バレンタイン
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昼間の商店街は、いつもとは違う顔をしていた。軒先や街灯に淡い桃色の紙飾りが下がり、甘い匂いが風に混じって流れてくる。
菓子屋の前には見慣れない箱が並び、若い娘たちが何人も立ち止まっては、真剣な顔で品定めをしていた。
去年までは、こんな騒ぎはなかったはずだ。うららは少し首を傾げ、隣を歩くしげるに声をかける。
「ねえ、何してるか知ってる?」
しげるは少女たちの様子を横目で眺めながら、素っ気なく答えた。
「ああ……“バレンタイン”とかいう、外国の行事らしいですよ」
「ばれんたいん?」
聞き慣れない言葉を、うららは口の中で転がす。
「どんなことをするの?」
「なんでも、好きな男にチョコレートを贈るんだとか」
その言葉にうららは、はっとして、あらためて少女たちの顔を見た。
なるほど、どの顔にも決意のような緊張が張りついている。
「そういうこと……」
思わず、うんうんと頷く。
「だから、あんなに真剣なのね」
「うららさんは、いいんですか?」
不意に、しげるが尋ねた。
「え?」
「誰かに贈らないんですか」
うららは一瞬考えてから、肩の力を抜くように笑った。
「私はやらないわ」
“好きな男に贈る”。そのまっすぐな言い方が、どうにも照れくさい。昭和の初めに生まれた自分には、少し眩しすぎる言葉だ。
もし主人が生きていたら…そんな考えが一瞬よぎったが、すぐに首を振る。今さら、ない話を思っても仕方がない。
「送る相手が、いないもの」
冗談めかしたつもりだった。
「……オレは、対象外?」
思いがけない言葉に、言葉が詰まる。しげるは真っ直ぐに、うららを見ていた。冗談ではない目だ。
「対象外も何も……」
言葉を続けようとして、喉で止まる。私は、この子の何なのだろう。保護者。たぶん、それが一番近い。行き場のない彼を家に泊め、食事をを用意している。そう考えれば、答えは簡単なはずなのに。
“好き”という言葉は、恋だけを指すものなのだろうか。もっと別の、穏やかな好きも、あるのではないか。
「しげるくんは」
「いい」
しげるは、言葉を遮るように歩調を速める。それ以上、何も言わせないつもりなのだと分かった。
夜。
居間の机の上に、小さな包みが置かれている。
あのあと、しげるは「ちょっと出てくる」と言って、外へ出てしまった。
そしてうららは結局、買ってしまったのだ。昼間、少女たちに混じりながら、場違いな気恥ずかしさをこらえて。形はどうするか、甘すぎないほうがいいだろうか。考えながら、選んだ。
やり切った、という感覚が残っている。
夕食の支度をしている頃、戸が開く音がした。
「おかえりなさい」
「ただいま」
しげるは靴を脱ぎ、居間に目をやる。そして、机の上の包みに気づいた。
「……これは?」
「バレンタインです」
思い切って言うと、しげるの手が一瞬、止まった。
「しげるくんに、贈りたいんだけど……いいかな?」
しばらくして、彼は静かに包みを手に取った。
「……開けていいですか」
「いいけど、夕食のあとにしてね」
そう言うと、しげるは包みを見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「最初から、欲しいって言えばよかったな」
その声は小さく、うららの耳には届かなかった。
居間の隅、仏壇にもしげるのものとは違う、もう一つ小さな包みが供えられている。亡き夫に送る初めてのバレンタイン。
台所では、鍋が静かに音を立てている。いつもと同じ夕餉の匂い。けれど、今夜だけは、少しだけ甘い気配が混じっていた。
後日、しげるはチョコをもらったことを南郷に話すると、「子供らしいとこ、あるんだな」と温かい目をむけられたのは、また別のお話。
菓子屋の前には見慣れない箱が並び、若い娘たちが何人も立ち止まっては、真剣な顔で品定めをしていた。
去年までは、こんな騒ぎはなかったはずだ。うららは少し首を傾げ、隣を歩くしげるに声をかける。
「ねえ、何してるか知ってる?」
しげるは少女たちの様子を横目で眺めながら、素っ気なく答えた。
「ああ……“バレンタイン”とかいう、外国の行事らしいですよ」
「ばれんたいん?」
聞き慣れない言葉を、うららは口の中で転がす。
「どんなことをするの?」
「なんでも、好きな男にチョコレートを贈るんだとか」
その言葉にうららは、はっとして、あらためて少女たちの顔を見た。
なるほど、どの顔にも決意のような緊張が張りついている。
「そういうこと……」
思わず、うんうんと頷く。
「だから、あんなに真剣なのね」
「うららさんは、いいんですか?」
不意に、しげるが尋ねた。
「え?」
「誰かに贈らないんですか」
うららは一瞬考えてから、肩の力を抜くように笑った。
「私はやらないわ」
“好きな男に贈る”。そのまっすぐな言い方が、どうにも照れくさい。昭和の初めに生まれた自分には、少し眩しすぎる言葉だ。
もし主人が生きていたら…そんな考えが一瞬よぎったが、すぐに首を振る。今さら、ない話を思っても仕方がない。
「送る相手が、いないもの」
冗談めかしたつもりだった。
「……オレは、対象外?」
思いがけない言葉に、言葉が詰まる。しげるは真っ直ぐに、うららを見ていた。冗談ではない目だ。
「対象外も何も……」
言葉を続けようとして、喉で止まる。私は、この子の何なのだろう。保護者。たぶん、それが一番近い。行き場のない彼を家に泊め、食事をを用意している。そう考えれば、答えは簡単なはずなのに。
“好き”という言葉は、恋だけを指すものなのだろうか。もっと別の、穏やかな好きも、あるのではないか。
「しげるくんは」
「いい」
しげるは、言葉を遮るように歩調を速める。それ以上、何も言わせないつもりなのだと分かった。
夜。
居間の机の上に、小さな包みが置かれている。
あのあと、しげるは「ちょっと出てくる」と言って、外へ出てしまった。
そしてうららは結局、買ってしまったのだ。昼間、少女たちに混じりながら、場違いな気恥ずかしさをこらえて。形はどうするか、甘すぎないほうがいいだろうか。考えながら、選んだ。
やり切った、という感覚が残っている。
夕食の支度をしている頃、戸が開く音がした。
「おかえりなさい」
「ただいま」
しげるは靴を脱ぎ、居間に目をやる。そして、机の上の包みに気づいた。
「……これは?」
「バレンタインです」
思い切って言うと、しげるの手が一瞬、止まった。
「しげるくんに、贈りたいんだけど……いいかな?」
しばらくして、彼は静かに包みを手に取った。
「……開けていいですか」
「いいけど、夕食のあとにしてね」
そう言うと、しげるは包みを見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「最初から、欲しいって言えばよかったな」
その声は小さく、うららの耳には届かなかった。
居間の隅、仏壇にもしげるのものとは違う、もう一つ小さな包みが供えられている。亡き夫に送る初めてのバレンタイン。
台所では、鍋が静かに音を立てている。いつもと同じ夕餉の匂い。けれど、今夜だけは、少しだけ甘い気配が混じっていた。
後日、しげるはチョコをもらったことを南郷に話すると、「子供らしいとこ、あるんだな」と温かい目をむけられたのは、また別のお話。
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