旅行:後半
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翌朝。
部屋に朝食が運ばれ、低い卓の上に、次々と料理が並べられていく。向かいに座るしげるは、大きなあくびを一つ噛み殺した。
昨日、広縁で空いた徳利は八本。
ほとんど、しげるが飲んだと言っていい。
「二日酔いになってない?」
「うん。 あんなんじゃ酔わない」
「まあ、羨ましいこと」
うららは呆れたように言いながらも、豪華な朝食を目の前に気分がいい。湯気が立ち上り、卓の上に、朝の匂いが満ちていく。
焼き魚の皮はこんがりと色づき、だし巻き卵はふっくら。小鉢の煮物は照りがあり、一人用の鍋には、朝からすき焼きまで用意されている。味噌汁の湯気が、まだ少し眠たい頭に、ゆっくり染み込んでくる。
「……おいしそう」
思わず漏れた声に、配膳をしていた女将が、にこやかに笑った。
「どれも料理長が腕によりをかけています。たくさん召し上がってくださいね」
そう言って、最後に漬物の皿を置く。
「今日は、このあとどこか行かれるんですか?」
何気ない問いかけに、うらら一度、しげるのほうを見る。
「特に、決めてなくて」
しげるは相変わらず眠そうで、眉間にうっすらとしわを寄せている。
「そうでしたか」
女将は少し考えるように視線を上げ、それから思い出したように言った。
「そういえば、今日は隣町でお祭りがあるんですよ」
「お祭り?」
「はい。神社の例祭でして、屋台もたくさん出ますし、大通りではお神輿も見られますよ」
「へえ……」
うららが声を弾ませると、女将はにこりと微笑んだ。
「よろしければ、浴衣の貸し出しもできますよ。会場までは送迎も出来ますし」
「いいんですか?」
「もちろんでございます」
向かいで聞いていたしげるが、眠たげな眼を向ける。
「……じゃあ、行こうか」
短く、それだけ。
「いいの?」
「別に。やることないし」
そっけないが、拒む気配はない。
「じゃあ……二人分の着付け、お願いします」
そう言うと、しげるが少しだけ目を丸くした。
「かしこまりました。では、十四時ごろにお声がけしますね」
女将は静かに一礼し、部屋を出ていく。
「俺も着るの?」
「もちろん!」
一拍おいて、しげるは箸を持った。
「……まあ、いいけど」
卓の上には、まだ手つかずの料理が残っている。湯気は変わらず、静かに立ちのぼっていた。
「お祭りのタイミングと重なるなんて、ラッキーね」
うららが笑うと、しげるは一言。
「そうですね」
そして味噌汁を一口すする。どこか他人事のような口調。けれど、それはしげるの同意だとわかるくらいには二人の距離は縮まっていた。
箸を進めるうちに、体が少しずつ目を覚ましていく。酒の余韻よりも、温かい料理の感触のほうが、ゆっくりと前に出てきた。
十四時前。
女将に声をかけられ、うららは部屋を出た。
案内されたのは、普段は宴会などに使われるのだろう大部屋の一角だった。畳の上には、何着もの浴衣が丁寧に広げられている。
紺、藍、薄鼠、生成り。色味も柄もそれぞれ違うのに、不思議とどれも落ち着いた雰囲気だ。派手さよりも、着る人を選ばない静かな華やかさがある。久しぶりに見る浴衣に、うららは思わず目を輝かせた。
「この中から、選んでいいんですか?」
「はい。お好みの柄や、お色味はありますか?」
そう聞かれて、少し考える。しげるは、いつも同じような服、同じような色味を身につけている。暗めで、主張しすぎない色。
合わせるなら、寒色系のほうがいいのかしら。それとも、あえて外したほうが……。
そんなことを考えていると、女将が一枚の浴衣の袖を、すっと広げた。
「こちらなんて、いかがでしょう。お二人の雰囲気に、ぴったりかと」
深い藍色を基調に、白と灰色で描かれた朝顔の柄。近くで見ると、細い線で丁寧に描かれているのがわかる。涼やかで、それでいて落ち着いた、大人びた柄だった。
「……可愛いですね」
指先でそっと布に触れてから、うららは頷く。
「それにします」
「かしこまりました」
女将はにこやかに答え、手際よく着付けの準備を始める。
帯を締められ、背中で形を整えられる。鏡に映る自分は、いつもより少しだけ、よそゆきの顔をしていた。
「お二人、本当に仲がよろしいんですね」
「……ありがとうございます」
何と返すのが正解かわからず、うららは曖昧に笑った。
女将は手を動かしながら、続ける。
「ご主人がね、奥様をご覧になる目が、とてもお優しいんです。声をかけなくても、ちゃんと様子を見ていらっしゃる」
その言葉に、うららは一瞬、息を詰める。
主人。
奥様。
否定するには、あまりにも穏やかな言い方だった。
「……そう、ですか」
そう答えるのが精一杯だった。女将はそれ以上踏み込まず、帯をきれいに整える。
「はい、これで大丈夫ですよ」
着付けを終え、うららは一足先にロビーへ出た。
畳敷きの空間に、少し落とした照明。帳場の奥からは、女将の落ち着いた声が聞こえてくる。浴衣の裾を、無意識に整える。鏡に映る藍色の朝顔が、ゆっくりと揺れていた。
女将さんたちからは、どう見えるのかしら。
そんなことを考えながら、うららは静かに、しげるを待った。畳敷きの空間は、朝よりも明るい照明で満たされている。帳場の奥からは、電話の呼び出し音と、女将の落ち着いた声。
ほどなくして、廊下の奥から足音がした。顔を上げると、しげるがこちらへ歩いてくる。
「悪い。 煙草吸ってた」
同じく藍色の浴衣。しげるの柄は棒縞。こちらよりわずかに濃い色合いで、帯は濃紺。落ち着いた色のせいか、いつもより少しだけ貫禄がある。視線が合い、しげるが足を止めた。
「……」
ほんの一瞬。
「よくお似合いで」
抑揚の少ない声。だがその瞳ははっきりとうららを映している。先ほどの女将の言葉を思い出す。
「ありがとう」
そう返してから、改めてしげるを見る。
「しげるくんこそ。似合ってる」
「そりゃ、良かった」
それだけ言って、首元を少し緩めるように触る。仕草はいつもと変わらないのに、きっちりとした浴衣に身を包んでいるせいか、昨日までとは違って見えた。
並んで立つと、色味も柄も、二人自然に揃っている。誰が見ても、“祭りに向かう客”だろう。
帳場から女将が顔を出した。
「まあ……お二人とも、本当によくお似合いですね」
「ありがとうございます」
「送迎の車、もうすぐ来ますよ。下駄はこちらです」
並べられた下駄を履き、立ち上がる。
「行こうか」
しげるが、当たり前のように言う。
「ええ」
そう答えて、並んで玄関へ向かった。
部屋に朝食が運ばれ、低い卓の上に、次々と料理が並べられていく。向かいに座るしげるは、大きなあくびを一つ噛み殺した。
昨日、広縁で空いた徳利は八本。
ほとんど、しげるが飲んだと言っていい。
「二日酔いになってない?」
「うん。 あんなんじゃ酔わない」
「まあ、羨ましいこと」
うららは呆れたように言いながらも、豪華な朝食を目の前に気分がいい。湯気が立ち上り、卓の上に、朝の匂いが満ちていく。
焼き魚の皮はこんがりと色づき、だし巻き卵はふっくら。小鉢の煮物は照りがあり、一人用の鍋には、朝からすき焼きまで用意されている。味噌汁の湯気が、まだ少し眠たい頭に、ゆっくり染み込んでくる。
「……おいしそう」
思わず漏れた声に、配膳をしていた女将が、にこやかに笑った。
「どれも料理長が腕によりをかけています。たくさん召し上がってくださいね」
そう言って、最後に漬物の皿を置く。
「今日は、このあとどこか行かれるんですか?」
何気ない問いかけに、うらら一度、しげるのほうを見る。
「特に、決めてなくて」
しげるは相変わらず眠そうで、眉間にうっすらとしわを寄せている。
「そうでしたか」
女将は少し考えるように視線を上げ、それから思い出したように言った。
「そういえば、今日は隣町でお祭りがあるんですよ」
「お祭り?」
「はい。神社の例祭でして、屋台もたくさん出ますし、大通りではお神輿も見られますよ」
「へえ……」
うららが声を弾ませると、女将はにこりと微笑んだ。
「よろしければ、浴衣の貸し出しもできますよ。会場までは送迎も出来ますし」
「いいんですか?」
「もちろんでございます」
向かいで聞いていたしげるが、眠たげな眼を向ける。
「……じゃあ、行こうか」
短く、それだけ。
「いいの?」
「別に。やることないし」
そっけないが、拒む気配はない。
「じゃあ……二人分の着付け、お願いします」
そう言うと、しげるが少しだけ目を丸くした。
「かしこまりました。では、十四時ごろにお声がけしますね」
女将は静かに一礼し、部屋を出ていく。
「俺も着るの?」
「もちろん!」
一拍おいて、しげるは箸を持った。
「……まあ、いいけど」
卓の上には、まだ手つかずの料理が残っている。湯気は変わらず、静かに立ちのぼっていた。
「お祭りのタイミングと重なるなんて、ラッキーね」
うららが笑うと、しげるは一言。
「そうですね」
そして味噌汁を一口すする。どこか他人事のような口調。けれど、それはしげるの同意だとわかるくらいには二人の距離は縮まっていた。
箸を進めるうちに、体が少しずつ目を覚ましていく。酒の余韻よりも、温かい料理の感触のほうが、ゆっくりと前に出てきた。
十四時前。
女将に声をかけられ、うららは部屋を出た。
案内されたのは、普段は宴会などに使われるのだろう大部屋の一角だった。畳の上には、何着もの浴衣が丁寧に広げられている。
紺、藍、薄鼠、生成り。色味も柄もそれぞれ違うのに、不思議とどれも落ち着いた雰囲気だ。派手さよりも、着る人を選ばない静かな華やかさがある。久しぶりに見る浴衣に、うららは思わず目を輝かせた。
「この中から、選んでいいんですか?」
「はい。お好みの柄や、お色味はありますか?」
そう聞かれて、少し考える。しげるは、いつも同じような服、同じような色味を身につけている。暗めで、主張しすぎない色。
合わせるなら、寒色系のほうがいいのかしら。それとも、あえて外したほうが……。
そんなことを考えていると、女将が一枚の浴衣の袖を、すっと広げた。
「こちらなんて、いかがでしょう。お二人の雰囲気に、ぴったりかと」
深い藍色を基調に、白と灰色で描かれた朝顔の柄。近くで見ると、細い線で丁寧に描かれているのがわかる。涼やかで、それでいて落ち着いた、大人びた柄だった。
「……可愛いですね」
指先でそっと布に触れてから、うららは頷く。
「それにします」
「かしこまりました」
女将はにこやかに答え、手際よく着付けの準備を始める。
帯を締められ、背中で形を整えられる。鏡に映る自分は、いつもより少しだけ、よそゆきの顔をしていた。
「お二人、本当に仲がよろしいんですね」
「……ありがとうございます」
何と返すのが正解かわからず、うららは曖昧に笑った。
女将は手を動かしながら、続ける。
「ご主人がね、奥様をご覧になる目が、とてもお優しいんです。声をかけなくても、ちゃんと様子を見ていらっしゃる」
その言葉に、うららは一瞬、息を詰める。
主人。
奥様。
否定するには、あまりにも穏やかな言い方だった。
「……そう、ですか」
そう答えるのが精一杯だった。女将はそれ以上踏み込まず、帯をきれいに整える。
「はい、これで大丈夫ですよ」
着付けを終え、うららは一足先にロビーへ出た。
畳敷きの空間に、少し落とした照明。帳場の奥からは、女将の落ち着いた声が聞こえてくる。浴衣の裾を、無意識に整える。鏡に映る藍色の朝顔が、ゆっくりと揺れていた。
女将さんたちからは、どう見えるのかしら。
そんなことを考えながら、うららは静かに、しげるを待った。畳敷きの空間は、朝よりも明るい照明で満たされている。帳場の奥からは、電話の呼び出し音と、女将の落ち着いた声。
ほどなくして、廊下の奥から足音がした。顔を上げると、しげるがこちらへ歩いてくる。
「悪い。 煙草吸ってた」
同じく藍色の浴衣。しげるの柄は棒縞。こちらよりわずかに濃い色合いで、帯は濃紺。落ち着いた色のせいか、いつもより少しだけ貫禄がある。視線が合い、しげるが足を止めた。
「……」
ほんの一瞬。
「よくお似合いで」
抑揚の少ない声。だがその瞳ははっきりとうららを映している。先ほどの女将の言葉を思い出す。
「ありがとう」
そう返してから、改めてしげるを見る。
「しげるくんこそ。似合ってる」
「そりゃ、良かった」
それだけ言って、首元を少し緩めるように触る。仕草はいつもと変わらないのに、きっちりとした浴衣に身を包んでいるせいか、昨日までとは違って見えた。
並んで立つと、色味も柄も、二人自然に揃っている。誰が見ても、“祭りに向かう客”だろう。
帳場から女将が顔を出した。
「まあ……お二人とも、本当によくお似合いですね」
「ありがとうございます」
「送迎の車、もうすぐ来ますよ。下駄はこちらです」
並べられた下駄を履き、立ち上がる。
「行こうか」
しげるが、当たり前のように言う。
「ええ」
そう答えて、並んで玄関へ向かった。
