お見合い
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外履きを整え、引き戸を開けると、冷たい空気が頬を撫でた。料亭の仲居が頭を下げすみれたちを見送る。
日はもう傾きはじめ、庭の紅葉は、先ほどよりもいっそう赤みを増して見えた。
しげるは振り返らず、そのまま歩き出す。
「……どこ行くの?」
問いかけると、少しだけ間を置いて、
「さあ」
と、短く返ってきた。
相変わらずだ、と思う。行き先も、理由も、はっきりとは言わない。それでも足を止めないところを見ると、すみれがついてくることを疑っていないのだろう。
少しだけ迷ってから、すみれはその背中を追った。砂利を踏む音が、二つ分、重なる。
門を出て、通りへ出る。
人通りはまばらで、夕暮れの気配がゆっくりと街に降りてきている。
しばらく、言葉はなかった。ただ、並んで歩く。それだけのことが、ひどく久しぶりに思えた。
「……急に、どうしたの?」
ようやく、すみれが口を開く。
「さっきの……どうして、あんな」
なんと言っていいかわからず、少しだけ言葉を探す。しげるは歩みを止めないまま、肩越しに小さく息を吐いた。
「見えたから」
それだけだった。
「見えたって……どうしてあんな所にいたの?」
問いかけると、しげるはほんのわずかに口元を歪めた。
「代打ち」
しばらく歩いて、通りの角でしげるが足を止める。振り返る。ようやく、真正面から視線が合った。
「……ああいうの、好きなのかと思ってた」
ぽつり、と落ちる声。
「え?」
「真面目で、きちんとしてて。ああいうやつ」
見合いの男のことだと、すぐに分かった。すみれは、一瞬だけ言葉を探す。
「……いい人、だと思うよ」
正直に、そう答える。しげるは、ふっと目を細めた。
「だろうな」
その言い方が、どこか突き放すようで。すみれの胸に、あの日のやりとりがふとよぎる。
——いい子?
——わたしには、十分いい子よ。
気づけば、口が開いていた。しげるが、わずかに目を上げる。
「ああいう“いい人”とは、違うの」
言葉を選びながら、ゆっくりと続ける。
「きちんとしてて、誰にでも同じで……そういう“いい人”も、きっと大事だけど」
一拍、置いて。
「そうじゃないの」
しげるは何も言わない。ただ、視線だけがこちらに残る。
「気まぐれで、勝手で……困ることも多いけど」
少しだけ笑う。
「それでも、ちゃんと帰ってくるし」
あの夜の感触が、胸の奥に残っている。
「そういうのは——“いい子”っていうのよ……たぶん」
しげるは、わずかに息を吐いた。
「……基準、やっぱり甘いな」
前と同じ言葉。けれど、今度は少しだけ、やわらかかった。
「そうかもね」
すみれも、小さく笑う。
風が吹いて、落ち葉が足元を転がった。しげるは視線を逸らしながら、ぼそりと言う。
「でもまあ……」
一瞬だけ、間があって。
「悪くない」
短く、そう返す。その声は、どこか軽くて、けれどほんの少しだけ——安堵したようにも聞こえた。
「あんた、引っ越しただろ」
不意に、しげるが言う。足が止まる。振り返ると、しげるは少しだけ肩をすくめた。
「前のとこ、なくなってた」
やはり、見ていたのだ。あの更地を。胸の奥が、わずかにざわつく。
「探してくれた?」
問いかけると、しげるは答えなかった。ただ、視線を逸らす。その沈黙が、何より雄弁だった。すみれは、少しだけ息を吸う。言葉にしようとして、やめる。
代わりに、
「……ここから、そんなに遠くないよ」
とだけ言った。しげるが、ちらりとこちらを見る。
「新しいとこ」
続けると、ほんのわずかに、目が細くなった。
「ふーん」
興味があるのか、ないのか分からない返事。
けれど、その足はもう、先ほどまでのように勝手に進んではいなかった。二人のあいだに、ほんの少しだけ、同じ方向が生まれていた。
日はもう傾きはじめ、庭の紅葉は、先ほどよりもいっそう赤みを増して見えた。
しげるは振り返らず、そのまま歩き出す。
「……どこ行くの?」
問いかけると、少しだけ間を置いて、
「さあ」
と、短く返ってきた。
相変わらずだ、と思う。行き先も、理由も、はっきりとは言わない。それでも足を止めないところを見ると、すみれがついてくることを疑っていないのだろう。
少しだけ迷ってから、すみれはその背中を追った。砂利を踏む音が、二つ分、重なる。
門を出て、通りへ出る。
人通りはまばらで、夕暮れの気配がゆっくりと街に降りてきている。
しばらく、言葉はなかった。ただ、並んで歩く。それだけのことが、ひどく久しぶりに思えた。
「……急に、どうしたの?」
ようやく、すみれが口を開く。
「さっきの……どうして、あんな」
なんと言っていいかわからず、少しだけ言葉を探す。しげるは歩みを止めないまま、肩越しに小さく息を吐いた。
「見えたから」
それだけだった。
「見えたって……どうしてあんな所にいたの?」
問いかけると、しげるはほんのわずかに口元を歪めた。
「代打ち」
しばらく歩いて、通りの角でしげるが足を止める。振り返る。ようやく、真正面から視線が合った。
「……ああいうの、好きなのかと思ってた」
ぽつり、と落ちる声。
「え?」
「真面目で、きちんとしてて。ああいうやつ」
見合いの男のことだと、すぐに分かった。すみれは、一瞬だけ言葉を探す。
「……いい人、だと思うよ」
正直に、そう答える。しげるは、ふっと目を細めた。
「だろうな」
その言い方が、どこか突き放すようで。すみれの胸に、あの日のやりとりがふとよぎる。
——いい子?
——わたしには、十分いい子よ。
気づけば、口が開いていた。しげるが、わずかに目を上げる。
「ああいう“いい人”とは、違うの」
言葉を選びながら、ゆっくりと続ける。
「きちんとしてて、誰にでも同じで……そういう“いい人”も、きっと大事だけど」
一拍、置いて。
「そうじゃないの」
しげるは何も言わない。ただ、視線だけがこちらに残る。
「気まぐれで、勝手で……困ることも多いけど」
少しだけ笑う。
「それでも、ちゃんと帰ってくるし」
あの夜の感触が、胸の奥に残っている。
「そういうのは——“いい子”っていうのよ……たぶん」
しげるは、わずかに息を吐いた。
「……基準、やっぱり甘いな」
前と同じ言葉。けれど、今度は少しだけ、やわらかかった。
「そうかもね」
すみれも、小さく笑う。
風が吹いて、落ち葉が足元を転がった。しげるは視線を逸らしながら、ぼそりと言う。
「でもまあ……」
一瞬だけ、間があって。
「悪くない」
短く、そう返す。その声は、どこか軽くて、けれどほんの少しだけ——安堵したようにも聞こえた。
「あんた、引っ越しただろ」
不意に、しげるが言う。足が止まる。振り返ると、しげるは少しだけ肩をすくめた。
「前のとこ、なくなってた」
やはり、見ていたのだ。あの更地を。胸の奥が、わずかにざわつく。
「探してくれた?」
問いかけると、しげるは答えなかった。ただ、視線を逸らす。その沈黙が、何より雄弁だった。すみれは、少しだけ息を吸う。言葉にしようとして、やめる。
代わりに、
「……ここから、そんなに遠くないよ」
とだけ言った。しげるが、ちらりとこちらを見る。
「新しいとこ」
続けると、ほんのわずかに、目が細くなった。
「ふーん」
興味があるのか、ないのか分からない返事。
けれど、その足はもう、先ほどまでのように勝手に進んではいなかった。二人のあいだに、ほんの少しだけ、同じ方向が生まれていた。
