命日の日に
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駅へ向かう道すがら、うららはふうと息を吐いた。今日一日、持ちこたえていた緊張が、そこでようやくほどけた。一人で来ていたら、もっと張りつめたままだったかもしれない。そんな考えが、遅れてやってくる。しげるが横にいるのが当たり前になりかけていることに、今さら気づいた。
駅前の角を曲がったところに、小さな喫茶店があった。色の褪せた看板に、白い字で喫茶とだけ書いてある。
「お腹すかない? お昼ごはんここで食べましょう」
そう言うと、しげるは黙って頷いた。
扉を開けると、ちりん、と鈴の音がして、店内にはほの暗い空気と、焙煎した豆の匂いが広がっていた。外の昼の光は、すりガラスを通して柔らかく薄まり、時間の流れまでゆっくりになっているようだ。壁際に並ぶ木の椅子。年季の入ったテーブル。ラジオが、小さな音で流れている。二人は奥の席のテーブルに向かい合い、腰を下ろした。手書きの味があるメニューをしげると二人で見られるように置く。
「何にする?」
「……ハンバーグ」
「じゃあ、私はナポリタンにしようかな」
注文を告げると、厨房の奥から、フライパンが当たる乾いた音が聞こえ始める。油の匂いに、トマトの酸味が混じって、空腹を刺激した。しげるは、ソファに深く腰掛けたまま店内を一度だけ見回す。落ち着かない様子でもなく、ただ、こういう場所に慣れていないだけのように感じられた。ほどなくして、皿が運ばれてくる。赤いソースをまとったスパゲッティ。上には薄切りのハムと玉ねぎ、青いピーマン。横から立ちのぼる湯気が、どこか懐かしい匂いを連れてくる。
「いただきます」
うららがフォークを入れると、麺が少し重たく持ち上がった。絡んだソースが、つやつやと光る。口に運ぶと、甘酸っぱい味が舌に広がった。向かいでは、しげるがナイフとフォークを使って、ハンバーグを丁寧に切っている。刃を入れるたび、肉汁がじんわりと滲み出し、付け合わせの人参と粉ふき芋が、皿の端へ押しやられていった。
「しげるくん、おいしい?」
「はい」
もぐもぐと頬張るその様子は、年相応で、見ていて思わず笑ってしまいそうになる。
――可愛い。
そう思った瞬間、うららは心の中で慌てて言葉を引っ込めた。男の子に向かって使う言葉じゃない。分かっているのに、どうしても目が離せなくて、つい、食べる仕草を追ってしまう。
「うららさん、はい。口、開けて」
思いがけない声に、うららはフォークを落としそうになる。しげるが、一口大に切ったハンバーグをフォークに刺し、そのまま差し出していた。
「え……? どうして?」
「ずっと見てくるから。食べたいのかと思った」
さらりと言われて、心臓が跳ねる。
「そ、そんなつもりじゃ……」
否定しかけて、言葉が途切れた。差し出されたフォークは、引っ込められる気配がない。
「……じゃあ、せっかくだから」
そう言ってしまった自分に、内心で驚きながら、うららはおくれ髪が垂れないよう耳にかけ、そっと口を開いた。
――まずい。これ、思っていた以上に、恥ずかしい。
開いてしまった口を、今さら閉じることもできず、時間だけが妙にゆっくりと流れる。フォークが近づくのを待つ間、胸の奥が落ち着かなくて、視線の置き場にも困った。やがて、ハンバーグが口に運ばれる。温かく、柔らかい肉の感触。その瞬間、しげるがほんの少しだけ口角を上げた。
「すみれさん、おいしい?」
その表情が、いつもの少年のものとは違って見えた。一瞬だけ、大人の、男の人のようで——。うららは思わず視線を逸らした。見てはいけないものを見てしまった気がして、頬の熱をごまかすように、慌てて噛みしめる。
「……おいしい、わ」
そう答えた声は、少しだけ上ずっていた。
「……オレにも、一口ちょうだい」
しげるが、先ほどとは違う声色で言った。口元だけがわずかに緩み、目だけがじっとこちらを見ている。からかうつもりなのだろう。その視線に射抜かれて、うららの頬の熱は、さっきよりもさらに上がる。
「え……あの……」
うららは言葉に詰まる。
「オレはあげたのに、すみれさんはオレにはくれないんだ」
ぽつりと落とされたその一言が、妙にずるい。そんなことを言われたら逃げ道がなくなる。恥ずかしさで少し震える手で、フォークを持ち直し、ナポリタンをくるくると巻いていく。
自分でも分かっている。いい大人が、十三歳の少年に、こんなふうに振り回されているなんて。
……ほんと、どうかしてる。
心臓は相変わらず、落ち着く気配を見せない。
「……はい。あーん」
精一杯、平静を装ったつもりだった。強がらなければ、顔に出てしまいそうだったから。しげるは素直に口を開ける。そこへ、うららが差し出したフォークがゆっくりと近づいて――その瞬間、はっと気づいた。
……あ、巻きすぎた。
ナポリタンが、しげるの口元に少し触れてしまう。
「ごめん!」
慌てて言ったが、しげるは気にも留めず、そのまま頬張った。口いっぱいにナポリタンを詰め込んだまま、じっとこちらを見上げてもぐもぐする。
その様子を見た瞬間、うららの中で必死に保っていた「大人としての余裕」や「貫禄のようなもの」が、音もなく崩れていくのが分かった。口の周りについたナポリタンを見て、申し訳なさがこみ上げる。ナプキンを手に取ると、しげるは当然のように、顔を少しだけ近づけてきた。
……拭け、ってことかしら。
おずおずと、口元に触れる。そっと拭うと、しげるは一度ごくんと飲み込んでから、言った。
「案外不器用なんですね」
声には、くすっとした笑いが混じっていた。余裕を含んだ軽口みたいな言い方。
「もう、大人をからかわないの!」
思わず言い返すと、しげるは何も言わず、肩をすくめるだけだった。その表情が、すべて分かっていてやっているようで、うららはますます居心地が悪くなる。うららの強がりは、とっくに無抜かれている。それを分かった上で、あえて触れてくる。
そう思った瞬間、胸の奥が、くすぐったく疼いた。それ以上、言葉は続かなかった。うららはごまかすようにフォークを取り、まだ温かいナポリタンを口に運んだ。
食べ終えた頃、店員が食事の皿を片づけながら言った。
「食後のお飲み物はいかがですか?」
「そうね……」
うららは顔を上げ、壁に掛けられている丸い時計を見た。針はちょうど十二時半を指している。朝、家を出る前に確かめた時刻表が、頭の中に浮かんだ。次の電車までは、まだ一時間ちょっとある。もう少し、ゆっくりできそうだった。
「せっかくなら何か飲んでいきましょうか」
うららの言葉にしげるはうなずく。
「じゃあ、コーヒーを一つお願いします。」
「オレも同じので」
カウンターの内側では、店主が無言で手を動かしている。小さな焙煎器の中で、豆がからからと乾いた音を立てて回り、やがてぱち、と弾けるような音がした。豆がはぜるたび、焦げる寸前の甘苦い香りが、店内にゆっくりと満ちていく。店主は火加減を確かめるように目を細めている。急がない。無駄な動きもない。この時代の喫茶店特有の、時間が少しだけ遅く流れる瞬間だった。
しばらくして、白いカップが運ばれてくる。コーヒーの香りが少し鋭く鼻を刺激する。しげるは、砂糖もミルクも入れずに口をつけた。
「……」
しげるの顔がほんの少しゆがむ。もう一口。
「……苦い」
ぽつりとした感想に、うららは思わず笑ってしまう。
「でしょう。最初はそう感じるものよ」
「なんで、こんなの飲むんですか」
ただの疑問。そう質問するしげるの澄んだ瞳は年相応の少年らしさを感じた。
「目が覚めるの。あと……だんだんおいしく感じるものよ」
しげるは、ふうん、とだけ返して、もう一口飲む。
「……」
「無理しなくていいのよ」
「無理はしてません」
そう言い切って、カップを置く。その仕草が、どこか子どもじみていて、うららはまた温かな気持ちになる。
「ねえ、しげるくん」
「はい」
「一緒に、パフェ……半分こしない?」
しげるの視線が、ぴたりとうららに向いた。
「……え?」
「この苦さも和らぐと思うし、食後のデザートにピッタリでしょ」
「……食べ過ぎじゃない?」
「デザートは別腹よ」
しげるは少し黙ってから、テーブルの上のコーヒーを見た。
「……うららさんが食べたいなら」
「フフフ。ありがとう」
そう言って、うららは店員を呼んだ。
少しして運ばれてきたパフェは、背の高いガラスの器に入っていた。下にはコーンフレーク、その上にバニラアイス。缶詰の桃とみかん、赤いチェリーがひとつ。上から、つやのあるチョコレートソース。派手ではないけれど、十分に“特別”だった。
「甘そうですね」
「甘いわよ」
即答すると、しげるは小さく鼻で笑った。スプーンを一本、真ん中に置く。
「はい、どうぞ」
「じゃあ」
しげるは少しだけためらってから、スプーンを取った。端のアイスをすくって、口に運ぶ。
「……」
一瞬、目を大きく開く。
「……甘い」
「でしょう?」
今度は、うららが反対側をすくう。二人で交互に、少しずつ減っていく。
「パフェ、初めて食べました」
「そう。……初めて食べた感想は?」
ううんと目線が空を泳ぐ。
「……まあ。うまいんじゃないですか」
「それは良かった」
パフェが半分ほどになった頃、しげるはコーヒーに手を伸ばす。さっきよりも、ためらいなく口をつけた。
「……」
「どう?」
「……さっきより、飲めます」
もう一口。
「いける」
うららは、何も言わずに微笑んだ。甘いものを挟んだだけ。それだけで、苦さは少し和らいで、この時間も、少しだけ柔らいだ。最後、カップの底が見えたとき。
「……飲み切りました」
「えらいえらい」
そう言うと、しげるは少しだけ照れたように視線を逸らした。コーヒーと、半分このパフェ。今日という一日を締めくくるのにそれで十分だった。うららは伝票を手に取ると、席を立った。
「払ってくるわね」
「はい」
レジの前で小銭入れを開く。硬貨が指先で触れ合う音が、店内の静けさに溶ける。食事とコーヒーと、パフェ。決して安くはないけれど、後悔はなかった。
勘定を済ませて振り返ると、しげるは席に座ったまま、じっと待っていた。逃げない。急かさない。ただ、そこにいる。
「行きましょうか」
「はい」
ドアを押すと、外の空気が流れ込んできた。
並んで歩く。話すことは、特にない。それでも、さっきより足取りは軽かった。
駅前の角を曲がったところに、小さな喫茶店があった。色の褪せた看板に、白い字で喫茶とだけ書いてある。
「お腹すかない? お昼ごはんここで食べましょう」
そう言うと、しげるは黙って頷いた。
扉を開けると、ちりん、と鈴の音がして、店内にはほの暗い空気と、焙煎した豆の匂いが広がっていた。外の昼の光は、すりガラスを通して柔らかく薄まり、時間の流れまでゆっくりになっているようだ。壁際に並ぶ木の椅子。年季の入ったテーブル。ラジオが、小さな音で流れている。二人は奥の席のテーブルに向かい合い、腰を下ろした。手書きの味があるメニューをしげると二人で見られるように置く。
「何にする?」
「……ハンバーグ」
「じゃあ、私はナポリタンにしようかな」
注文を告げると、厨房の奥から、フライパンが当たる乾いた音が聞こえ始める。油の匂いに、トマトの酸味が混じって、空腹を刺激した。しげるは、ソファに深く腰掛けたまま店内を一度だけ見回す。落ち着かない様子でもなく、ただ、こういう場所に慣れていないだけのように感じられた。ほどなくして、皿が運ばれてくる。赤いソースをまとったスパゲッティ。上には薄切りのハムと玉ねぎ、青いピーマン。横から立ちのぼる湯気が、どこか懐かしい匂いを連れてくる。
「いただきます」
うららがフォークを入れると、麺が少し重たく持ち上がった。絡んだソースが、つやつやと光る。口に運ぶと、甘酸っぱい味が舌に広がった。向かいでは、しげるがナイフとフォークを使って、ハンバーグを丁寧に切っている。刃を入れるたび、肉汁がじんわりと滲み出し、付け合わせの人参と粉ふき芋が、皿の端へ押しやられていった。
「しげるくん、おいしい?」
「はい」
もぐもぐと頬張るその様子は、年相応で、見ていて思わず笑ってしまいそうになる。
――可愛い。
そう思った瞬間、うららは心の中で慌てて言葉を引っ込めた。男の子に向かって使う言葉じゃない。分かっているのに、どうしても目が離せなくて、つい、食べる仕草を追ってしまう。
「うららさん、はい。口、開けて」
思いがけない声に、うららはフォークを落としそうになる。しげるが、一口大に切ったハンバーグをフォークに刺し、そのまま差し出していた。
「え……? どうして?」
「ずっと見てくるから。食べたいのかと思った」
さらりと言われて、心臓が跳ねる。
「そ、そんなつもりじゃ……」
否定しかけて、言葉が途切れた。差し出されたフォークは、引っ込められる気配がない。
「……じゃあ、せっかくだから」
そう言ってしまった自分に、内心で驚きながら、うららはおくれ髪が垂れないよう耳にかけ、そっと口を開いた。
――まずい。これ、思っていた以上に、恥ずかしい。
開いてしまった口を、今さら閉じることもできず、時間だけが妙にゆっくりと流れる。フォークが近づくのを待つ間、胸の奥が落ち着かなくて、視線の置き場にも困った。やがて、ハンバーグが口に運ばれる。温かく、柔らかい肉の感触。その瞬間、しげるがほんの少しだけ口角を上げた。
「すみれさん、おいしい?」
その表情が、いつもの少年のものとは違って見えた。一瞬だけ、大人の、男の人のようで——。うららは思わず視線を逸らした。見てはいけないものを見てしまった気がして、頬の熱をごまかすように、慌てて噛みしめる。
「……おいしい、わ」
そう答えた声は、少しだけ上ずっていた。
「……オレにも、一口ちょうだい」
しげるが、先ほどとは違う声色で言った。口元だけがわずかに緩み、目だけがじっとこちらを見ている。からかうつもりなのだろう。その視線に射抜かれて、うららの頬の熱は、さっきよりもさらに上がる。
「え……あの……」
うららは言葉に詰まる。
「オレはあげたのに、すみれさんはオレにはくれないんだ」
ぽつりと落とされたその一言が、妙にずるい。そんなことを言われたら逃げ道がなくなる。恥ずかしさで少し震える手で、フォークを持ち直し、ナポリタンをくるくると巻いていく。
自分でも分かっている。いい大人が、十三歳の少年に、こんなふうに振り回されているなんて。
……ほんと、どうかしてる。
心臓は相変わらず、落ち着く気配を見せない。
「……はい。あーん」
精一杯、平静を装ったつもりだった。強がらなければ、顔に出てしまいそうだったから。しげるは素直に口を開ける。そこへ、うららが差し出したフォークがゆっくりと近づいて――その瞬間、はっと気づいた。
……あ、巻きすぎた。
ナポリタンが、しげるの口元に少し触れてしまう。
「ごめん!」
慌てて言ったが、しげるは気にも留めず、そのまま頬張った。口いっぱいにナポリタンを詰め込んだまま、じっとこちらを見上げてもぐもぐする。
その様子を見た瞬間、うららの中で必死に保っていた「大人としての余裕」や「貫禄のようなもの」が、音もなく崩れていくのが分かった。口の周りについたナポリタンを見て、申し訳なさがこみ上げる。ナプキンを手に取ると、しげるは当然のように、顔を少しだけ近づけてきた。
……拭け、ってことかしら。
おずおずと、口元に触れる。そっと拭うと、しげるは一度ごくんと飲み込んでから、言った。
「案外不器用なんですね」
声には、くすっとした笑いが混じっていた。余裕を含んだ軽口みたいな言い方。
「もう、大人をからかわないの!」
思わず言い返すと、しげるは何も言わず、肩をすくめるだけだった。その表情が、すべて分かっていてやっているようで、うららはますます居心地が悪くなる。うららの強がりは、とっくに無抜かれている。それを分かった上で、あえて触れてくる。
そう思った瞬間、胸の奥が、くすぐったく疼いた。それ以上、言葉は続かなかった。うららはごまかすようにフォークを取り、まだ温かいナポリタンを口に運んだ。
食べ終えた頃、店員が食事の皿を片づけながら言った。
「食後のお飲み物はいかがですか?」
「そうね……」
うららは顔を上げ、壁に掛けられている丸い時計を見た。針はちょうど十二時半を指している。朝、家を出る前に確かめた時刻表が、頭の中に浮かんだ。次の電車までは、まだ一時間ちょっとある。もう少し、ゆっくりできそうだった。
「せっかくなら何か飲んでいきましょうか」
うららの言葉にしげるはうなずく。
「じゃあ、コーヒーを一つお願いします。」
「オレも同じので」
カウンターの内側では、店主が無言で手を動かしている。小さな焙煎器の中で、豆がからからと乾いた音を立てて回り、やがてぱち、と弾けるような音がした。豆がはぜるたび、焦げる寸前の甘苦い香りが、店内にゆっくりと満ちていく。店主は火加減を確かめるように目を細めている。急がない。無駄な動きもない。この時代の喫茶店特有の、時間が少しだけ遅く流れる瞬間だった。
しばらくして、白いカップが運ばれてくる。コーヒーの香りが少し鋭く鼻を刺激する。しげるは、砂糖もミルクも入れずに口をつけた。
「……」
しげるの顔がほんの少しゆがむ。もう一口。
「……苦い」
ぽつりとした感想に、うららは思わず笑ってしまう。
「でしょう。最初はそう感じるものよ」
「なんで、こんなの飲むんですか」
ただの疑問。そう質問するしげるの澄んだ瞳は年相応の少年らしさを感じた。
「目が覚めるの。あと……だんだんおいしく感じるものよ」
しげるは、ふうん、とだけ返して、もう一口飲む。
「……」
「無理しなくていいのよ」
「無理はしてません」
そう言い切って、カップを置く。その仕草が、どこか子どもじみていて、うららはまた温かな気持ちになる。
「ねえ、しげるくん」
「はい」
「一緒に、パフェ……半分こしない?」
しげるの視線が、ぴたりとうららに向いた。
「……え?」
「この苦さも和らぐと思うし、食後のデザートにピッタリでしょ」
「……食べ過ぎじゃない?」
「デザートは別腹よ」
しげるは少し黙ってから、テーブルの上のコーヒーを見た。
「……うららさんが食べたいなら」
「フフフ。ありがとう」
そう言って、うららは店員を呼んだ。
少しして運ばれてきたパフェは、背の高いガラスの器に入っていた。下にはコーンフレーク、その上にバニラアイス。缶詰の桃とみかん、赤いチェリーがひとつ。上から、つやのあるチョコレートソース。派手ではないけれど、十分に“特別”だった。
「甘そうですね」
「甘いわよ」
即答すると、しげるは小さく鼻で笑った。スプーンを一本、真ん中に置く。
「はい、どうぞ」
「じゃあ」
しげるは少しだけためらってから、スプーンを取った。端のアイスをすくって、口に運ぶ。
「……」
一瞬、目を大きく開く。
「……甘い」
「でしょう?」
今度は、うららが反対側をすくう。二人で交互に、少しずつ減っていく。
「パフェ、初めて食べました」
「そう。……初めて食べた感想は?」
ううんと目線が空を泳ぐ。
「……まあ。うまいんじゃないですか」
「それは良かった」
パフェが半分ほどになった頃、しげるはコーヒーに手を伸ばす。さっきよりも、ためらいなく口をつけた。
「……」
「どう?」
「……さっきより、飲めます」
もう一口。
「いける」
うららは、何も言わずに微笑んだ。甘いものを挟んだだけ。それだけで、苦さは少し和らいで、この時間も、少しだけ柔らいだ。最後、カップの底が見えたとき。
「……飲み切りました」
「えらいえらい」
そう言うと、しげるは少しだけ照れたように視線を逸らした。コーヒーと、半分このパフェ。今日という一日を締めくくるのにそれで十分だった。うららは伝票を手に取ると、席を立った。
「払ってくるわね」
「はい」
レジの前で小銭入れを開く。硬貨が指先で触れ合う音が、店内の静けさに溶ける。食事とコーヒーと、パフェ。決して安くはないけれど、後悔はなかった。
勘定を済ませて振り返ると、しげるは席に座ったまま、じっと待っていた。逃げない。急かさない。ただ、そこにいる。
「行きましょうか」
「はい」
ドアを押すと、外の空気が流れ込んできた。
並んで歩く。話すことは、特にない。それでも、さっきより足取りは軽かった。
