命日の日に
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あの路地裏で別れてから、どれほどの時間が経ったのか、うららにはもう分からなくなっていた。
陽が傾き始めたはずなのに、胸の奥では、さっき別れたばかりのような生々しさが残っている。追ってきた連中に捕まったのか。それとも、どこか物陰に身を潜めているのか。考えれば考えるほど、答えのない想像ばかりが頭の中を巡り、同じところをぐるぐると回り続ける。
——先に帰って。
そう言い残し、振り返りもしなかった背中。必死に平静を装っていたのは、声の調子で分かった。けれど、ほんの一瞬だけ振り向いた横顔、あの目だけは、どうしても忘れられない。
あれが、最後だったら——。
そんな考えが浮かぶたび、うららは首を振り、何度も自分を打ち消した。
大丈夫。あの子は、きっと。
そう言い聞かせても、喉の奥に残るざらつきは消えない。時間だけが、うららの気持ちとは無関係に流れていく。
夕方になり、空の色がゆっくりと薄墨に染まっていっても、戸口を叩く音はなかった。柱時計の振り子が、規則正しく揺れる。かちり、かちり、と無情な音を立てながら、何事もなかったかのように針だけが進んでいく。
——待っていたい。でも、探しにも行きたい。
迷いはした。けれど、立ち止まっていても何も変わらないことも、分かっていた。すみれは羽織に袖を通し、戸を閉める。木戸が立てる乾いた音が、やけに大きく響いた。
外に出ると、昼間と変わらない風景が広がっている。軒先に揺れる洗濯物。行き交う人々の話し声。どこからか漂ってくる、煮物や焼き魚の匂い。それらがあまりにも現実的で、胸が締めつけられた。
——あの子だけが、この日常から取り残されてしまったようで。
重たい足取りのまま、すみれはしげると別れた路地へ向かう。分かっている。そこに、いるはずがないことくらい。それでも、何度も振り返ってしまう。
——帰ってきて。
胸の内でそう呟きながら、歩き続ける。不安を抱えたまま、それでも日常へ戻るしかない自分を、噛みしめるように。やがて、十八時の鐘が鳴った。
——しげるくん、お腹を空かせて帰ってくるかもしれない。
そう思うほかなかった。そう思わなければ、今にもどこかへ駆け出してしまいそうだった。うららは、いつものように商店街へ向かう。夕暮れの通りは人通りも多く、八百屋の威勢のいい呼び声、魚屋の包丁がまな板を叩く音が、聞こえてくる。無意識のまま、うららは食材を二人分選んでいた。
それはもう、癖のようなものだった。しげるの好みを思い出しながら、量を少し多めにする。
家に戻り、火を起こし、鍋をかける。二人分の食事を作り、二人分の箸を並べる。けれど、向かいの席は空いたまま。一人で食べる夕飯は、味がよく分からなかった。噛んで、飲み込んでいるはずなのに、他人事のように感じられた。
後片付けを済ませ、いつもの時間に銭湯へ向かう。湯気の立つ脱衣所。湯船に浸かる人々の他愛ない話し声。どれも、普段と変わらない。
それなのに、うららの心は、ずっと落ち着かないままだった。帰り道、ふと空を見上げると、もうすっかり夜になっていた。
——今日は、帰ってこないかも。
そう思いながらも、家に着けば、自然と耳を澄ましてしまう。戸が開く音。足音。何か、聞き逃してはいないかと。一日の出来事を思い返す。
一緒に歩いた道。立ち寄った喫茶店。今日のことのはずなのに、ひどく遠い記憶のようだった。
その日、しげるは、帰ってこなかった。
ぼうっとする頭を無理やり呼び起こし、うららはいつものように振る舞った。
朝食を作り、出勤し、仕事をする。夕方になれば仕事は終わり、そして、いつもの商店街へ足を運ぶ。気がつけば、また二人分の食事を作っていた。
帰ってくるかどうかなんて、もう分からない。それでも、すみれは作りたかった。作らずには、いられなかったのだ。
陽が傾き始めたはずなのに、胸の奥では、さっき別れたばかりのような生々しさが残っている。追ってきた連中に捕まったのか。それとも、どこか物陰に身を潜めているのか。考えれば考えるほど、答えのない想像ばかりが頭の中を巡り、同じところをぐるぐると回り続ける。
——先に帰って。
そう言い残し、振り返りもしなかった背中。必死に平静を装っていたのは、声の調子で分かった。けれど、ほんの一瞬だけ振り向いた横顔、あの目だけは、どうしても忘れられない。
あれが、最後だったら——。
そんな考えが浮かぶたび、うららは首を振り、何度も自分を打ち消した。
大丈夫。あの子は、きっと。
そう言い聞かせても、喉の奥に残るざらつきは消えない。時間だけが、うららの気持ちとは無関係に流れていく。
夕方になり、空の色がゆっくりと薄墨に染まっていっても、戸口を叩く音はなかった。柱時計の振り子が、規則正しく揺れる。かちり、かちり、と無情な音を立てながら、何事もなかったかのように針だけが進んでいく。
——待っていたい。でも、探しにも行きたい。
迷いはした。けれど、立ち止まっていても何も変わらないことも、分かっていた。すみれは羽織に袖を通し、戸を閉める。木戸が立てる乾いた音が、やけに大きく響いた。
外に出ると、昼間と変わらない風景が広がっている。軒先に揺れる洗濯物。行き交う人々の話し声。どこからか漂ってくる、煮物や焼き魚の匂い。それらがあまりにも現実的で、胸が締めつけられた。
——あの子だけが、この日常から取り残されてしまったようで。
重たい足取りのまま、すみれはしげると別れた路地へ向かう。分かっている。そこに、いるはずがないことくらい。それでも、何度も振り返ってしまう。
——帰ってきて。
胸の内でそう呟きながら、歩き続ける。不安を抱えたまま、それでも日常へ戻るしかない自分を、噛みしめるように。やがて、十八時の鐘が鳴った。
——しげるくん、お腹を空かせて帰ってくるかもしれない。
そう思うほかなかった。そう思わなければ、今にもどこかへ駆け出してしまいそうだった。うららは、いつものように商店街へ向かう。夕暮れの通りは人通りも多く、八百屋の威勢のいい呼び声、魚屋の包丁がまな板を叩く音が、聞こえてくる。無意識のまま、うららは食材を二人分選んでいた。
それはもう、癖のようなものだった。しげるの好みを思い出しながら、量を少し多めにする。
家に戻り、火を起こし、鍋をかける。二人分の食事を作り、二人分の箸を並べる。けれど、向かいの席は空いたまま。一人で食べる夕飯は、味がよく分からなかった。噛んで、飲み込んでいるはずなのに、他人事のように感じられた。
後片付けを済ませ、いつもの時間に銭湯へ向かう。湯気の立つ脱衣所。湯船に浸かる人々の他愛ない話し声。どれも、普段と変わらない。
それなのに、うららの心は、ずっと落ち着かないままだった。帰り道、ふと空を見上げると、もうすっかり夜になっていた。
——今日は、帰ってこないかも。
そう思いながらも、家に着けば、自然と耳を澄ましてしまう。戸が開く音。足音。何か、聞き逃してはいないかと。一日の出来事を思い返す。
一緒に歩いた道。立ち寄った喫茶店。今日のことのはずなのに、ひどく遠い記憶のようだった。
その日、しげるは、帰ってこなかった。
ぼうっとする頭を無理やり呼び起こし、うららはいつものように振る舞った。
朝食を作り、出勤し、仕事をする。夕方になれば仕事は終わり、そして、いつもの商店街へ足を運ぶ。気がつけば、また二人分の食事を作っていた。
帰ってくるかどうかなんて、もう分からない。それでも、すみれは作りたかった。作らずには、いられなかったのだ。
