再会
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喫茶店の扉を押し開けた瞬間、外の光が一気に流れ込む。低い位置の太陽が、思った以上にまぶしく、うららは思わず目を細めた。行き交う人の足音や、遠くの車の音が、急に現実味を帯びて耳に入ってくる。この先に、本当に“赤木しげる”がいるのか。それすらまだ分からないまま、うららは石川のあとを無言で付いていく。
途中、石川は淡々と語り始めた。「赤木しげる」らしき人物を見つけた経緯。そして、最近周囲で起きているという、穏やかではない噂。
——辻斬り。
物騒な単語が、現実感を伴って胸に刺さる。歩調は変えていないのに、足元だけが重くなった気がした。
素人、筋モノ区別なく突っ込んでくる怖いもの知らずの喧嘩屋。格段に腕は立つ。こちらの人数が五人以下なら手を出さないほうが無難。
石川が淡々と“赤木しげる”らしき人物について語る。うららの思い出に残る彼とは似ても似つかない。でも、もし本当に本人だったら。
もし、まだあの暗い世界にいるのだとしたら。考えは、そこから先へ進まない。うららは唇を噛みしめ、ただ前を歩く石川の背を見つめ続けた。逃げることも、立ち止まることもできないまま。
舗装の甘い道を進むにつれ、空気が変わる。油と鉄の混じった匂い。遠くではなく、すぐそばから、機械の動く音が響いていた。ガチャン、ガチャン。規則正しいが、どこか無機質な音。
やがて、背の高いトタンを立てかけたような壁の前で石川は足を止めた。トタンとトタンの間に、人一人入れるほどの隙間がある。石川は顎でそこを示した。
「そこの隙間を覗いてみてくれませんか。奴は今作業をしているはず」
その言葉に、南郷とうららは思わず顔を見合わせた。二人に言葉はない。けれど、同じことを考えているのが分かる。
——本当に、いるのか。
すみれは、そっと一歩前に出た。隙間に近づき、息を殺して、その隙間を覗く。中は、思ったよりも明るかった。作業机がずらりと並べられておりその机に向かって工員が黙々と、手を動かしている。サルの人形、同じ形のものを、同じ動作で、箱に詰めていく。灰色の帽子。同じ色の作業着。
そして——。
伏せた目、感情の読めない横顔。つまらなそうに、ただ作業だけをこなす、その姿。心臓が大きく跳ねる。
「あ……」
声にならない音が、喉からこぼれた。
「……しげるくん」
呼んだわけではない。けれど、彼の名前が、心の奥から浮かび上がった。後ろから、南郷が身を乗り出す。
「……ど、どこだ?」
うららが見やすい位置へと南郷を誘導する。数秒。
「……あ」
南郷はさっとトタンの壁へと身を隠す。
「……似てる。いやまず間違いない」
低く、確信を含んだ声。
「しかしあの赤木が真面目に働いているなんて」
うららは、もう一度、隙間を見る。以前よりも大きい体。大人びた横顔。だが昔と同じ、どこか世間から距離を取るような佇まい。
——生きていた。
それだけで、ただそれだけで胸がいっぱいになる。同時に、六年前に置かれた札束と鍵が、鮮明によみがえった。ここにいるのに。こんなにも近くにいるのに。声をかけることはできない。
隙間の向こうで、赤木しげるは何も知らないまま、サルの人形を淡々と箱に詰め続けていた。木箱に触れる音。規則正しく動く手。そこには、かつてうららが知っていた少年の面影と、知らない六年分の時間が、同時に重なって見えた。横顔を見つめながら、うららは思う――このまま、帰ろう。
会えば、きっと声をかけてしまう。声をかければ、きっと泣いてしまう。そして何より――六年前、彼が選んだ「もう会わない」という覚悟を、自分の気持ちで壊してしまう。そう決めた、その時だった。工場内に、終業を告げる鈴の音が耳を刺す。
「あ、わ、私……帰ります!」
とっさに声が出た。しげると向き合う勇気が出ないまま、うららは足を踏み出す。
「待った!」
背後から手首をつかまれる。振り向かなくても分かった。南郷だ。
「待ってくれ、南沢さん」
今、振り返れば胸に溜め込んだものが溢れてしまいそうで、うららは顔を伏せたまま答えた。
「……放してください」
声は、思っていたよりも低く出た。自分でも驚くほど、感情を押し殺した響きだった。南郷の手は、まだうららの手首を掴んでいる。強くはないが、離す気もない力。
「赤木に、会わなくていいのか?」
その名を出された瞬間、胸の奥がちくりと痛む。視線を上げられず、うららは俯いたまま答えた。
「……会えません」
嘘ではなかった。会いたい気持ちは、痛いほどある。けれど――それ以上に、越えてはいけない線がある気がしていた。
「本当に、それでいいのか?」
南郷の声は、先ほどより少しだけ低く、穏やかになる。問い詰めるというより、確かめるような口調だった。
「……」
答えは喉の奥で詰まった。良いか悪いかなんて、分からない。ただ、会ってはいけない気がする。
「本当は、会いたいんじゃないのか?」
その一言で胸に押し込めていたものが揺れる。息を吸おうとして、うまくいかない。
「……でも、しげるくんは……」
「赤木じゃない」
南郷の声が、少しだけ強くなる。
「あんたが、どうしたいかだ!」
びくりと、肩が震えた。思わず、唇を噛みしめる。
「私は……」
絞り出すように、言葉を探す。
「……一目、見られただけで、いいんです」
本心だった。それ以上を望めば、きっともっと求めてしまう。
「南沢さん……」
南郷の声に、迷いが滲む。
「だから……放してください」
その言葉は、懇願に近かった。一瞬の沈黙。やがて、南郷が小さく息を吐く。
「……後悔しないのか?」
後悔しないはずがない。きっと、この先何度も思い出す。それでも――
「……はい」
そう答えた声は、震えていたが、逃げなかった。南郷の手が、ゆっくりと離れる。掴まれていた手首が、ひどく冷たく感じられた。一瞬だけ、呼吸が止まる。だがうららは小さく頷いた。
「……すみません。ありがとうございました」
うららは深く頭を下げ、もう一度だけ、板塀の向こうを振り返る。そして歩き出した。心に残ったざらつきは、時間が経っても消えそうになかった。
途中、石川は淡々と語り始めた。「赤木しげる」らしき人物を見つけた経緯。そして、最近周囲で起きているという、穏やかではない噂。
——辻斬り。
物騒な単語が、現実感を伴って胸に刺さる。歩調は変えていないのに、足元だけが重くなった気がした。
素人、筋モノ区別なく突っ込んでくる怖いもの知らずの喧嘩屋。格段に腕は立つ。こちらの人数が五人以下なら手を出さないほうが無難。
石川が淡々と“赤木しげる”らしき人物について語る。うららの思い出に残る彼とは似ても似つかない。でも、もし本当に本人だったら。
もし、まだあの暗い世界にいるのだとしたら。考えは、そこから先へ進まない。うららは唇を噛みしめ、ただ前を歩く石川の背を見つめ続けた。逃げることも、立ち止まることもできないまま。
舗装の甘い道を進むにつれ、空気が変わる。油と鉄の混じった匂い。遠くではなく、すぐそばから、機械の動く音が響いていた。ガチャン、ガチャン。規則正しいが、どこか無機質な音。
やがて、背の高いトタンを立てかけたような壁の前で石川は足を止めた。トタンとトタンの間に、人一人入れるほどの隙間がある。石川は顎でそこを示した。
「そこの隙間を覗いてみてくれませんか。奴は今作業をしているはず」
その言葉に、南郷とうららは思わず顔を見合わせた。二人に言葉はない。けれど、同じことを考えているのが分かる。
——本当に、いるのか。
すみれは、そっと一歩前に出た。隙間に近づき、息を殺して、その隙間を覗く。中は、思ったよりも明るかった。作業机がずらりと並べられておりその机に向かって工員が黙々と、手を動かしている。サルの人形、同じ形のものを、同じ動作で、箱に詰めていく。灰色の帽子。同じ色の作業着。
そして——。
伏せた目、感情の読めない横顔。つまらなそうに、ただ作業だけをこなす、その姿。心臓が大きく跳ねる。
「あ……」
声にならない音が、喉からこぼれた。
「……しげるくん」
呼んだわけではない。けれど、彼の名前が、心の奥から浮かび上がった。後ろから、南郷が身を乗り出す。
「……ど、どこだ?」
うららが見やすい位置へと南郷を誘導する。数秒。
「……あ」
南郷はさっとトタンの壁へと身を隠す。
「……似てる。いやまず間違いない」
低く、確信を含んだ声。
「しかしあの赤木が真面目に働いているなんて」
うららは、もう一度、隙間を見る。以前よりも大きい体。大人びた横顔。だが昔と同じ、どこか世間から距離を取るような佇まい。
——生きていた。
それだけで、ただそれだけで胸がいっぱいになる。同時に、六年前に置かれた札束と鍵が、鮮明によみがえった。ここにいるのに。こんなにも近くにいるのに。声をかけることはできない。
隙間の向こうで、赤木しげるは何も知らないまま、サルの人形を淡々と箱に詰め続けていた。木箱に触れる音。規則正しく動く手。そこには、かつてうららが知っていた少年の面影と、知らない六年分の時間が、同時に重なって見えた。横顔を見つめながら、うららは思う――このまま、帰ろう。
会えば、きっと声をかけてしまう。声をかければ、きっと泣いてしまう。そして何より――六年前、彼が選んだ「もう会わない」という覚悟を、自分の気持ちで壊してしまう。そう決めた、その時だった。工場内に、終業を告げる鈴の音が耳を刺す。
「あ、わ、私……帰ります!」
とっさに声が出た。しげると向き合う勇気が出ないまま、うららは足を踏み出す。
「待った!」
背後から手首をつかまれる。振り向かなくても分かった。南郷だ。
「待ってくれ、南沢さん」
今、振り返れば胸に溜め込んだものが溢れてしまいそうで、うららは顔を伏せたまま答えた。
「……放してください」
声は、思っていたよりも低く出た。自分でも驚くほど、感情を押し殺した響きだった。南郷の手は、まだうららの手首を掴んでいる。強くはないが、離す気もない力。
「赤木に、会わなくていいのか?」
その名を出された瞬間、胸の奥がちくりと痛む。視線を上げられず、うららは俯いたまま答えた。
「……会えません」
嘘ではなかった。会いたい気持ちは、痛いほどある。けれど――それ以上に、越えてはいけない線がある気がしていた。
「本当に、それでいいのか?」
南郷の声は、先ほどより少しだけ低く、穏やかになる。問い詰めるというより、確かめるような口調だった。
「……」
答えは喉の奥で詰まった。良いか悪いかなんて、分からない。ただ、会ってはいけない気がする。
「本当は、会いたいんじゃないのか?」
その一言で胸に押し込めていたものが揺れる。息を吸おうとして、うまくいかない。
「……でも、しげるくんは……」
「赤木じゃない」
南郷の声が、少しだけ強くなる。
「あんたが、どうしたいかだ!」
びくりと、肩が震えた。思わず、唇を噛みしめる。
「私は……」
絞り出すように、言葉を探す。
「……一目、見られただけで、いいんです」
本心だった。それ以上を望めば、きっともっと求めてしまう。
「南沢さん……」
南郷の声に、迷いが滲む。
「だから……放してください」
その言葉は、懇願に近かった。一瞬の沈黙。やがて、南郷が小さく息を吐く。
「……後悔しないのか?」
後悔しないはずがない。きっと、この先何度も思い出す。それでも――
「……はい」
そう答えた声は、震えていたが、逃げなかった。南郷の手が、ゆっくりと離れる。掴まれていた手首が、ひどく冷たく感じられた。一瞬だけ、呼吸が止まる。だがうららは小さく頷いた。
「……すみません。ありがとうございました」
うららは深く頭を下げ、もう一度だけ、板塀の向こうを振り返る。そして歩き出した。心に残ったざらつきは、時間が経っても消えそうになかった。
