鮫、帰らず

裸足でぺたりと座り込んでいるガットネロ。
周りに敵がいないとわかってから、興味をなくしたようにボンヤリと宙を見ている。
六道骸は、顔を歪めて彼女を睨んでいた。

「……クフ、ムカつく女だ」

屈んで、その顎を掴む。
彼女の瞳と骸の瞳とが、カチ合った。
だが銀灰色の瞳は、ガラス玉のように骸の顔を映すだけで、何も見てはいない。
違う、と、その一言が、骸の脳裏を過り、心をザワつかせる。
本物の彼女の瞳は、こんな空虚な光を宿してなど居なかったし、こんな簡単に自由を奪われることもなかっただろう。

「……先程の質問、僕達が敵であるかどうか、という質問、僕がハッキリと答えましょう」
『……』
「僕は、あくまで僕個人は、これまでもこれからも、お前の味方には、なりはしない」
『味方では、ない……』
「繰り返し話すことはよろしいですね。そう、お前の味方ではない。つまり僕は、お前の、敵だ」
『敵……』

骸を映すガラス玉の瞳は、無感情のまま、揺れることもなかったが、その手は惑うことなく、骸を殺すために動いていた。
ゴギャリと不快な音がして、気付けば骸は、首を絞められて押し倒されていた。

「クッ、フ……!!なるほどっ……手首、の、間接を外し……縄から、抜けたの、か……!!」
『……』

殺される前に、骸は幻術で、その手を払い除ける。
彼女は、一度はその幻術に吹っ飛ばされたものの、すぐにまた距離を詰めて手を伸ばす。

「ちょっ、骸ちゃん!!」
「骸様!!」
「そこで黙って見ていなさい」

片手で仲間達を制した骸は、再びガットネロと対峙した。
今の彼女に武器はない。
ないが、その体術だけでも、要注意であることに変わりはなかった。
彼女から目を離さずに、骸は注意深く構えながら、一方的に話し掛けた。

「ガットネロ。僕達はお前に遇ったことがある。あの、忌々しいエストラーネオファミリーの研究員共を皆殺しにした後、お前は現れた。僕は、今でも考えるのです、ガットネロ」

骸が、三叉槍の石突きで地面を叩く。
そこからマグマが迸り、ガットネロを襲った。
易々と避けた彼女は、目にも止まらぬ早さで駆け、骸に迫る。
飛んできた高速の蹴りを槍の柄で叩き落とし、骸は続ける。

「あの時、お前に拾われていたら、今とは何か、変わっていたのではないかと。お前が僕達を逃がさなかったら、お前が、もっと早くにあそこに現れて、奴らを殺してくれていたのなら。そう思うと、堪らなく、腸が煮え繰り返る。お前が間に合っていたのなら、僕達は自分の手を汚すことはなかったのではないかと。僕達は、人殺しなどには、ならなかったのではないかと、考えるのです」
『……』
「ガットネロ、僕は、お前を恨んでいる。わかってますよ、これがただの八つ当たりだと言うことも、お前に非がないことも。でも、堪らないのです。僕が敵であろうとする理由は、ご理解頂けましたか?」
『……ああ』
「それは重畳」

激しい攻防、それが嘘かと思うような落ち着いた骸の声。
後方で、骸の言葉を聞いていた千種と犬は、僅かに俯いた。
彼らも思ったことがあった。
もし、あそこで保護されていたら。
そんな思いが心の中で傷になって、膿んで、ジクジクと痛む。
骸様は、自分達の傷まで背負っているようだ、と、千種は心の中で考えていた。
自分も犬も、その可能性を敢えて見ないようにしていた。
考えたって、どうなるでも無かったし、考えれば考えるだけ、絶望の色が濃くなるような気がしていた。
だが、骸様は、ずっとその傷口を見つめていた。
後悔していた。
あの時、どうしてあの黒尽くめに攻撃してしまったのだろうか。
あの時、どうして、奴に話を聞こうとしなかったのか。
あの時、どうして、逃げてしまったのか。
どうして、どうして、どうして……。
冷静に思えば、あんな怪しげな人間の話を聞こうなど、思うはずがない、思う方がどうかしている。
ましてや初めて人を殺したばかりの自分達が、興奮状態にあった自分達が、大人しく捕まるはずもないわけで。
だからそこを気に病む必要すらないと、千種はそう思っていた。
だが骸は、そうは思っていなかったらしい。
きっと、千種と犬を、千種と犬まで、同じように血にまみれた世界に引きずり込んでしまったことを悔いている、のだ。
あの時ならまだ、二人は誰も殺していなかったし、あの時ならまだ、自分達はノーマルな世界に戻れていたのかもしれない。
それを思って悔いている。
優しい人だ、素直でないが。
そして、六道を廻った目玉をその身に宿していると言えど、骸はまだ若い。
若さ故の忘れられないその後悔と、抑えきれないやり場のない怒りは、エストラーネオを潰したときに見た、あのマフィアの闇を圧し固めたような、暗闇の象徴のような、あの人物に、ガットネロに向けられる事となった。

「ガットネロ、代理戦争の場で、お前に遇った時、僕は、お前が拒絶するなら、もう八つ当たりは止めようと、いや、止められるかどうかなど分かりませんが、でも、止めようと思っていたのです。だがお前は、スペルビ・スクアーロは、僕の嫌味も嫌がらせも、嫌みを良いながらも受け入れた。ムカつくことに、あの女は、お前は、僕の八つ当たりの標的になることを甘んじた、許可した、受け入れて、しまったわけです」
『……ふぅん』

興味なさ気に、頷いて、わかっているのかいないのか、よくわからない顔付きで、強力な突きを繰り出す。
それは骸の髪を掠めて、無防備になった彼女の腹を、骸は槍の柄で打ち払った。

『かはっ』
「どうせ、僕達を、僕の八つ当たりを受け入れるくらいなら、お前には最後までとことんどこまでも延々に付き合っていく責任があるはずではないでしょうか?僕はお前に八つ当たりを続けますよ。お前が、嫌だと、いい加減にしろと怒鳴るまで、とことんどこまでも延々に、ね」
『……』
「だから、さっさと生身に戻りなさい。生身でなければ、殺せないではないですか。生身でなければ、八つ当たりをしても面白くないではないですか」
『……』
「ガットネロ、もしお前が世界の流れに逆らうことを諦め、生身の体に戻らないと言うのなら、僕は今度こそ本当に、お前を、軽蔑する」

ガットネロの動きは、そこでカチリと、止まってしまった。
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