鮫、帰らず

「お、なんか面白いもの発見~♪」

そう言ったのは白蘭だった。
時折突然目の前に現れる木を避けて、手当たり次第片っ端から、隅から隅まで探しつくし、ようやく見付けたのは、ずば抜けて背の高い大木だった。
ようく見てみると、どうやらその木がこの濃い霧を発生させているらしい。
幹からしゅうしゅうと霧が溢れて、この木の回りは一際視界が不明瞭になっていた。

「おっきいね♪ここになら、本物がいてもおかしくないかもしれないね」
『そうかもな』
「本当に、本物と偽物の違いとか、居場所とかはわからないのかい?」
『ああ、協力者達は肉体に引きずられてお前らに協力した時点で、本物との繋がりは途切れちまってるからなぁ』
「それは残念♪」

翼を広げ、白蘭が浮き上がる。
少年は飛ぶことが出来ないので、一人下に残る気のようだ。
木は大分背が高くて、昇っても昇っても、上が見えない。

「いや……この霧、雨の炎を含んでいる?」

しかも炎は上に行けば行くほど濃くなっているようだ。
白蘭は体に大空の炎を纏って雨の炎を防御し、更に上を目指す。
雨の炎を避けることで少しはスピードが上がったらしい。
直に、頂上が見えてきた。
頂上に程近い枝に座る、幽鬼のような人影も。

「……スクアーロ、クン?」
『……白蘭』
「ぅ……わ……。どう、したのさ、その声」

白蘭が驚くのも、無理はない。
その声は、いつもの少し低くてハスキーな落ち着いた声とは違い、老若男女様々な人間の声を合わせたような、酷く耳障りな、声。
若いような、老いたような、高いような、低いような、深いような、浅いような、不思議な、声だった。

「スクアーロクン、声、どうしたの」
『……声』
「いつもの声と、全然違うじゃないか」
『いつもの声、って……どれ、だよ』
「え……」
『男?女?子供?大人?低い?高い?オレは、どんな声を、していた?』
「そんなの……、」

白蘭は枝の先にちょんと座って、顎に手を当てて考え込んでみる。
声なんて、伝えようもない。
女にしては低い声だったし、少しかすれ気味のハスキーな声で、だが耳障りでなく、落ち着いた声色をしていた。
だが、それを説明したところで、具体的な声を想像するのは難しいだろう。
何より、伝えた特徴を彼女がそのまま、鵜呑みにするとも思えなかった。

「えーと……とりあえず女の子だったよ?女の子にしては、大分低い声だったけど、……こんな感じで、伝わる?」
『……わからない』
「んんー、だよねぇ」

膝を抱え込んで、顔を埋めた彼女は、疲れたように大きく溜め息を吐いた。
次に彼女が顔を上げた時、その顔は少し、雰囲気が違っていた。

「あれ……、顔が……」
『本当に、女だったか?』
「え、うん。調べたからね」
『見たこと、ある?』
「……ないけど」

少し厳つい雰囲気を纏ったその顔は、まるで男性のように見える。
じっと見ていると、その顔はグニャリと歪んで、造りが変わる。
ぐにゃり、ぐしゃり、ぐちゃり。
男に、女に、老人に。
そして最後、もう一度顔を変えたスクアーロは、どこかあどけない顔立ちをしていた。

『わからないなら、放っておいてくれ』
「そうはいかないよ。君を連れ帰らなくちゃ、君の肉体が死んでしまうからね」
『……なぜ、お前がそんなことするんだ?オレを、助けたところで、お前にメリットはないだろう』
「ん?あー、それはね、何でだろう。僕にもよくわからないんだよね」

ダルそうに顔を上げるスクアーロの頭を、少し眉を下げて笑った白蘭は優しく撫でた。
子供のように、細く柔らかい髪の毛だった。
白蘭の髪は固めで、いつもツンツンと色んな方向を向いているから、擽ったくて新鮮だ。

「自分の事でもわからないことなんてたくさんあるんだよ、スクアーロクン。僕は未来で世界征服なんてベタな悪事を働いたわけだけど、でもあれだってちょっとしたゲーム感覚で、若しくはホンのちょっとの加虐心で、明確で大層な理由なんて別になかったしさ」
『……』
「やだな、そんな目で見ないでよ♪」

そんな軽い気持ちで、幾つもの平行世界が征服されたのかと思うと、怒りを通り越して呆れてしまっても無理はない。

「理由とか、意味とかって、時には凄く大事なのかもしれないけど、でも僕は、あまり気にしなくても良いと思うんだよね。自分の中身とか、存在意義とかなんて、まさにその筆頭だと思うよ」
『中身……』
「そ、君はそれがわからなくなってしまって苦しんでるんでしょう?」
『……そう、かもしれない』

自信の無さそうに俯きがちに肯定したスクアーロの頭を、白蘭は更に掻き回す。
安心させるように、優しい手つきで髪を梳いてやる。
目を泳がせる彼女は、まるで迷子のようだった。

「モノはさ、例えばハサミとかは、切る、っていう目的があって生み出されるけど、生き物は目的があって産まれてくる訳じゃないでしょう?敢えて言うなら、生きるため、ってところかな……?個々じゃなくて、種として生存する為。でも、普段の生活でそんなこと考える必要ってないよね。だから僕は、目的も意味も、生きる上では必要な事じゃないと思うのさ」

まあ、そこまで割り切っている人間はなかなか少数派であるだろうけれど、なんていう言葉はこっそり飲み込んで、白蘭は続けた。

「そんでもって、男とか女とか、年齢とか名前とか、そんなものってナンセンスだと思うんだ。そんなのハッキリしてなくったって、僕達は面白おかしく生きてくことが出来ると思う。必要なことはさ、自分が何者か、より、自分が何者であろうとするか、なんじゃないかなぁ?もっと、気楽に考えなよ。君が自分を男だと言うなら君は男だし、君が自分を子どもだと思うなら、君は子どもなのさ。君がしたいと思うことをすれば良い、君が在りたいように在れば良い。その事で他人は君を責めたり貶したりする事もあるかもしれないけど、君が気にすることじゃあないよ」

白蘭の考え方は、それこそ大分極端な考え方だと言える。
だが、その言葉は、この魂の欠片には必要な言葉であるかも知れなかった。
俯いていた彼女は、顔を上げる。
途端、二人の座っていた枝がグラリと傾いで、大きく揺れる。
幻術が解けるように、枝が消えて、気付けば白蘭は、高級そうなカーペットの上に仰向けに転がって、自分の胸の上に乗るスクアーロを見上げていた。
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