鮫、帰らず

「あれ、君達は行かないのかい?」

人口密度が一気に減った部屋で、出ていく様子もなく立ち尽くす人影が複数あった。
XANXUS、リボーン、ヴェルデの3人だ。

「まだ全部話してねーだろお前」
「あの密室からコイツを連れ出した謎も解決していないしな」
「……」
「XANXUS君は何故、ここに残ったんだい?」

XANXUSはスクアーロの横たわるベッドの端に腰掛けた。
赤い目がその顔を食い入るように見詰める。
暫くそうしていたXANXUSだが、その重い口をゆっくりと開いた。

「コイツの別れた魂とやらは、6つじゃねぇな」
「……疑問形でもなしか」
「どういうことだ!?さっき貴様は6つに別れてさ迷っていると……」
「さ迷っている魂は6つだよ」
「つまり、さ迷ってねー魂が他にあるってことだな」
「その通り。だがどうしてわかったんだい?」
「……気配を感じた」

そう言ってXANXUSが視線を向けた先は、部屋の奥、明かりの届かない暗がりだった。

「流石は主だね。出ておいで、スクアーロ君」

珍しく感心したように言い、チェッカーフェイスは暗がりに向けて声を掛けた。
暗がりの中で、誰かが身動ぐ気配がした後、ゆっくりとした動作で明かりの中に白い手が現れた。
滑り出すように、シャツを纏った腕が、スラックスを穿いた脚が、白銀色の髪が、そして全身が姿を現す。

「ス、スペルビ・スクアーロ!!これも別れた魂の内の1つなのか!?」
「そうだよ。ただし、この魂の欠片は薄すぎて、少し歩くだけで精一杯のようだね。話すことも、ましてやモノを持ったりすることもできない」
「薄い、ってのはどういう意味だ?」

幽鬼のようにぼうっと立って、哀しそうに眉を下げているその姿は、輪郭がはっきりとしていない上に、時折霞んで向こう側の景色が透けていた。
まるで幽霊のようだ。
魂というのは、全てこのような姿なのだろうか。

「魂って言うのは、心と深く繋がっているものでね。心が引き裂かれるような出来事があると、その度に魂も引き裂かれて分かたれるのさ。この子は引き裂かれた果ての残り滓。引き裂かれた他の魂は、現実に堪えきれずに、死にたいと、逃げたいと、消えてしまいたいと願い、この屋敷を宛もなく放浪しているが、この子は一人、生きたいと願い、この場に留まった。だが、その生きたいという想いは、余りにも小さく、故にこの魂の欠片も、薄く弱いのだよ」

魂の欠片は、ベッドに座るXANXUSに向かって手を伸ばす。
肩に触れるかと思ったが、その手はXANXUSの体をすり抜け、触れることはなかった。
泣き出しそうに顔が歪む。
表情を変えずにその様子を見ていたXANXUSだったが、不意にその拳をスクアーロの顔に付き出した。
それもまた当たることなくすり抜ける。

「腑抜けた顔してんじゃねーぞ、カスザメ。生きたいならさっさと自分の身体に戻れ」

顔面を貫いたXANXUSの拳が広げられて今度はスクアーロの顔面を覆う。

「テメー以外の誰が、オレの右腕を務められる」
『……!』
「わかったらさっさと戻れ。余計な手間を掛けさせるな」

相変わらず、魂の欠片は喋ることはしなかったが、その瞳から零れ落ちた雫が地面につくより早く、魂の欠片は光の粒になって消えていった。

「ブラボー、XANXUS君。君のお陰で8つの欠片のうちの1つが無事身体に戻ったよ」
「なるほど、生きる目的と意欲を湧かせてやることで、魂は身体に還るのだな」
「まあ、そんなところだよ」
「それより、8つの欠片ってのはどういうことだ?」

茶化すように言ったチェッカーフェイスに興味を示さず、XANXUSはジッとスクアーロの体を見詰める。
血の気のなかった身体に、ほんの少しだけ、赤みが戻る。

「逃げた6つの魂、先程戻った魂が1つ。残りの1つは、ここにある」

チェッカーフェイスは、自分の足元に手を伸ばす。
誰も気付いていなかったが、そこには大きな鳥籠が置かれていた。
抱えあげられたその鳥籠の中を見たヴェルデが息を飲む。
籠の中にいたのは、30㎝ほどの小さな人間だった。

「これが……欠片の1つ!?」
「だが、……これは誰だ?」

その小さな人物は、深海のような群青色の長い髪を揺らめかせ、籠の扉に凭れてスヤスヤと眠っていた。
桃色のふっくらした唇は艶やかで、長い睫毛が白い頬に影を落としている。
スクアーロも美形ではあるが、それとはまた系統の違う、たおやかで愛らしい少女だった。
だがその細い手足は黒いリボンで籠の中の柵に縛り付けられている。

「彼女は、名をアルトという。歪みを埋めるために転生を続けている、我らの一族の一人だ。彼女がなくなれば、残りの7つの魂を集めたところで何の意味も無いと言うのに……随分と暴れてね。お陰で他の魂に逃げられてしまった」

チェッカーフェイスはそう言うと、また鳥籠を床に戻した。
その事に、リボーンが1つ、納得して頷く。

「そのアルトってのが、お前がスクアーロを助けようとする理由の1つでもあるんだな?」
「……そうなるね。彼女が転生するのはいつもアルコバレーノの世代交代の前後だった。アルコバレーノというルールがなくなってしまった今、もう彼女が転生することはないだろう。……最期くらいは、その転生の依代であるこの子にも、人並みの人生を送ってもらいたかった。まあ、君たちへの感謝の印という意味合いもあるのだがね」

愛おしそうに籠を見詰めたチェッカーフェイスに、彼女との関係を聞こうとしたリボーンは思い止まる。
恋人だったのか。
家族だったのか。
それとも掛け換えのない友人だったのか。
彼の眼差しから読み取ることは出来なかったが、彼がアルトという少女を深く想っていることだけはよくわかった。

「……そう言えば、ヴェルデ君は密室からこの子を連れ出した方法を知りたかったんだったかな?」
「ああ、そうだ」
「簡単な話さ。ちょっと頑張ってこの部屋とあの病室の間をワープで行き来しただけ」
「ワープ……というと、復讐者達のような夜の炎でか?」
「それとはまた違った方法だね。君たちには一生かかっても真似できない方法だよ」
「それは残念だ」

生物としての構造が違う、その言葉をチェッカーフェイスの出す凄まじい量の炎を見て理解しているヴェルデは、そのワープが自分には出来ないことを早々に理解して、引き下がった。

「もう1つ気になることがある」
「なんだね?」
「貴様は呪いを解いたと言ったが、我々の身体は戻らないままだ。その理由を知りたい」
「ああ、その事。時間が掛かるだけで、5年もすれば元に戻るだろうよ。呪いを掛けるのは慣れているんだがね。解くのは滅多にないことだから、少ししくじったようだ。だが、心配する必要はないよ」
「なるほど、了解した」

チェッカーフェイスの回答を聞き、ヴェルデとリボーンが揃って踵を返し、ドアに向かった。
聞くことは聞いた。
後はスクアーロを見付け、連れ戻すだけである。
そんな二人に声がかかる。

「ああ、言うのを忘れていた。散り散りになった欠片達は戻りたがらなくて、かなり暴れるだろうから、気を付けるようにね」

その声に、一瞬固まった二人は、次の瞬間ダッと駆け出した。

「それを先に言えチェッカーフェイス!!」
「ツナ達ヤベーかもな」

二人が見えなくなり、やることのなくなったチェッカーフェイスは、後ろを振り向いた。

「XANXUS君、行かないのかい……ん?」

XANXUSは、ベッド脇のソファーに座りどこから見付けたのか、ワインを抱えてグラスを揺らしていた。

「……大物になるだろうよ、君は」

実はかなりレアなチェッカーフェイスの呆れ声が、寒々しく部屋に響いたのだった。
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