八月一日土曜日PM14:00
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
祖母の家へ帰る頃には、空の色が少し変わり始めていた。日が沈みかけ世界の色を暗くしていく。昼間の勢いを失った蝉たちが、それでも名残惜しそうに鳴いていた。
健太は玄関を開けるとふわりと温かな空気が迎える。台所からは醤油と出汁の匂いが漂っていた。腹が鳴る。山を歩き回ったせいで、思っていた以上に腹が減っていた。
「ただいまー!」
奥から包丁の音が止む。
「おかえり」
祖母が台所から顔を出した。エプロンで手を拭きながら笑っている。健太は靴を脱ぎ散らかすように上がり込んだ。虫かごの中ではクワガタがかさりと羽を鳴らしている。
「見て見て!」
健太はクワガタの入った虫かごをずいっと差し出し祖母に自慢した。祖母は目を細める。
「あら、大きいの捕まえたねえ」
「でしょ!」
胸を張ってから、健太は思い出したように言った。
「今日さ、変な兄ちゃんと遊んだ」
「変な兄ちゃん?」
「うん。白髪でさ。学生服着てて。でね、公園のベンチで寝てたんだぜ」
祖母は鍋の蓋を持ち上げたまま「へえ」とだけ答えた。湯気がふわりと立ち上る。
「赤木しげるっていうんだ」
その瞬間だった。祖母の動きが、ほんの少しだけ止まる。本当に一瞬だった。けれど健太は気づいた。祖母は鍋を見つめたまま、小さく笑った。
「あの子、まだそこにいるのねえ」
まるで昔の知り合いの話をするような口調だった。健太は首を傾げる。
「知ってるの?」
「知ってるも何も……」
祖母は味噌汁を椀によそいながら言う。
「昔からいるもの」
健太には意味が分からない。……昔からいる?
あの兄ちゃんはどう見ても中学生くらいだった。
「ふうん」
健太はそれ以上は聞かなかった。今はそれより腹が減っていた。山の中を歩き回ったせいで、いつもより味噌汁の匂いが美味しそうに感じる。
健太は椀を手に取りながら、何度も虫かごへ視線を向けた。中では、今日捕まえた二匹のクワガタが静かに動いている。大きなミヤマクワガタ。祖父にも早く見せたかった。
窓の外では、夕暮れの空が少しずつ群青色へ変わり始めていた。昼間あれほど騒がしかった蝉の声も、いつの間にか遠くなっている。
代わりに、どこかでひぐらしが鳴いていた。その声は、長い一日の終わりを告げるようで、夏の余韻を少しだけ残していた。
やがて祖父が帰ってくると、健太は待ちきれないように虫かごを持って駆け寄った。
「見て! すごいの捕まえた!」
得意げに見せる健太を見て、祖父は目を丸くした。けれど、次の瞬間。
「……健太」
低い声が落ちる。
「昼間、一人で山に行ったのか?」
しまった、と思った時にはすでに遅い。結局、祖父との約束を忘れて山へ行ったことはすぐにばれてしまった。もちろん、こっぴどく叱られた。
それでも、その日の夜。布団の中で健太は、虫かごの中で動くクワガタを思い出していた。
そして、白い髪の変な兄ちゃんのことも。健太はあの赤木しげるという人間をずっと忘れられないだろう。
健太は玄関を開けるとふわりと温かな空気が迎える。台所からは醤油と出汁の匂いが漂っていた。腹が鳴る。山を歩き回ったせいで、思っていた以上に腹が減っていた。
「ただいまー!」
奥から包丁の音が止む。
「おかえり」
祖母が台所から顔を出した。エプロンで手を拭きながら笑っている。健太は靴を脱ぎ散らかすように上がり込んだ。虫かごの中ではクワガタがかさりと羽を鳴らしている。
「見て見て!」
健太はクワガタの入った虫かごをずいっと差し出し祖母に自慢した。祖母は目を細める。
「あら、大きいの捕まえたねえ」
「でしょ!」
胸を張ってから、健太は思い出したように言った。
「今日さ、変な兄ちゃんと遊んだ」
「変な兄ちゃん?」
「うん。白髪でさ。学生服着てて。でね、公園のベンチで寝てたんだぜ」
祖母は鍋の蓋を持ち上げたまま「へえ」とだけ答えた。湯気がふわりと立ち上る。
「赤木しげるっていうんだ」
その瞬間だった。祖母の動きが、ほんの少しだけ止まる。本当に一瞬だった。けれど健太は気づいた。祖母は鍋を見つめたまま、小さく笑った。
「あの子、まだそこにいるのねえ」
まるで昔の知り合いの話をするような口調だった。健太は首を傾げる。
「知ってるの?」
「知ってるも何も……」
祖母は味噌汁を椀によそいながら言う。
「昔からいるもの」
健太には意味が分からない。……昔からいる?
あの兄ちゃんはどう見ても中学生くらいだった。
「ふうん」
健太はそれ以上は聞かなかった。今はそれより腹が減っていた。山の中を歩き回ったせいで、いつもより味噌汁の匂いが美味しそうに感じる。
健太は椀を手に取りながら、何度も虫かごへ視線を向けた。中では、今日捕まえた二匹のクワガタが静かに動いている。大きなミヤマクワガタ。祖父にも早く見せたかった。
窓の外では、夕暮れの空が少しずつ群青色へ変わり始めていた。昼間あれほど騒がしかった蝉の声も、いつの間にか遠くなっている。
代わりに、どこかでひぐらしが鳴いていた。その声は、長い一日の終わりを告げるようで、夏の余韻を少しだけ残していた。
やがて祖父が帰ってくると、健太は待ちきれないように虫かごを持って駆け寄った。
「見て! すごいの捕まえた!」
得意げに見せる健太を見て、祖父は目を丸くした。けれど、次の瞬間。
「……健太」
低い声が落ちる。
「昼間、一人で山に行ったのか?」
しまった、と思った時にはすでに遅い。結局、祖父との約束を忘れて山へ行ったことはすぐにばれてしまった。もちろん、こっぴどく叱られた。
それでも、その日の夜。布団の中で健太は、虫かごの中で動くクワガタを思い出していた。
そして、白い髪の変な兄ちゃんのことも。健太はあの赤木しげるという人間をずっと忘れられないだろう。
4/4ページ
