ、「三枚におろしてやる」んだろ?』
「……ハ、今まで出てこなかったくせに随分と潔いじゃねえか。何か企んでんじゃねえのかぁ?」
『オイオイ、俺は貴様のような小者に頭を使ってやるほど暇じゃあないんだよ』
「……カッさばく!」
容姿こそ愛らしい少女だったのだが、その顔にはニヤニヤとした、いやらしい笑みを張り付け、嫌味ったらしい言葉を吐き捨てている。
その表情と言葉を聞いたスクアーロは、叫びながら左腕を横に振り払う。
その拍子に、服の袖から剣が飛び出す。
その剣の柄をギリギリと軋むほどにキツく握り締め、スクアーロは足を踏み出した。
あるのかないのかわからないが、地面を蹴って弾丸のように飛び出す。
目指すは目の前の少女の首である。
流石は暗殺者と言うところか、躊躇いなく剣を振るい、その刃は確かに少女の首を裂いた、ハズだった。
「な、に……!?」
『……愚かな。魂は高密度のエネルギー体だと言ったはずだが、やはり阿呆の頭では覚えてはいられなかったか?
エネルギー体がただの剣で切れるはずもないだろうよ』
心底幻滅したとでも言うような冷めた目をして、己を見るアルトを見上げたスクアーロの米神を、冷たい汗が伝い落ちた。